軍人体験
常に机に向かって仕事をしている領主だからといって、身体を全く鍛えていないわけではない。貴族の子息は学園に入れば必然的に騎士科にも籍を置くため、乗馬と剣術くらいは幼い頃から学んでいるものだ。
卒業後は騎士か官僚の二つに分かれるが、家の跡を継ぐ予定の者達は、爵位を壌渡され領地へ戻るまでは国の中枢で官僚として働く。
お父様は官僚をすっ飛ばし卒業後直ぐに領主となっているので、領主の仕事とは別に、領地に待機させている私兵の訓練も任されている。
時々、お父様が私兵に混ざって訓練している姿を何度か目にしたことがあった。
――午前四時。
いつも通り身支度をして外へ出ると、既に何人かは柔軟を始めながら談笑している。その輪の中から一人外れ、手足を動かしているお父様を見つけた。
動きやすい服装で、髪は邪魔にならないよう頭部に細い布が巻かれている。
しっかりと準備してきたお父様にニンマリしながら、声をかけようと足を動かすも、肩を掴まれ動けない……。
「ダン……」
「いやいやいや、そんな睨まれても、俺は皆を代表してセレスを捕獲しに来たの!」
「捕獲されるようなことはしていないが?」
「え、あれ、ほら、あそこの人……」
ダンが指差す方へ顔を動かすが、そこにはお父様が立っていて不可解な面持ちで此方を見ている。
「私の父だが?」
「リックから聞いた。貴族ってだけでもちょっと緊張するのに、領主でしょ?無理、吐く、言葉が通じないかもしれないじゃん」
「私も未来の領主だが?」
「……そうだった」
御爺様やルジェ叔父様には気軽に話しかけ、訓練中は悪態まで吐いているのに。
お父様と比べれば、貴族で領主兼元帥だった御爺様なんて遥かに雲の上の人だと思うのだが?
呆れながらその場で柔軟を始めると、ダンが私の側にしゃがみ込み声を潜めた。
「領主様とセレスって、あんまり似てないよな。どちらかというと、セレスは元帥似?」
「そうか?造形や色彩は同じだと思うが」
「んー、雰囲気?オーラ?なんか、領主様は気高い感じ?元帥とセレスも上品な感じはするけど、なんか、獣が人間を真似ているような、っだ……!?」
「……悪かったな」
立ち上がると同時にダンの足を踏みつけ、痛みに身を悶える姿を一瞥したあとお父様の元へ移動する。その途中、ダンと同じように面白がって声をかけてくる者達には容赦なく制裁を加えていく。
コレもいつもの遣り取りなのだが、どうやらお父様には刺激が強すぎたらしい。
「セレス……今……」
「おはようございます」
「あぁ、おはよう……いや、そうではなく」
言いたいことは分かっている。
だが、昨日の私は伯爵家の令嬢の皮を被った偽物だ。今日はありのままの私を見てもらうのだから猫を被る必要がない。
「そろそろ始まります」
「……何が始まるんだ?」
リックさんが動き出したのを横目で確認し、ソワソワいているお父様の背を押して走り出した。
「随分と走ったな。で、次は何をする?」
額の汗を拭い、乱れた息を整えながらもまだ余裕がありそうなお父様に感嘆する。
私やルド達と比べるのはおかしいが、新人の軍人だって走ったあとは地べたに座って息を切らしているというのに……。
普段から走っているのか、「良い運動になった」とお父様が口にした途端、ダン達が一斉に振り返った。気持ちは分かる。お父様、運動できなさそうだから。
「まさか走りきるとは思いませんでした……」
「そうか?これでも学園を首席で卒業しているからな」
学園で学ぶものは基本的な学業の他に、マナー、音楽、多言語、神学がある。首席で卒業するにはこれら全て最高評価を獲得し、更にお父様の場合は騎士科でもそれを獲得しないといけない。ただ勉学だけできれば良いというわけではないのだが。
