フロイドの選択肢
アームル侯爵家は、ラッセル王国初代国王の宰相を務めたロンド・アームルを祖とし、何代にも渡り宰相を輩出してきた。
現国王が即位するに至ったクーデターでも、情勢を考え、機を見て的確に判断した結果、現国王派として行動したアームル家の次男が宰相の職に就いている。
そう、長男ではなく次男が……それはアームル家では特段珍しいことではない。
貴族の子息達は一般的に、跡継ぎである長男以外は学園を卒業するまでに自身の身の振り方を考えておかなければならない。
下級貴族の大半は官僚職の下っ端か騎士団の団員となり、上級貴族は中枢で部下を使う官僚か、王族の護衛騎士となることが多く、領地を持って入れば分家として新たに爵位を貰い受けることもある。
家の跡を継ぐ為に幼い頃から重圧をかけられている長男が優秀なのは当然として、アームル家の子息達は皆、知識は財産であり、最終的に頼れるのは己の力のみだと教わり、侯爵家の財力や権力を惜しまず使い自身を極限まで磨く。
手広く様々な分野を追求するのであれば、自由な時間が多いほうが良い。
当主としての勉学もある長男より、爵位を継げない子供達の方がより優秀な者になることが多いのは必然であり、ロンド・アームルや、現宰相ドレア・アームルが良い例だろう。
努力なのか才能なのか、アームル侯爵家はあと数十年安泰だろうと思われていたが、フロイドの父であるグラント・アームルの代から歪みが生じ始めた。
政変直後、グラントの父であるアームル侯爵家当主は、それまでの心労がたたり若くして亡くなった。跡継ぎであるグラントはまだ幼く、叔父であるドレアが宰相と一時的に侯爵家当主を兼任することになる。
多忙を極めたドレアはグラントの教育にまで手が回らず、それによってアームル侯爵家の教えを受けなかったグラントは典型的な上級貴族の子息として育ってしまった。
月日は流れ、グラントに二人の息子が誕生した。
長男であるカインは侯爵家の跡継ぎであり、次男のフロイドは……と考えたとき、グラントと夫人は、フロイドは当然宰相になるものだと思っていた。
その為、五つも歳が離れているカインよりも劣ることは許されず、身の丈に合わない教育を施されることとなった。ときには現宰相であるドレアの功績すら話題に上げられ比べられることもあり、まだ足りないと首を横に振られる。
些細なことでも褒められる兄を眺めながら、当然のように難易度を上げられていくフロイド。
親としての愛情はあるが、情はない。アームル侯爵家の次男に産まれ、将来は国王を支える宰相となるのだから幼少期の教育は大切なこと。
だからこそ、グラントと夫人はコレが間違っている事だとは微塵も思っていなかった。
「どういうことだ……?」
鉱山関連の政治的な婚約話を持って侯爵家を訪れたドレアは、久々に顔を見たフロイドの異変に気づき、眉を顰めた。
最後に会ったときよりも大きくなったフロイドは、余計なことを一切話さずただ頷くだけで、ドレアや両親の顔色を窺いながら愛想笑いを浮かべる子になっていた。
まるで人形のようだと思いながらドレアはグラントと夫人を問い詰めたのだが、二人が語った内容に驚愕しつつ頭を抱え「……私の所為か」と小さく呟いた。
ロンドとドレアは宰相となるよう道を敷かれたわけではない。教育課程の途中で偶々政治関連に興味を持ち、そちらへ進む為に自主的に行動した結果だ。
現に、アームル家には学者や教師、騎士や商人になった者だって多数いる。
それに、宰相なんてものは名ばかりで、王や国の小間使いの一人にすぎない。
自己犠牲を厭わず、数字と金と人を動かすことに人生の価値を見出せる者でなければとてもじゃないが宰相なんてやっていられない。
だというのに、フロイドは「将来は宰相になります」と決定事項のように語る。
何か他に好きなことはないかと探るも、勉学や剣術、文芸や美術に音楽と……そのどれにも興味はなく、やるべきことだからとただこなしているだけだと言う。
このとき初めて、ドレアは婚約話を持ってきた国王を心の中で称えた。
この縁談が纏まれば二大軍事貴族の領主補佐という道が出来上がる。
恐らく、ロティシュ家の一人娘であるセレスティーアが当主となるのは当分先となる。それまでは学園を卒業したあと中枢で官僚、もしくは宰相補佐として仕事をしながら好きな分野を模索するのも悪くはない。
仮婚約はあくまで仮のもの。
成人後に再度契約を交わし、双方が印章を押して婚約成立となる。それまでの間に何が起こるかは誰にもわからないのだから、道は沢山あったほうが良い。
多忙を理由に婚姻を避けてきたドレアにとって、グラントは息子であり、その子供達は孫みたいなものである。可能なら、幸せだと思える人生を歩んでほしい。
「沢山学び、心引かれるものを探しなさい」
「はい」
ドレアは小さく頷いたフロイドに微笑みかけ、ソファーで小さくなっているグラントに何時間もかけてみっちりとアームル侯爵家の教えを説いた。
フロイドとセレスティーアの顔合わせも終え、仮婚約が成立し、社交シーズンで王都の別宅に滞在している間に双方の屋敷を行き来し頻繁に交流を持つことにした。
気が弱く口数が少ないフロイドを侯爵夫妻は心配しながら見守り続け、何とか順調にいっていると思っていた矢先。
「……怒らせた?」
