12話 黒い侍女の黒い提案
翌日、ミスリーは上等なお仕着せを着て、ミリーとしてバドナ伯爵家を訪ねた。御礼の手土産と煮えたぎる腹立たしさを抱えて。
「昨日はありがとう御座いました」
「いや、いいんだ。体調はどうかね?」
「おかげさまで御座います」
ニコリと笑う可愛らしい笑顔の下は。
―― 処す!!!ニルドを貶めた刑に処す!
これである。さすがガチストーカー、怖い。しかし、そんなグツグツ煮つめた怒りなど一切感じさせないのが賢いミスリーなのだ。
「バドナ伯爵家の使用人の皆様はとても溌剌とされていますね」
しばらく談笑した後、バドナ伯爵がどう切り出そうか考えあぐねているのを察したあざといミスリーは、その話題をサラリと切り出した。するとバドナ伯爵は小さくハッとした顔をして、コホンと軽く咳払いをしながら少し身を乗り出した。どえらい分かりやすさである。
「ニルヴァン伯爵家は…その、どうだろうか?」
「良くしていただいております」
「その…昨日の馬車の中では大丈夫だったかい?」
ミスリーは少し驚いた顔をして、罰が悪そうな表情を浮かべてみせた。
「お見苦しいところを…申し訳ございません」
「辛かろうに」
ミスリーは小さく首を振った。
「辛くとも耐えなければなりません。伯爵家の使用人だなんて、私にとっては身に余る利運でございます」
ミスリーは左腕をギュッと押さえながらそう言った。叱責のときに暴力を振るわれたように、まるでそこに大きな痛みがあるかのように、左腕を庇ってみせた。すると、バドナ伯爵はまたもやハッとした顔をして眉を顰めた。ちなみにミスリーの左腕には勿論、傷も何もない。元気いっぱいである。
「ひどい叱責があったのか…?」
「い、いえ、そのような…」
小さく首を振って否定するミスリーの辛い痛ましい表情を見て、バドナ伯爵はグッと拳を握りしめた。
「バドナ伯爵家で君を雇うと言ったらどうする?」
「え…?」
―― きたきたきた!!展開早い!よっしゃー!
「そ、そんな…私を、バドナ伯爵家で…?」
「昨日の使用人の男の罵声は聞くに耐えなかった。騎士として、紳士として、放ってはおけない。ニルヴァン家と同等の条件で君を雇い入れたい。どうだろうか?」
ミスリーは目に涙を溜めて、感激をしたように胸の前で手を組み合わせて深く頷いた。目の前にいる悪い伯爵が神様であるかのように、真摯に誠実に、感動をしてみせた。
「…ありがとう御座います。こんなに優しくして頂いたことは他に御座いません。誓います、誠心誠意貴方様に付き従うことを」
バドナ伯爵は満足そうに一つ大きく頷いて、そして声を潜めた。展開がサクサクである。
「君がニルヴァン家で受けた痛み。報復したくはならないか?」
ミスリーは目を見開いて、そして幾らか目の色を暗くしてみせた。この暗い色は演技じゃない。お前から受けたニルドの雪辱を晴らしてやりたいと、心の底から願った色だ。ミスリーはその気持ちを乗せて「…報復したいです」と絞り出すように言い放った。
「…何度も暴力を受けました。使用人として未熟であると…それを正しいことのように振りかざして、何度も鞭で打たれました。私は使用人として誇りを持ってやって参りました。それを汚されたのです」
「痛ましい…。それが正しくあるはずもない」
ミスリーは目の色は暗いまま柔らかく笑った。
「バドナ伯爵様は私の恩人です」
ミスリーの目の色を見たバドナ伯爵は確信をした。彼女ならニルヴァン失墜に全力で協力してくれると。
「ニルヴァン家に恨みを晴らそうではないか。その手伝いを私がする」
「バドナ伯爵様…」
「ミリーよ、ここからは内密に」
「…はい、忠誠を誓った身でございます」
「狙うはニルヴァン家の失墜だ」
「失墜…」
ミスリーが躊躇せずに思案する素振りを見せると、バドナ伯爵はミスリーを信じたのだろう。「ニルヴァン家に弱みはないか?」と聞いてきた。
「弱み、でございますか」
「その弱みを起点として、失墜まで持っていければ君の恨みも少しは晴れるであろう?」
ミスリーは感激したように、また涙を浮かべて深く頷いた。
「ありがとうございます。ですが、弱みらしい弱みは…」
そこまで言って、ミスリーはハッとした顔をしてみせた。