「騎士科でも最高評価を得たのですか?」
「でなければ首席は無理だろう?」
「……御爺様が、お父様には剣術の才能がないと」
「馬術も剣術も、父上と比べれば才能がないことになるな」
確かに……と頷く。
そういえば以前、ルジェ叔父様が御爺様は何事においても規格外だとぼやいていた。軍学校時代ではソレと比べられ大変な思いをしたとも……。
「剣を扱えないわけでもなく、嫌っているわけでもない。痩せ細っていく母上の手伝いを少しでもできるよう、剣を振ることよりも知識を得ることを優先した結果だ」
お父様と並んで歩きながら他愛もない話をする。
お母様を亡くしてから、こんな風にお父様と過ごしたことなどなかった。
それだけ、気づかないうちに距離が離れていたのだろう。
「私のことより、セレスが走りきったことに驚いたのだが……。毎日訓練に参加しているのか?」
「御爺様が私専用の訓練メニューを作ってくれているので」
「専用もなにも……セレスも同じ距離を走っていなかったか?」
「慣れたので、皆と同じになっただけです」
半年くらいは今の半分も走ることができず、途中で倒れることもあった。
走ったあとは暫く動けず、水を飲めば吐く。朝食を無理やり胃に押し込みまた吐く。
これを繰り返して今がある。
ここまでくるのに本当に苦労した……。
「そうか……ところで、話し方が少々……固い、いや……よそよそしいような、気がするのだが?」
お父様が何かボソボソと呟いていたが、お腹が空いていたので気にせず食堂へと入った。
「……その量を、食べるのか?」
「はい」
お父様が私のトレーに乗った皿を凝視しているが、これくらいは余裕だ。
寧ろ、その量で足りるのですか?と私がお父様に問いたい。
小鳥の餌くらいしか乗っていないお父様の皿に、私が大量に持ってきた肉を二切れほど置く。
「……そんなに持ってくる必要はあったのか?足りなければあとで取りに行けば良いだろう?」
「無くなってしまいますから。既定の量以上は早い者勝ちです」
「そうなのか、それは初めて知った」
心なしか楽しそうに食堂を見回すお父様に首を傾げる。
「学園内に食堂はなかったのですか?」
「いや、似たようなものはあったが……。上級貴族と優秀生はテラスに専用席があったので、椅子に座っていれば勝手に給仕されていた」
「専用の給仕ですか?」
「あぁ。食事だけではなく、全てにおいて優遇される。学園は身分が物を言うからな」
二大軍事貴族の跡継ぎであり、侯爵家の婚約者を持つ私が学園に入っていたら、きっと特別な扱いを受け、知らず傲慢になっていただろう。一月もしないうちに女王様の誕生だ。
「ところで……まだ食べるのか?」
時間を確認しながらどんどん口に詰め込んでいく。
口の中に物が詰まっている状態で話すのはマナーが悪いので、手も口も止めることなく深く頷くだけにしておいた。
本来なら朝食のあとは自主訓練となるが、お父様は日が暮れる前に此処を出る予定なので、領主の視察という名目でルジェ叔父様が実地訓練に変更した。
そして、本日の指導役は。
「久しぶり、兄上」
「ルジェ?」
リックさんと共に現れたルジェ叔父様だった。
「昨夜のうちに顔を出そうと思っていたんだが……兄上が執務室から出てこないから」
「どこかの老害の所為だ。ルジェも何かあるなら全て吐け」
「相変わらずだな。……リック、そっちはもう始めておけ」
事実上ランシーン砦のトップであるルジェ叔父様の登場に、驚きながら嬉しい悲鳴を上げるのは新人のみで、他の者達は一瞬緊張感に包まれ、ルジェ叔父様の標的がお父様だと分かると安堵の色を見せる。
