最後の最後で
野営地から軍学校に戻り、行きと同様点呼を取ったあとはそのまま解散となる。
長い距離をただひたすら歩き、軍幕を張り、暗闇の中で火の番をし、固い地面で野宿。授業で説明を受けたときには余裕を見せていた特別クラスの面々だったが、実際に演習をこなして戻って来れば皆ぐったりとし息も絶え絶えで、軍学校の門を潜った瞬間、糸が切れた人形のように地面に崩れ落ちた。
「おおっ、たった一日で随分と精悍な顔つきになったな」
軍学校の門で待っていたハリソン教員が私達を見回し、意地の悪い笑みを浮かべている。
演習や遠征にはそのクラスの担当教員が引率するものだが、ハリソン教員は身体的な理由により引率することが出来ず一人お留守番となっていた。
「返事をする気力もなさそうだな。よし、今日はここまでだ。各自寮に戻ってゆっくり身体を休めるように」
演習をお留守番していたハリソン教員が何故締めの言葉を口にしているのかと言えば、この場に教員が特別クラスの担当教員であるハリソンとまだ新人だと口にするツェリ教員しか居ないからだ。
引率していた教員の半数は薬を盛られ昏倒した為、軍医のいる砦で一日経過を観察することになり、無事だった教員達の数名は合流した軍人と現場確認の為に森へ、残りは軍学校について直ぐ生徒達をハリソン教員とツェリ教員に任せ、軍と連携を取るべく砦へ走った。
「寝て、食って、明後日までに身体を回復させておくこと。ほら、立て」
座り込む生徒達の腕を掴んで引き上げ、「動け、動け」と促していたハリソン教員がクルリと振り返り、まだ座っている私とフィン、シルとセヴェリに向かって手招きした……。
昨夜起きたことは既に耳に入っているらしく、眉間に皺を寄せ何やら難しい顔をしているハリソン教員の下へノロノロと歩く。
演習、遠征の翌日は疲れた身体を休める為に休日となっている。寮に戻って温かい食事を腹に詰め込み、身綺麗にしたあとベッドに横になって翌日の昼頃まで惰眠を貪るのが一番だと兄様達は言っていたが、それはまだまだ叶わないらしい。
「お前達は精悍というより、憔悴しきった顔のほうが正しいか」
至近距離で私達をジッと眺めたあとそんなことを口にするハリソン教員に何か言う気力もなく、促されるまま寮とは逆の道へ進む。
「疲れているだろうが、このまま教員室だ。あ、ツェリ教員もこのまま向かいますか?」
「いや、私は少し用事を済ませてから向かうよ」
まだ座り込んでいる数人の生徒達を立たせていたツェリ教員が、私達に向かって「また後で」と柔らかく微笑み、ふらふらと歩く生徒達に寄り添いながら寮へと向かって行く。
その光景を見ながら同じことを思っていたらしく、皆の声を代弁するかのようにシルが「うちの担当教員とは随分と違うよね……」と言葉を漏らした。
「おい、その担当教員って、俺のことだよな?」
「あ……あー、声に出てた……っわ!」
時すでに遅く、何か弁解する前にシルはハリソン教員に捕まり、首元を腕で絞められている。
「いいか、あの御仁と比べたら誰でも凡人になるんだよ。あれは元帥と同じで特殊な人間だと、よく覚えておけ」
「凡人とか特殊とかそういうことじゃ……っ、苦し……!」
「よーし、俺の素晴らしさが分かるまでこのままだな」
「……スバラシサ?」
「そうかぁ、シルヴィオはそんなに俺に構ってほしいのかっ!」
「むぐっ……ぷは、ちょっ、誰か助けて!」
「さあ、素晴らしく優しい俺が、このまま教員室まで連れて行ってやるからな」
「嘘でっ……待って、あっ、セヴェリ……!」
「……は?シル、その手を離してください」
「いやいや、離すわけがないよね?道連れだから!」
「よし、行くぞー」
ハリソン教員に引き摺られながらシルは喚き、そのシルにセヴェリは上着の裾を掴まれ一緒に引き摺られて行く。街に戻り、軍学校に近付くにつれ顔を強張らせていた二人だったが、今はもう普段通りの彼等に戻っている。
「腕を、退けろ、っ」
「そう嫌がるな。運んでやるって」
「っ、シル。上着がっ!」
「上着より、私の方が大事だろう!?」
「ほら、二人共ちゃんと歩け」
シルとセヴェリの顔色が悪いことにハリソン教員が気付き、敢えてあのような言動をとっているのであれば、本人が口にするように優しく素晴らしい教員なのだろうが……。
「ただの腹いせにしか見えないな」
「へ?それでしかないよね?」
あれは間違いなく腹いせだと断言するフィンと顔を見合わせ頷き、先を歩く三人を小走りで追いかけた。
※
教員室には扉から奥まったところに来客用スペースがある。来客と言っても態々辺境の地にある軍学校に用がある者はそう居らず、訪れる者といえば毎年何度か行う講義の為に呼ばれた軍の高官か、監査や私用で王都からやって来る管理職くらいだろう。