大事な日だからと朝からロティシュ家の屋敷に出掛けていた息子が、何故か昼前に戻って来ていた。フロイドはセレスティーアと一緒に昼食を取ったあと、観劇に向かう予定だった筈だと侍従に確認に向かわせ、その報告内容に言葉を失った。
よりにもよって婚約記念日に、直接手渡さなくてはならない花束を侍従に任せ、フロイドは呑気にお茶を飲んでいたと言う……。
「ミラベルが、セレスティーアに直接渡しづらいのであれば、カードを添えて侍従に頼めば良いと……」
「……」
潰れた花束を抱えながら落ち込むフロイドにどう声をかけるか悩んだグラントは、次に会ったときに心を込めて謝罪するよう進言した。
子供の喧嘩なのだから直ぐに仲直りするだろうと、甘くみていたのだ。
その翌日から数年間、セレスティーアとは一度も会えず、手紙の遣り取りすらない状態になるとは、アームル家の誰も予想していなかった。
「僕に……手紙?」
フロイドは真っ白な封筒を侍従から受け取り、目を瞬いた。
直接手紙の遣り取りするような親しい知人は居らず、茶会の招待状かと首を傾げるも、学園への入学準備があるので今年の社交は夏で終えている。
偶に届くミラベルからの手紙は、王都で流行している淡い色の封筒にレースや花が装飾された物だから一目で分かる。
だとしたら、もう直ぐ入学する学園からか、王太子殿下の側近候補関連だろうと封筒を裏返し、見覚えのある封蝋を目にした瞬間、フロイドは顔を強張らせた。
「セレスティーアの……」
もう何年も会っていない、婚約者からの手紙。
婚約記念日に怒らせたことで嫌われたのか、それ以降社交シーズンになっても王都へ来ず会うこともままならない。
彼女とは婚約してから交流を目的として頻繁に顔を合わせていたが、只々苦しい時間だったのを覚えている。
「……母上にコレの報告は?」
「大変喜ばれておりました」
「……わかった。もういいよ」
侍従を下がらせ、封筒の隙間にペーパーナイフを差し込んだ。
手紙なんて初めてではないだろうか……?
フロイドも何度かセレスティーアに手紙を書こうとしたが、何を書けば良いのか分からず結局ペンを置いてしまった。
フロイドはセレスティーアを嫌っているわけではない。
ただ、苦手なのだ。
凛とした彼女特有の雰囲気は居心地悪く、真っ直ぐ見つめてくる眼差しの強さにわけもなく目を逸らしてしまう。
場の空気を和ませようと毎回話題を提供してくれるミラベルに冷ややかな対応をするセレスティーアは嫌な感じがするし、僕とミラベルを横目に何度も溜息を吐く姿を見ると拒絶感が湧く。年々素っ気なくなり返事すら渋る彼女を相手に、婚約者なのだからと頑張った。
それなのに……。
「今更……」
指に力が入り、中から取り出した便箋に皺が付いた。
セレスティーアと交流がなくなったことで、このままでは破談になるのではないかと侯爵夫人は嘆き、更には王太子殿下の側近として最有力候補だったフロイドに王家から打診がこないのはロティシュ家の一人娘を怒らせたからだと激怒した。最近ではフロイドの顔を見るたび露骨に肩を落とすようになり、学園を卒業し官僚の中でも実力主義の財務に勤めている兄を褒めそやし、家でも外でも不出来な息子と言われる。
「……」
あの日、背を向けて去って行ったセレスティーアを追いかける気にはならなかった。
投げ捨てられた花束、ミラベルが捨ててあったと拾ってきたカード、それらを見て無性に悲しくなり、ミラベルが婚約者だったなら……と何度も思った。
優しくて、人を気遣え、いつも微笑んでくれるミラベルの側はとても心地が良い。
それでも、もし、この手紙に一言でも謝罪の言葉が書いてあったら……僕も。
「……軍学校?」
けれど、手紙の内容はフロイドが想像していたものではなかった。
季節の挨拶から始まった手紙には、軍学校へ入ること、卒業するまでの数年は公の場にもほとんど顔を出せないことが書いてあり、それ以外のことについては何もない……。
「それだけ……?」
封筒を逆さにして振ってみたが何もなく、便箋は一枚だけ。
婚約記念日のことについては一言も触れず、今迄会えなかった理由も書いていないし、そもそもセレスティーアの手紙はフロイドの返事を必要としていない。
「報告書みたいだ……」
フロイドは色も飾りもない質素な手紙を暫く眺めていたが、何故か胸がモヤモヤし、酷く悲しい気分になるので、机の引き出しを開け奥へ手紙を押し込むがそれでも気分は晴れず、便箋を取り出しペンを手に取り、暫く机に向かうことにした。
何度も書き直しやっと納得のいくものを書けたと手紙を掲げながら目を通すが、段々と目に光がなくなり、最終的には便箋をくしゃくしゃに丸めて廃棄箱へ投げ捨てていた。
手紙の返事を書いたつもりがいつの間にか愚痴になり、癇癪を起した子供のような文章になってしまい、会ったときに話せば良いのだと完結し手紙を断念してしまった。
「……軍学校なんて、危ないじゃないか」
セレスティーアが軍学校に行くことは、家族以外では一番にフロイドに報告したのかもしれない。そう思えば、人伝ではなく本人が直接手紙で報せてくれたことに胸が温かくなり、無意識に口から零れた言葉だった。
だが、翌週。
側近候補として王太子殿下と謁見したフロイドは、屋敷に戻って来るなりセレスティーアからの手紙を破り捨て、紙屑になった手紙を前に立ち尽くすことになった。




