アイヴァン・ツェリ
今から四十年以上前。
王位継承争いが激化し国が荒れていた時期、まだ成人前だった末の王子が国の行く末を嘆き、武に優れたロティシュとツェリの二家に助けを求めた。軍人と騎士という別の道に進んでいた二家の嫡男達は王子の懇願に救いの手を差し出し、激動の時代を駆け抜け継承権の低かった王子を国王にまで押し上げたという。
これはラッセル王国では幼子が寝物語で聞かされるほど、とても有名なお話だ。
御爺様がクーデターと称していたように、前国王や国王派の貴族達を全て排除し、新しく国王を挿げ替えるという中々に苛烈で残酷な内容なのだが、民の間では美談として広まっている。
このお話に出てくる主要人物は三人。
まだ幼かった頃の現国王陛下、一介の軍人であった御爺様。
それと、国に忠誠を誓っていた若い騎士。
この騎士が数年後には全ての騎士を束ねる騎士団長となり、数十年もの間、国王陛下を側で守り支え続けてきた。
「自己紹介が先だろうか。初めまして、君達の剣術を指導する教員となったアイヴァン・ツェリだ。よろしく」
ランシーン砦、軍学校があるトーラスをロティシュ家と共同で管理しているツェリ家の前当主。騎士団長を引退すると同時に息子に爵位を譲り、残りの余生は軍学校で教員をするのだと口にして実行してしまった人。
領地が近く家族ぐるみで親交があった御爺様とツェリ様は幼馴染で、御爺様はただの悪友だと苦い顔をして語っていたが、実際は仲が良すぎて御婆様が嫉妬することもあったらしい。
「入学してまだそう経たないというのに、もう三人も実践訓練に入るとは……。君達はとても優秀なのだな」
「……っ」
「そう緊張しないでくれ」
背中まで伸ばした金の艶やかな長い髪は紐で緩くひとつに縛られ、捲られた白いシャツの袖から覗く上腕二頭筋から目が離せない。
背が高く、腰も足も細く見えるが、恐らく相当鍛えているのだろうと私は感嘆の声を漏らしていた。
しかも、困ったように微笑みながら甘い声でゆったりと話すツェリ様はもう全てが上品で、相槌すら優しい。
若い頃は求婚者が列を成し、今でも衰えない美貌は年齢関係なく女性を虜にするという噂は納得のいくもので、ツェリ様の凱旋式や祝宴での肖像画が本人の許可なく描かれ高額で取り引きされているという噂は嘘ではないのだろう。
「困ったな」
訓練場に足を踏み入れて真っ先に目にしたツェリ様は剣を振っていた。
無駄がなく舞っているかのように動きながら振られる剣に見惚れ、無言で立ち尽くしていた私達にツェリ様が気付き、こうして先に話し掛けてくれたのだが……三人共緊張と感動でただ頷くだけになっているのだから困ってしまうだろう。
「……セレス、困らせているから返事を」
「無理だ」
トン……とシルの肩が私の肩にぶつけられ、そのまま最小限に口を動かし小声で返事の押し付け合いが始まった。
憧れの御仁であるツェリ様とできることなら色々お話がしてみたい。訊きたいことだって沢山あるのに、脳と口が機能していないのだから仕方がない……。
「普段からあのフィルデ様を見ているのに……?」
「あのフィルデ様と言われても、私にとっては御爺様だ」
「それなら、御爺様に接するようにすれば良いだけでしょ?」
「御爺様が尊敬する師だとしたら、ツェリ様は神だ」
「……」
絶句するシルに小さく頷く。
御爺様だってとても有名な方で、ツェリ様に容姿も経歴も引けを取らないとは思っている。
でも、身内だから緊張はしないし、見惚れることもない。
「では、君達にも自己紹介をしてもらおうか」
名案だと瞳を輝かせたツェリ様に心臓が激しく痛み、隣に立つシルの背中を音が鳴るほど叩いて先にどうぞと促す。
「っ、けほ……、シルヴィオ・アドーテと申します。お会いできて光栄です」
「アドーテ……確か、男爵家だったな?」
「ご存知なのですか……?」
「これでも騎士団長をしていたからな、貴族の名や特徴くらいは覚えているよ。そこまで詳しくはないが、とても豊かな良い領地だと記憶している」
「……ただの成金だと蔑まれることが多いので、嬉しいです」
一瞬シルが警戒していたように思えたが、成金だからと嫌な顔をされるのではないかと身構えたのかもしれない。
「次は……」
「セヴェリーノ・アドーテと申します。これからご指導よろしくお願いいたします」
「君達は」
「従弟です」
普段からあまり動じないセヴェリも、流石にツェリ様相手では平常心を保てないのか顔の筋肉がいつも以上に仕事をしていない。
「では、最後が君だな」
私の番だと促される声に伏せていた目を上げたのだが……。
「セレスティーア・ロティシュだな?」
目が合った瞬間ツェリ様にふわっとした笑みを向けられ、止めとばかりにとても嬉しそうに私の名が呼ばれた。
「セレス、セレス……呼吸して、ほら、吐いて、吸って!」
「私が代わりに挨拶をしておきましょうか?」
「……っ」
「大丈夫、ツェリ様は待ってくださるから。セヴェリ空気を読んで……」
