心の安寧
「様々な要因があり、奇跡が起こり、重大な怪我もなく命がある。こんなことは奇跡だと、ただ運がよかっただけだと、そう思ったほうがいいのは確かだ。私は君達の教員というだけの立場だからこうして冷静に話すことができ、これも経験だと言えるが、家族は違う。きっと、安否が分かるまでは凄く恐ろしかっただろう」
そう言いながら御爺様に一瞬目を向けたツェリ教員が、黙ったままのシルとセヴェリの頭をくしゃくしゃと撫でた。
「遠く離れた地で、君達の無事を祈っている人達がいる。その人達の想いを無駄にしないように。悲しい思いをさせ、後悔させないように」
コクリと頷いたシルとセヴェリに優しく微笑んだツェリ教員が、「後のことは街に戻ってからだ」と二人の頭から手を離すと、シルの目からポロポロと涙が零れた。
「私が、私の所為で、ごめん、ごめんね……セレス……っ」
シルが私の腕にしがみつき、涙を流して謝罪の言葉を何度も口にする。
普段こういった弱みを見せず飄々としているシルとは大分違うが、これが本来のシルで、まだ十四歳という年相応の姿なのだろう。
「シル。もういいから」
「っく、っ……ううっ、っ」
「シルの所為ではないから、ほら、落ち着いて……セヴェリ?」
泣き止まないシルの肩を摩っていれば、顔を歪めて必死に泣くのを堪えているセヴェリが、私に向かって深く頭を下げた。
「すみませんでした。それと、助けてくれてありがとうございました」
「……いや、だから」
「ごめんね、ごめん……っ」
「ああっ、もう、目が腫れるぞ」
何度目元を指で拭っても涙を零すシルと、頭を下げたまま微動だにしないセヴェリ。
どうすればいいのか分からずツェリ教員を仰ぎ見ると、ニコニコと微笑ましげに私達を眺めているだけで……。
「シル。無事でよかった」
「うん、うんっ……ありがとう」
「セヴェリも、よく頑張った。お疲れ様」
「……はい」
やっと泣き止んだシルの背中を軽く叩きつつ、セヴェリの後襟を掴んで顔を上げさせる。
軍幕の手前で私達がそんなことをしている間に、ニック大佐やルジェ叔父様、それと御爺様の姿は見えなくなっていた。
「フィン……!」
「え、ええっ、うわっ……!」
心配をかけたからとフィンが待つ軍幕に走ったシルは、私達に気付きほっとした顔をみせたフィンに抱きつく、「ありがとう」とお礼を口にする。
「待って、何、誰……!?」
「誰って、たった数時間でぼけたの?」
「わ、シルヴィオ本人だ」
「……は?」
素直なシルに驚いたフィンの確認の仕方が斬新過ぎると、私とセヴェリが咳払いをしながら笑いを堪えていたら、振り返ったシルに睨まれてしまった。
目も鼻も真っ赤なシルが睨んでも少しも怖くないと思いながら、私とセヴェリも軍幕の中に入ると、シルに頬を引っ張られていたフィンと目が合った。
「ふあっ、あっ、ふああ……!?」
「……シル。フィンの頬から手を放せ」
「っ、セレスティーア……か、髪が……」
「髪よりも痛めた手首の方が重症だ」
「手首……って、あ、さっきまでお医者様が、まだその辺にいるかもしれないから」
慌てて軍幕を出て行こうとするフィンの肩を掴んで止め、そのまま腕を引っ張って抱き締めた。
「セ、レスティーア……!?」
「フィン。助けを呼びに行ってくれてありがとう」
「僕は、何も。一人だけ安全なところにいたし……」
「怪我もなく、無事で良かった」
「……セレスティーアは、怪我をしたじゃないか。髪だって、女の子なのに」
「こんなもので済んだのは、フィンがダン達と早く合流できたからだ」
「……」
一度ギュッと力いっぱい抱き締めて複雑そうに笑うフィンから離れると、私と入れ替わるようにセヴェリがフィンを抱き締めた。
「ひっ……!?」
「助かりました」
「えっ、うん」
「感謝しています」
「あ、うん。無事で良かった」
シルに続きセヴェリにまで驚かされているフィンがおかしくて、シルと顔を見合わせて笑った。
大分予定は変わったが、演習は一先ず終了し街に戻ることになった。
他の生徒達には詳しいことは伏せられ、スレイラン国の者と少し諍いがあったとだけ説明された。