「何か思い当たったか?」
「弱みはございませんが、弱みを作ることなら可能かと」
「申してみよ」
「…あまり大きな声では言えませんが…先日、ニルド・ニルヴァンが調査室に身柄を拘束されたのです」
バドナ伯爵は内心ドキッとしたのだろう。少し肩を揺らしながら頷いた。
「しかし、すぐに身柄が解放されて現在は謹慎中となっております。使用人たちの噂によりますと、調査室で証拠の鑑定を行っているとか…。ですが、鑑定している証拠は偽物ではないかという話です」
「そうか…それでは弱みにはなるまい」
ミスリーは一つ身を乗り出して、囁くように「考えがあります」と言って続けた。
「バドナ伯爵様のお力添えが必要にはなりますが、本物の証拠を提示することが出来ればニルド・ニルヴァンは無罪であれ一旦は裁かれることになるのではないでしょうか?」
バドナ伯爵は眉を顰めて「どういうことだ?」と問い質した。
「聞くところによると、ニルド・ニルヴァンの指示で泥棒が盗んだとされる宝石が一つ行方不明だとか。それと同じものをニルヴァン家の金庫に入れることが出来れば…あるいは」
「なるほど…いやしかし…」
「バドナ伯爵様であれば、事件記録から宝石の種類を調べることができるのではないでしょうか?そしてそれを用意することも」
「出来ないことはないが…」
バドナ伯爵は「ふむ」と考えた。実は泥棒が盗んだとされている行方不明の宝石、これをバドナ伯爵自身が保有しているのだ。
泥棒野郎は、バドナ伯爵家の使用人の友人であった。2ヶ月前、泥棒野郎が捕縛された際に、使用人が『友人の刑期を短くできないか』とバドナ伯爵に相談を持ちかけてきたのだ。バドナ伯爵は騎士団上層部に籍を置くことから、どうにかならないかと頼ってきたのだろう。当然ながら、バドナ伯爵は拒絶して使用人を即日解雇した。
しかし、2ヶ月経って状況が一変した。バドナ伯爵は交換条件を提示し、元使用人を計画に荷担させたのだ。
交換条件とは、元使用人を経由して泥棒野郎の証言を変えさせること。そこで、ニルド・ニルヴァンに指示されて窃盗をしたことにすれば泥棒野郎の刑期も短くなり、ニルヴァン家を失墜させることになると、まさに一石二鳥だと考えて実行に移したのだ。
もはや共犯状態にある元使用人と泥棒野郎とバドナ伯爵。裏切らないという契約の代わりに、泥棒野郎が盗んだ『行方不明の宝石』をバドナ伯爵が保有することにした、というわけだ。
「ミリー。仮に宝石が用意できたとして、どうする?」
「金庫を開けることが出来る人材がいれば、ニルヴァン邸の金庫にそれを入れるのが一番かと…。金庫が置いてある書斎までの手引きは私がやらせて頂きます」
「金庫を開けられる人材か…」
「もしいなければ、ニルヴァン邸のどこかに置いておくだけでも良いかもしれませんが…ですが、その宝石を騎士団に見つけて貰う必要があります」
ミスリーが真剣な目でそういうと、バドナ伯爵はごくりと唾を飲み込んで興味津々といった様子で「というと?」と促した。
「ニルヴァン邸の金庫の中には複数の宝石や紙幣があります。それをいくらか盗むのです」
「盗む…?」
「はい」
ミスリーが三回ほど首を縦に振ると、バドナ伯爵は深く頷いて返した。
「宝石が無くなったことにはすぐに気付くでしょう。するとニルヴァン家が騎士団を呼びます。騎士団が金庫の中を確認すると…」
「なるほど、泥棒が盗んだ宝石が出てくるというわけか」
バドナ伯爵は思慮しているのだろう。しばらく腕を組んでコツコツと人差し指で肘を叩いた後に、「わかった」と覚悟を決めたようだった。
「宝石と金庫が開けられる人材は用意しておく。明日か明後日には決行したいところだが、ニルヴァン邸の警備状況はどうだ?」
「明日であれば、ニルヴァン伯爵は不在です。ニルド・ニルヴァンは謹慎中のため在宅ですが、寝静まった後ならば問題ないかと」
「ならば、明日の夜に」
「はい、かしこまりました」
悪巧みには似つかわしくない日の当たる応接室で、二人は目を合わせて固い握手を交わした。
―― 決行は明日の夜…やってみせるわ!
ニルドを絶対に守る。愛という最大の武器を心に掲げてミスリーは固い握手をもう一つ固く握った。
ありがとうございます。