教員が普段使用している机や椅子、休憩用の長椅子を素通りした先の衝立の奥には、身体が大きな軍人でも楽に座れるよう配慮された大きなソファーがガラステーブルを挟んで二脚と、一人掛けのソファーが一脚置かれている。
「既にスレイランには砦から使者を、王都にも報せを送ってあるわ。身柄を拘束されたスレイランの者達はランシーン砦に軟禁され、国と国との交渉が済み次第解放されることになるのだけれど」
この来客用スペースで普段から勝手に昼寝をしているハリソン教員が「素晴らしいベッドだ」と自慢するだけあり、身体が沈むほどふかふかなソファーは疲れ切っている私達を駄目にする代物であった。
だが現在眠気を必死に堪えながらそのソファーに四人で座り、向かい側に座る年配の女性、高学年クラスを担当するエイダ教員からこれからのことについての説明を受けている。
「王都から何かしらの指示、又は人が送られてくるとしても一月は掛かるのよ。それが到着するよりも早くスレイラン側から使者が訪れ、捕らえられているのが王族だという理由で急かされ、まともな交渉など出来ず解放を要求されるのが目に見えているわ」
罪を犯し捕らえられたとはいえ、それが他国の王族となると軍や軍学校にどうこうする権限はなく、王都からの指示を仰ぎ行動する必要がある。それは向こうも同じらしく、だからこそこちらが何も出来ないうちに迅速に動き、損害が少なくなるよう動くのだとか。
「でもね、運が良いことに、今この街にはフィルデ・ロティシュと、アイヴァン・ツェリの両名が揃っているのよ」
「御爺様とツェリ教員、お二人が揃っていると何かあるのですか?」
「あの二人には国王陛下がある程度の権限を持たせているのよ」
王都から離れたこの辺境の領地では、フィルデとアイヴァンという前領主に限り王族と同等の権限を行使することが許されていると聞き驚く私に向かって、エイダ教員は「だから返り討ちにしてやるわ」とニッと口角を上げる。
「初めて聞きました」
「それはそうよ。二人が同意しなければ行使できない権限なんて、王都と辺境とで二人が離れていては使えないもの。だからこそこうして二人が揃っている今が好機よ。私達が手を打てないうちにと、スレイランからは外交関係を掌握している優秀な第三王子辺りが乗り込んでくるのでしょうけど、こちらは準備万端で迎え撃てるわ」
「……兄上、っ、第三王子が自ら交渉にやって来るのであれば、こちらも王族を交渉の場に出す必要があるのでは?」
王族が自ら出席する会談や交渉には同等の地位を持つ王族を、というのは定石だ。同盟国や友好国ならまだしも、諍いが絶えない国との交渉の席であれば、片方の国の王族に何かあってはならないようもう片方の国の王族も出席を求められる。こういったとき面倒ではあるが、身柄を拘束され人質に取られないようにといった配慮なので仕方がない。
王族であるシルがそれを知らないわけがなく恐る恐るエイダ教員に訊ねると、ちょうど冷たい紅茶を淹れて持って来てくれたハリソン教員が呆れたように口を開いた。
「何を心配しているのか知らないが、この街には権限を持つ前領主の二人だけでなく、王族である第二王子殿下だっているだろうが」
「……あっ!」
すっかり忘れていたが、此処にはレナートがいる。王太子であるルドもそうだが、王族であればまだ成人前であったとしても政務の補佐や公務を行うことは珍しくはなく、あの実力主義のスレイランでは成人前から各自色々と手を出していると噂に聞く。
「交渉の場にはシルヴィオとセヴェリーノ、怪我を負ったセレスティーアも同席してもらうことになるわ。詳しい日時等はハリソンから追って知らせるとして、あとはこれを」
ガラステーブルに用紙が並べられ、その側にペンと朱肉が置かれた。
促されるまま用紙を手に取り、一番上にある同意書という文字を読み納得する。
「今回の件は軍事機密となり、口外することは禁止されます。その用紙にはそれに同意する旨が書かれているので、隅から隅まで読んだあとでサインをしてちょうだい」
破れば罰則、退学もあり得ると書かれている内容を読み進め、サインをしてから親指に朱肉を付けて判を押す。
同意書の他に始末書といったものもあるとダンが言っていたが、まさか自分もこのようなものにサインをすることになるとは思ってもいなかった。
そんなことを考えていれば、用紙を回収したハリソン教員がエイダ教員に目配せをし、目尻を緩めたエイダ教員がシルとセヴェリに顔を向けた。
「貴方達二人は身分を伏せ留学といった形で軍学校にいます。なので、卒業するまではアドーテというこの国の男爵位を持つ者として生活するように」
「留学……」
「それは、今迄通り此処に居ても良いということでしょうか……?」
「良いも何も、そのように手続きが済まされているのだから何も心配することはないわ」
「だそうですよ、シル」
「卒業……を」