他国との諍いなど日常的に起きる街で育った一般クラスの生徒達であれば、その説明にそうかと納得して直ぐに忘れてしまうのだろうが、此処に今いるのは貴族を集めた特別クラスの生徒達。教員の説明を怪訝な面持ちで聞いていた生徒達だったが、スレイランの王族を保護したと聞くと何かを察し、誰もが口を噤んだ。
こうして今回の事は一応幕を閉じたかと思っていたのだが、どうやら甘かったようだ。
軍幕を片付け、街に戻る為に野営地を出ると、そこには待っていたかのように御爺様が立っていた。隣にはツェリ教員もいて、二人は最後尾を歩く私達の班の後に付き、小声で何か話していたのだが、気付けば何故か御爺様は私の隣に立ち歩幅を合わせて歩いている。
他の人達と先に馬車で街に戻ったとばかり思っていた私は、御爺様がまだ残っていたことに驚き、周囲の者達は御爺様を見てサッと顔を逸らしてしまう。
「……あの、御爺様」
「……」
「御爺様?」
「……」
何か話があるのだろうかと暫く様子を窺いながら歩くが、御爺様は前を向いたままずっと無言で歩いていて、私がこの重い空気に耐えられず呼び掛けてしまったのだ。
「御爺様、あの、疲れていませんか?まだ街まではずっと距離があって、その……」
「……」
「お身体に負担が」
「……」
「馬車か馬を」
「……」
「ぶはっ……!」
どう何を話せばよいのか分からず、ただひたすら思いついたことを口にしていたら、御爺様の後を歩いていたツェリ教員が、噴き出した……。
「ふはっ、ふっ、あはははは、はははは……!まさか、フィルデが身体の心配をされるとは、っ、はははっ!」
「煩い、黙れ」
「これが黙っていられると?ふっ、ふは!」
「おい」
「私とフィルデは同じ歳だよ?それなのに、君だけ心配されるなんて……ふふっ、はっ、ふは……!」
「お前には身体の心配をしてくれるような孫がいないだけだろう?」
「それはそうだけれど、フィルデだよ?あの、百回刺しても死なないと言われている、フィルデだよ?」
「刺されたら死ぬだろうが」
「でも実際に脇腹を刺されて血を流していても、平然と剣を振っていたと聞いたが?」
「剣を振らなくてはならない状況だっただけだろう」
「だから他国からは血も涙もない戦闘狂と呼ばれているんだよ。でも、その戦闘狂のこうした姿を見られただけで、此処に来て良かったと思ったよ」
「……普段通りだが?」
「そうだね」
「相変わらず、面倒な男だな」
「フィルデも、相変わらず家族に甘い男だ」
喧嘩なのか友達同士のただのふざけ合いなのか、珍しい二人の姿を眺めていれば、まるで悪戯っ子のように楽しげな笑みを浮かべたツェリ教員が、私の耳元に顔を近付け囁いた。
「フィルデは君のことが心配で、こうして離れられずにいるんだよ」
それを聞いて目を見張り、それで……と御爺様を見上げれば、眉を顰めた御爺様がツェリ教員を睨んでいた。
馬車や馬で戻らず、こうして長い道のりをただ一緒に歩いているのは私を心配してのことだと気付き、急に涙腺が緩み視界が滲んだ。
ニルス達と対峙したときも、シル達と森の中を逃げ回っていたときも、スレイランの騎士に斬られそうになったときだって、恐ろしくはあったが一度だって泣き言を吐かず、涙も零さなかった。
「おい、俺の孫に何を言ったんだ」
「これほど余裕のないフィルデを見たのは初めてだと、そう言ったかもしれない」
「お前な……」
「あぁ、本当に此処に来て良かった。これほど愉快なことが待っていると知っていたら、もっと早く騎士団を引退していたよ」
「自分の領地に引っ込め、このジジイが」
「ジジイがジジイにそういうことを言ってはいけない。ねぇ、セレスティーア」
「俺の孫だ、馴れ馴れしいぞ!」
「怖い、怖い」
下を向いて泣く私の肩を御爺様がそっと優しく撫でてくれて、それが嬉しくて嗚咽を零しながら泣き続けた。
そんな私の姿に気付いていない振りをしていたシル達だったが、ツェリ教員が「スレイランの第三王子に貸しも作れたし」と嬉しそうに呟いた声が聞こえたのか、バッと振り向き青褪めた顔で何やらあたふたしていたと、後からフィンに聞いた。
それに関しては、可哀想だが自業自得だと思って諦めてほしい。