「ですが……」
私を挟んでシルとセヴェリが揉めているが今はそれどころではない。
自身の口から挨拶をする権利を渡してなるものかとゆっくり呼吸し、姿勢を正す。
髪は乱れていないか、服装はおかしくはないか……と頭の中で色々と考え不安になりながらも口を開いた。
「セレスティーア・ロティシュと申します……うっ!?」
貴族の令嬢として散々練習した笑顔の仮面を装着し、優雅に礼をしながら完璧に遣り遂げようと思っていたのに。
「やはりフィルデに似ているな。会えて嬉しいよ」
ぐいっと私の方へ身を乗り出したツェリ様に驚いて妙な声が出てしまった。
「こちらこそ、お会いできて光栄です」
「そう堅苦しくなくて良い。いつか、いつか、と言われ中々紹介してもらえなかった。息子達は良くて、孫が駄目な理由が分からない」
我が家の女性は皆ツェリ様派だからとは口にできず、曖昧に笑って誤魔化した。
「では、これからの予定を確認する。週に三日、午後は第三訓練場である此処で剣術の基本的な指導を行う。残りの四日の内、二日は今迄と同じように手入れや馬の世話、上級生の訓練の見学を行い、あとの一日は体術か乗馬となる。何か質問はあるか?」
「指導内容はどういったものなのでしょうか?」
「剣術だけで言うなら正確性を重視した型や素振りだな。利き手だけでなく、両方の手で扱えるようになってもらう。二年目からは演習や遠征があるので狩猟も行っていく予定ではいるが、コレに関しては君達次第だ」
「訓練で使用する武器は?」
「ダミー武器を使用する。メイン武器はあとで各自手に馴染む物を選んでもらい、サブ武器は入学初日に支給された物を使用する」
「サブ武器ですか?」
「接近戦となれば長剣を捨てサブ武器に持ち替えることがある」
「剣を捨てて……」
「騎士団であったら騎士の誇りである剣を手放すなど……と推奨されないが、此処は戦争が始まれば真っ先に最前線となり、その前線で戦う軍人を育成する学校だからな。誇りも大事だが、それよりも重要なものは命だろう?」
貴族の子息であれば幼少の頃から騎士を引退した者を雇い剣術を学ぶ。
だからこそ、剣をぞんざいに扱ってはならないと習っていたであろうセヴェリが驚くのも無理はない。騎士と軍人とでは戦う場所も戦い方も異なる。
違うからと柔軟な考え方ができるツェリ様が尊いのだ。
それと、先程から淡々と一人で質問し続けているセヴェリが凄い。
「支給されていましたが、今日は持ってきていません」
「まだ使わないから構わない。必要になれば私から声を掛けよう」
「分かりました」
「他に質問は?二人は何も訊かないが、良いのか?」
微笑むツェリ様に、シルが「では……」と真剣な眼差しで口を開く。
「前騎士団長であられたツェリ様の、軍での階級はどの位置なのでしょうか?」
一瞬真顔になったツェリ様からシルへと視線を移すと、凄く良い質問をしたと言いたげにシルの得意顔が私に向けられていた。
「それは面白い質問だな……此処での階級など訊かれたことがなかった」
そこに疑問を持つのは恐らくシルくらいで、そんな奇特な人間がもし他に居たとしても恐れ多くてツェリ様に直接訊ねることはない。
「まだ階級について習っていないと思うが、知っている者は?」
「……私が」
首を横に振るシルの代わりにそっと片手を上げて答える。
「上から、元帥、大将、中将、少将となり、ここまでが幹部クラスです。そこから下は大佐、中佐、少佐で、これらは一部隊を任せることができる者達です。更に下に大尉、中尉、少尉、一般兵になると聞きました」
「情報元はフィルデだな?」
「はい。軍学校へ入る前に三年間ランシーン砦に居ましたので、そこで教えてもらいました」
「……君が、砦に?」
驚くツェリ様に苦笑しながら頷く。
シルとセヴェリにも驚かれはしたが、ロティシュ家なのだからと簡単に納得されてしまった。
「ロティシュ家の教育は凄まじいな」
そして、昔から御爺様を知っているツェリ様も素直に納得してしまうのだからロティシュ家は性別関係なく生粋の軍人一族なのだろう。
ですが、御爺様やお父様の教育ではなく、実際はただの家出です……。
「話が逸れたな、私の階級だが」
元帥が御爺様で……正確には引退した元元帥なのだが、ツェリ様なら大将、もしくは二人目の元帥という可能性が考えられる。
「軍学校の一教員となっている」
元帥か大将とツェリ様の口から出ると思っていた言葉は別物で、「ん?」と三人同時に首を傾げた。
「いえ、軍人としての階級なのですが……」
にこにこしながら私達を眺めているツェリ様の回答に理解できずにいると、意を決したシルが再び質問しなおしてくれたのだが。
「階級はない」
王族の警護から王都の防衛、全ての騎士を束ねていた国で一番か二番を争うほど有名なアイヴァン・ツェリ様が、まさかの階級なし。
唖然とする私達は、訓練後に三人揃ってハリソン教員の元へ駆け込むことになった。