「署名してもらえたんだって?」
「はい」
「……もう少し粘ってほしかったが、仕方がないな」
軍学校反対派の一人だったお父様が白旗を上げたのだから、ルジェ叔父様もこれ以上反対はできないだろう。
そう思い、不満そうな顔をするルジェ叔父様に微笑み返すが、ゆっくりと口角を上げたのを目にし……背筋に悪寒が凍る。
「兄上、久しぶりに手合わせでもどうですか?」
「断る。私とは違い、ルジェの剣術の指南役は父上だろ。私がお前の相手をできるわけがない」
「昔は良く手合わせをしたじゃないか」
「現役の軍人相手に軽々しく手合わせをするなどと言えるか」
そんな仲睦まじい会話を聞きながら、視線は模擬試合に釘付けだ。
今日はサーシャとリックも参加するらしく、遠くの方で此方に手を振っている。
いつもならしつこいくらい纏わりついてくるのに、今日に限って何故そんなに遠くにいるのかと呆れていたのだが……。
「じゃあ、セレスティーアに相手をしてもらうか……」
不吉な言葉が聞こえ、今直ぐにこの場を離れなくてはと、反射的に身体が動いた。
「おっと、逃げるな。兄上はそこで観戦でもしていてくれ」
「……」
が、逃げ遅れてしまった。
シャツの首元を掴まれ、首が締まる前にルジェ叔父様の手が私の腰に移動する。
……完全に捕獲された。
私の叔父様であるルジェ・ロティシュは、子煩悩な父親で、誰にでも優しく、部下の面倒見が良いと評判の大佐だ。
――普段は。
「セレスが相手をするのか?……それなら、私が」
「軍学校で遅れを取らないようそれなりに動けるようにはしてある。それに、可愛い姪に怪我などさせるわけがないだろう?」
「大丈夫なのか?」
「兄上だってセレスティーアがどれくらい強くなったか見てみたいだろう?」
「……それは、そうだが」
そこで迷わないで、ルジェ叔父様を止めてほしかった。
そっと周囲を窺えば皆サッと背を向け、見ない振り、聞かなかった振りをしている。
なんて酷い奴等だ……。
「手加減は十分にしますよ」
手加減と聞き、どの程度かと期待を込めてルジェ叔父様を見上げた。
悩んでいるのか顎に手を当て考えている間に、先程からチラチラ此方を窺っている奴等に目で合図を送る。
「右手のみで!」
「利き腕じゃ手加減にならねぇだろうが!左手だろ!」
「怪我させたら反則負けだからー!」
「大佐なら一歩も動かないでいいくらいだろ?誰か審判しろ!」
野次という名の援護を受け、苦笑しているルジェ叔父様から数歩離れる。
「利き腕は禁止。擦り傷一つでも負け。その場から一歩も動かないでください」
「やられたな……」
「サブ武器もなしですから」
「それも駄目なのか」
ルジェ叔父様が腰元に手を当てるのを見てサブ武器があったことを思い出し、一応確認しておいたのだが、助かった。絶対に使うつもりだった……。
「こっちの模擬試合どころではなくなったんですが……」
「悪いな、リック。審判はお前か?」
「えぇ。おい!大佐がズルしないよう目を凝らしておけ!」
わぁっ……!と大歓声を上げた野次馬達が、距離をあけて私とルジェ叔父様を囲むように座る。そこでもまたお父様が一人輪から外れて立っていたが、今はそれどころではない。
去年まではダミー武器の重量を軽くしていたが、今は特注品から卒業し実物と同じ物を使っている。細身の剣は数ある剣の中でも軽い方で、とても扱やすい。
握力も日々鍛えているのだからそう簡単に負けはしない……そう、自らを奮い立たせなければやっていられない。
リックさんがルジェ叔父様に手渡した剣が、重量も刃渡りも私の剣の二倍はある大剣と称されているものだったからだ……。
ルジェ叔父様専用のダミー武器こそズルだろう!?




