希望の価値
ロボット権利団体ファントムの拠点は、旧時代の地下鉄道網を利用して作られている。薄暗く、一度迷えば生きては出られない迷宮のような場所だ。
その奥底で、富士博士は二人の女を前に声を荒らげていた。
「無能、無能、無能! まったく世の中、無能ばかりじゃのぅ。警察もファントムも、使えぬ奴らしかおらん。山崎アトムの存在の重要性を! 理解できるやつはおらんのか……!」
そう言って机を叩く。
周囲の者は、博士の八つ当たりが恐ろしいのか微動だにしない。博士の苛立ちの矛先は、縄で縛られた女二人に向かう。
「貴様らのせいで山崎アトムを取り逃がした……。これは大変なことじゃぞ。お主らにはわからんじゃろうがな」
森永ココアと絵崎グリコには、山崎アトムを捕える餌という重要な役割があるのだ。そのため、現在は全身をくまなく修復されており、傷ひとつ負っていない。絶望装置も無効化されていた。
ココアは考える。
富士博士の行動の意味。
彼にとっての山崎アトムの価値を。
「富士博士。あなたの研究の話を教えてくれませんか」
今は一つでも情報がほしい。
そう思い、ココアは博士に話しかけた。
「貴方の言うとおり、私たちは山崎アトムの重要性を理解していない。貴方の邪魔をしてしまった。それは、私たちの無知・不勉強からくるもの……教えて下さい、私たちに。あなたの研究の素晴らしさを」
「はっ。立派な建前じゃな……まぁ良い。アトムが来るまで暇じゃしな。ついて来い」
博士は面倒くさそうに立ち上がる。
ファントムの構成員が、ココアとグリコを縛る縄を持つ。
「ねぇココアさん。アトムさんは……やはり、来てしまうでしょうか」
「そうだね、グリコちゃん。来ちゃうんだろうなぁ。アトムくん優しいからね」
「わたくしオバチャンですのに」
「私なんて男だよ……はぁ」
話しながら暗い地下道を通る。
二人が話すのをやめれば、あたりには数人の足音が響くだけだ。
……薄暗いの部屋には、たくさんの人影が横たわっていた。
壁面のライトにより、それらの人影の顔はかろうじて判別できる。だが、それらは表情をピクリとも動かさず、ただ虚空を見つめて呼吸をするのみだった。
端的に言えば、廃人。
「どうじゃ。この状態、絵崎の娘には身に覚えがあるんじゃないかね。答えてみよ」
「……絶望。この人たちは、タナトス・デバイスが働いて絶望していた時のわたくしと、同じような状態に思えますわ」
「うむ。まずは良いじゃろう」
そして、博士は地面に横たわる一人の男の前で足を止める。
博士はココアの方を向く。
「森永の孫よ。お主、この男に見覚えは?」
「彼は……宇梶前総理大臣……ですか」
「そうじゃな。テロリストに屈し、要求を飲もうとして国家に消された悲劇の大臣……という風に、表向きはなっておるがのぅ」
そして、横たわる彼らを通り過ぎ、博士は研究机に座る。素早い手付きで端末を操作すると、空間にいくつかのレポートを浮かべた。
宇梶前総理は、疲れていた。
揚げ足取りの野党やマスコミを躱しながら、国家のためにと働く日々。これだけ苦労しているのだから、多少の贅沢をしても良いだろうと女遊びをすれば、またたく間に週刊誌に叩かれる。国家の奴隷と言っても良い。
妻との関係は冷え切り、子供たちとはもう何年も言葉を交わしていない。
既に楽園のメンバーになっていた宇梶にとって、死とはもう克服済みのものであった。衰えた本体の先は短いだろうが、ロボットの体は永遠に生き続けられるだろう。
だからこそ、耐えられなかった。
『表向き、私は死んだということにして……引退して、どこかで永遠の余生を過ごせないものか』
楽園の管理者、富士博士に相談したのだった。
「ファントムと警察を動かし、人々の同情心を誘うエピソードで退場させたのじゃ。この男もさぞ満足だったじゃろう」
その話は、ファントムでも限られたものにしか知られていない。当然、グリコも初めて聞いたことだ。
「その後、宇梶は贅の限りを尽くした。目をつけた女がロボットを買い替えると、古い方の体を回収して手篭めにした。自身はコピーロボットを最大で──80体ほど作ったかのぅ。毎日毎日女を犯し、料理を貪り食った。ワシは最大限協力したよ。もちろん、ワシ自身の研究のために、な」
面白みの欠片もなさそうな顔で、博士は続ける。
ココアは努めて平静を装う。隣のグリコもまた、表情を固くしていた。
「4か月。きっかりそれだけで、この男は壊れた。毎日毎日、何十人もの自分が女を犯し続ける記憶が頭に入ってきた結果……宇梶の生身の本体は衰弱死し、コピーロボットの方もこの通り、廃人になってしもうた」
博士はカタカタと端末をいじる。
宇梶だけでない、複数の人物のデータが空間に浮かぶ。それは、見るもおぞましい記憶の数々だった。
「ワシはコピーロボットが廃人になる条件を探していた……見よ。廃人になるまでの期間や寿命、本体の状態、記憶同期負荷、性交回数、満足度の変化、様々なパラメータをあらゆる可能性でもって調べた」
膨大なパターンの仮説。データは散布図やグラフにプロットされ、様々な観点から分析されているようだった。
ぽかんとするグリコの横で、ココアはそのデータの意味を正確に理解してしまったがために……ここで行われていた実験の凄惨さを想像し、吐き気をもようしていた。
「結局、分かったのは……人は永遠のロボットになったとしても、いつか必ず絶望する。欲が全く満たされなくても、逆に全てが満たされても、どちらでも変わらず死に急いでゆく。必ず終わりが来るのじゃよ……人類最高峰の頭脳を持つこのワシですらなぁ」
ココアやグリコにとっては、ある意味当たり前に感じることであった。しかし、博士にとってはよほど衝撃的なことだったのだろう。疲れたように脱力し、俯いてしまった。
「完璧なロボット……永遠の命を持った完璧なコピーロボットを実現する。その夢は幻だったのか。ワシは諦めつつあったのじゃ」
富士博士は顔を上げる。
「山崎アトムを見つけるまではのぅ」
──その顔に、満面の笑みが浮かんでいた。
狂ったように高笑いをする老人。
ココアは背筋に寒気を感じながら、グリコの手を握る。彼女の手もまた、ブルブルと怖がっているように震えていた。
「山崎アトムは絶望しない男なのじゃよ。理由は分からぬ。じゃが、絶望装置に何も手を加えなくても、自然体で絶望することがない……こやつなら、肉体的な死は乗り越えられなくとも、精神的な死を乗り越えることは可能じゃろうな」
ココアは静かに納得していた。
アトムはロボット交換のたび、処理場を抜け出していた。しかし、絶望装置の無効化手術を毎回受けているようには、どうしても思えなかったのだ。
その時、館内に警報が鳴った。
『富士博士。侵入者です』
「来たか。映像を送れ」
『はっ。ただいま』
侵入者の姿が空間に投影される。
──そこにいたのは、カラフルな忍び装束に身を包んだ忍者の集団だった。