「もし此処に残りたくないと言うのであれば、交渉のときにでも」
「違っ、いえ、此処に居たいです……!」
ぼうっとしながらエイダ教員の言葉を反芻していたシルが突然大きな声を出し、それに驚いたエイダ教員がふっと笑ったあと「でも」と言葉を続ける。
「軍学校の生徒だからといって危険なことがないわけではなく、演習や遠征先で他国の軍や騎士、間諜と鉢合わせることもあるわ。それに、今回のように囮として使われることだってあるの。それに対して私達は謝罪の言葉を口にするかもしれないけれど、それが必要だと思えばまた同じようなことをすることもあるでしょう」
「それは軍学校に入る前に同意していることです」
「それでも実際そういった目に遭えば、恐ろしくなり軍学校を離れる子もいるのよ」
「恐ろしくないわけではありません。でも、それでも私は此処に残って、セヴェリやセレス、フィンや他の者達と一緒に卒業したいです」
「それなら、もう何も言わないわ」
膝の上でギュッと握り締めていた拳を掲げてセヴェリと喜ぶシルを見つめながら、良かったと小さく息を吐き出す。身体の力を抜き、ふかふかのソファーに身を委ね、これでやっと終わったとそう安堵したとき……。
「よーし、そろそろ砦からニック大佐が来るから、怪我をしている者は正直に話してみてもらうように!」
ハリソン教員が発した言葉を耳にした瞬間、血の気が引きギチッと身体が固まった。
「ニック大佐?」
初めて聞く名に首を傾げたシルに、ハリソン教員が何やら説明を始めたが、私はそれどころではない。
(だって、ニック大佐が、此処に、来る……!?)
野営地ではお説教を回避できたと安堵したのも束の間、まさか此処で再度登場するとは夢にも思わず、どうすればよいのかと必死に頭を働かせるが良い案など全く浮かばない。
そうなればもう兎に角逃げるべきだと頭の隅で警報が鳴り響く。
冷や汗をかき、何かに追い立てられるように腰を上げようとするが、何故か腕を掴まれ身動きが取れずにいた。
「シル……」
腕を掴んで離さない犯人はシルで、離せと腕を振ると何やら楽しそうにしている……。
「良かったね、セレス。凄いお医者様が診てくれるって」
自身の友であるニック大佐はとても優秀な医師だと、ハリソン教員がそうシル達に説明したからか、キラキラと瞳を輝かせ良かったと口にするシル。
確かに凄いお医者様ではあるが、その分口が悪く、底意地も悪いのだとは言えず、冷や汗が止まらない。
「い、痛みはないので、私は先に寮に戻ろうかと」
「えっ、セレス?」
「腫れていますが?」
「冷やせば大丈夫だ……」
「駄目だよ。剣を握れなくなったらどうするの?」
「そうですよ。他にもどこか怪我をしていないか見てもらうべきです」
心配してくれているのは有難いことではるが、二人はあの人の怖さを知らない……。
これが名誉の負傷であれば軽く鼻で笑われ未熟者がとネチネチ言われる程度で済むが、規則を無視し、自己判断で勝手なことをして怪我を負ったのだから小言で済むわけがない。
砦でのニック大佐を思い出して肩を震わせていると、隣に座るフィンが私の顔を覗き込み「ひっ」と小さく悲鳴を上げた。
「……っ」
腕を掴んで離さないシルと、怪訝な顔をしながら私の手を見つめるセヴェリ。
この二人さえどうにかすればと、内心凄く焦りながら何とかこの場から逃げようと試みようとするが時すでに遅く、教員室の扉が開く音が聞こえ。
「態々私を呼びつけた馬鹿者はどこだ」
聞き慣れた低音の、腹の底から唸るような声にビクッと肩が跳ね、すぐさまシルの腕を振り払いソファーの後へと身を隠した。
――コツ、コツ、コツ。
これでどうにかなる筈もなく、それどころかこれは悪手だと分かっていても身体が勝手に動いてしまった……!
――コツ、コツッ……。
段々と近付いて来ていた靴音が止み、ひっそりとした教員室。
直ぐ側にシルやセヴェリ、フィンがいて、エイダ教員とハリソン教員だっているのに物音ひとつせず、伏せていた顔をそっと上げ、後悔した。
「はっ、怪我をしたと聞いたが、随分と元気そうだな」
「……ニ、ニック大佐」
「安心しろ。態々この私が出張してきたんだ。じっくり、ゆっくりと経緯を訊きながら治療をしてやる」
襟首を掴まれ教員室にある長椅子に引っ張られ、懇々とお説教が始まる。
手は痛いし、ニック大佐は怖いし、蓄積された疲労も相俟ってまるで子供のようにシクシクと泣きながらずっと言い訳を口にしていた。
後日、ハリソン教員からエイダ教員が御爺様のバディだったと聞き、驚くよりも納得した。
ニック大佐に叱られている最中、唖然としているシル達とは違い、エイダ教員は足を組みながらとても良い笑顔で私を眺めていたからだ。
御爺様とソックリだと思いながら、ニック大佐に丁寧に治療された手をそっと撫でた。




