51話 8年前、一目惚れしました【隠れ家編】
「ワンスさまぁ……」
フォーリアがお風呂に入ってしばらく経った頃、ワンスがリビングでこれまた仕事をしていると、弱々しい声が脱衣所から聞こえてくる。空き時間があると仕事をする男、ワンスである。
「フォーリア? どうした?」
仕事の区切りが悪くて、視線を移すこともなくペンを走らせながら返事をした。
「下のズボンが緩すぎて落ちてしまいます……」
「あー、やっぱり? 俺も細い方だから何とかなるかなとも思ったけど、無理だったか」
ワンスは忙しかった。一分一秒でも惜しくて、ザッと立ち上がって迷うことなく脱衣所の扉を開けた。
「ぎゃあ! 開けないでくださいよ!」
「あ、なんだ、それでいいじゃん。上のシャツだけでズボンなし。解決解散~」
ワンスはフォーリアに比べるとだいぶ背が高い。フォーリアが彼のシャツを着ると、ちょうど太ももの真ん中らへんまで隠れることになる。彼のシャツ、まさに彼シャツ。
「ええ!? 脚が丸見えです……!」
「うん、いい眺め。二人なんだから別にいいだろ」
「ぇえ??」
困惑するフォーリアを無視して、リビングに引き返してまたもや仕事を続ける。これだからワーカホリック男は手に余る。
フォーリアは恥ずかしそうにシャツを目一杯引っ張りながら、ちょこちょこと移動して隣に座ってきた。
「ごめん、これだけやりたい」
「お仕事してるワンス様を見てるのも好きです。ごゆっくりどうぞ」
フォーリアはニコニコ笑って、じーっと見てくる。ワンスは動じることもなく、返事もせずに一心不乱にペンを走らせる。
そうして十分ほど経って、超高速で書き上げた書類の束が出来上がると「うーん」と大きく伸びをした。伸びてる途中、そう言えばと思って隣を見ると、至近距離でカチッと視線が合う。
「げ。なにお前ずっと見てたの?」
「はい、大好きです!」
「よく飽きねぇな……」
「ふふふ、ワンス様のことは一生飽きませんよ?」
「はいはい、物好きなことで」
「本当ですよ? 八年間ずっと飽きませんでしたし!」
「……は?」
怪訝な顔をフォーリアに向けると、彼女は「あ、そうでした」と言って続けた。
「言ってませんでしたね。わたし、八年前にワンス様に一目惚れしたんですよ~」
「え?」
「八年間、ずーっと金髪のエースって男の子を探し回ってたんですけど、全然見つからなくて悲しかったです」
ワンスはふと思い出す。『フォーリアが今までに好きになった人は一人しかいない』とミスリーに言われたことを。
―― それが八年前の俺ってこと?
正直言って、これにはかなり驚いた。そして愛の重さに胸が押しつぶされそうだった……八年って、重い、重すぎる……ぐえ。もはや胸焼けどころか、胸が焼けすぎて焦げそうだった。
「俺のこと探してたのか?」
「はい、八年間ずっと探してました。ふふ、会えて良かった」
「あっそ」
興味なさそうに、何でもないことのように返事をした。フォーリアの八年間は、ワンスという難攻不落男の前に呆気なく散った。
でも、その素っ気ない返事とは裏腹に、フォーリアは彼からの視線をひどく熱く感じた。こんなに真っ直ぐにワンスの視線を感じるのは初めてのことで、彼女の胸はドキンと高鳴った。小さな家だからだろうか、彼が近くにいるような感覚がしてしまう。
「ワンス様?」
「……金髪はカツラだ。地毛は濃紺。無駄だったな」
「そうなんですー、ずっと金髪の男の子ばっかり探してました。見つからないはずです。でも! 半年前のあの日、ワンス様に出会って一目惚れしちゃって!」
「……あー、そういう感じね」
「まさかまさかの同一人物! もう運命ですよね?」
「すげぇ嗅覚だな。動物かよ」
「なので、結婚してください!」
ワンスは『はぁ』と冷たいため息を吐きながら立ち上がって、ダイニングに置いてあるパンを指差す。
「さっきレストランを通ったときに持ってきた。保存食も少しはあるから、適当に食べてて」
そう告げて、脱衣所に入っていった。扉を閉める直前、フォーリアをきつく睨んでから「断る」と言ってバタンと閉じた。




