地底の理想郷
知らない天井だった。
アトムは、嫌らしいほど柔らかいベッドの上で目を覚ます。
頭に浮かぶのは、ベイクの死に顔だった。
熱の失われていく体を必死に揺らすアトムは、VTOL機が目的地に到着したことにすら気が付かなかった。どうやら大きな穴を通って地中深くに下りたらしい。
アガルタの構成員に連れられ、VTOL機を降りる。しかし、彼らがベイクの遺体に手を伸ばしたのを見て、アトムは叫んだ。触るな。それは俺の、大切な人だ、と。
錯乱していたアトムは、知らぬ間に気絶させられていた。
「……みんなを巻き込んで、俺だけ生き残って……どうしようってんだ……」
髪を掻きむしる。
だが、アトムの言葉に答えてくれる者は誰もいない。
コンコン、とノックの音が響き、扉が開いた。
現れたのは、褐色の肌の美少女だった。
歳はアトムよりいくらか下だろうか。草色のワンピースを着た彼女は、何が楽しいのか、白い歯を見せながらアトムのもとに寄る。
「山崎アトム! よし、起きてるな。あたしの名前はアメ。浅田アメ。これから、この地下世界を案内してやる! 着替えるぞ!」
そう言った彼女は、一瞬でアトムのパンツを脱がせた。あまりの早技に抵抗する間もない。アトムは股間を隠しながら、あまりのことに目を丸くした。
「隠さなくていいぞ! これからあたしらは夫婦になるんだ。あ、拒否権はないからな? 夜の方も楽しみにしとけよ」
そう言って、後方のタンスから真新しいパンツを取り出す。
突然の貞操の危機に、アトムはわけもわからず布団の中に下半身を潜らせた。この女の子、浅田アメは、いったいどういうつもりなのだろうか。
「お? なんだアトム。布団の中でシテほしいのか。初めてなのになかなかマニアックな──」
「ば、い、いいからパパパンツを寄越せって!」
「くくくっ……お前はやっぱり面白いなぁ。ホント、からかいがいがあるよ、アトム」
そう言って、アメはパンツを投げてよこす。
アトムは顔を真っ赤にしながら布団の中で着替えた。年下にこうも良いようにからかわれるのは悔しい。ここからは相手のペースに乱されないよう、しっかり対処しようと心に決める。
「あ、ちなみに夫婦ってのは本当だぞ。こんなんでも生娘だから優しくしろよー、いやマジでさ」
そう言ってほんのり頬を染める浅田アメを見て、アトムは「あ、これは勝てない」と早々に勝負を手放したのだった。
地下都市は、薄暗さや圧迫感とは無縁だった。
光源は分からないが、空は乳白色に輝いている。高層ビルが立ち並び、広い土地には畑もある。透き通った湖や美しい森。広場には子供たちが走り回っていて、何も知らなければここを地下だと思う者はいないだろう。
理想郷アガルタ。
こんなにも暖かい空気の流れる平和な都市を、アトムはこれまで見たことがなかった。
なかば強引に手を引きながら、浅田アメはアトムにあれこれと説明をしていく。
「ここアガルタにいるのは、全員がロボットだ。10年くらい前に、長老がここを作った。処理場で死ぬのを待っているだけだったロボットを集めてさ」
10年というと長いようだが、こんな都市を作るには短すぎる時間だ。少なくとも、アトムにはそんなふうに思えた。皆が協力しあって作り上げてきたのだろう。
そんな話をしながら連れてこられたのは、クレープの屋台だった。甘い匂いを漂わせ、綺麗なお姉さんが鼻歌を歌いながら生地を焼いている。
楽しそうなお姉さんだなと見ていると、アメはアトムの服をブンブンと引っ張った。メニューを指差して叫ぶ。
「チョコベリースペシャル、イチゴ増し増し!」
「はーい了解」
「支払いはアトムにつけといて」
「ふふ。あ、彼が噂の新人さんね」
アメは太陽のような笑みを浮かべ、アトムの左腕にしがみついた。意外とボリュームのある胸を意識してしまい、アトムは大きく視線を反らした。顔が熱い。
「あら、仲いいのね」
「夫婦になるからな。もうラブラブなんだ」
「夫の方は恥ずかしがってるみたいだけど」
「照れ屋なんだよ。それにこういうのは最初が肝心なんだ。あたしの色香でメロメロにして、余計なこと考えらんないようにしてやるんだ。屋台の綺麗なお姉さんに見惚れる余裕なんかないくらいにな」
そう言いながら、胸をブンブンと揺らすアメ。別に見惚れてない、というアトムの言葉は無視された。屋台のお姉さんは楽しそうに笑い、大きなクレープを包み紙に包んだ。
街を見下ろす丘の上。
ベンチに腰掛けたアトムは、吹き抜ける風に目を細める。すぐ隣に座ったアメが、大きく背伸びをする。
「地上の世界は、ロボットの存在を認めない。テロリストの奴らは、それを世界に認めさせたいと思ってる。けどさ」
アメはあくびをして、アトムの太ももの上へゴロンと転がる。そのまま、真っ直ぐな目でアトムを見上げた。
「アガルタは、ただ隠れて平和に暮らしてるだけなんだ。それでいい。地上の奴らに認められなくても……誰にも迷惑をかけず、ここで暮らしていけばいいと思うんだ。このままあたしと夫婦になってさ、のんびり暮らすのも悪くないだろ」
そう言って、白い歯を見せる。
確かにここはいい場所だ。ロボットを否定するものはいない。愛する者と長い時間をともに過ごすことができる。誰に追われる心配もない。
広場を走り回る子供を見て、アトムは頬を緩めた。
「いいなぁ。こんな場所で……ココアやグリコも一緒に過ごせたら、どんなにいいだろう」
アトムの言葉に、アメは何やら諦めたようなため息をついた。
「助けに行くのかよ」
「……あぁ」
「一人は男で、一人はオバサンだぞ」
「本体はもう死んでるしな。今はもう、女の子の心とロボットの体が残ってるだけさ。何より、俺が彼女たちと一緒にいたいんだよ」
心で考えろ。そう、ベイクは言っていた。
理屈なんてあとからどうとでも付けられる。
「今度こそ本当に死ぬぞ、アトム」
「覚悟の上だ」
「はぁ……言うと思ったよ……」
アメはぴょんと跳ね起きて、服の汚れを払った。
自分の両胸を抱えあげ、こりゃ誘惑が足りなかったかなと呟く。そして、アトムの両頬をギュッと掴んで。
──アトムにキスをした。
「さぁ、長老のところに行くぞ」
「ちょ、え、アメ?」
「やっと名前を呼んでくれたな。ホントさぁ、硬派なとこは嫌いじゃねえけど、本気で傷ついてんだからな。唇奪ったくらいでガタガタぬかすんじゃねえぞ」
「あ、おい」
アメはアトムの手を引き、急ぎ足で丘を駆け下りていった。





