最後の年
軍学校への入学まで残り半年。
もう此処での生活にも慣れ、最初は覚束なかった実地訓練も難なくこなせるようになってきた。
基礎、実地、打撃訓練に、軍医直々の応急医療。
ここまできたら残すは野営訓練だけなのだが、砦の外に広がる森林で三日三晩行われる訓練は大人でも弱音を吐き、稀に東か西の軍部と衝突することもあるらしい。
実力も経験もない私を参加させることは絶対にない!とルジェ叔父様からきつく言われている。
これに関しては軍学校までお預けかな……と、草地の上に仰向けになりながら体を伸ばしていく。
ダミー武器を使う模擬試合の前は怪我をしないよう筋肉をほぐしておかなければならない。
リックさんの合図と共に始まった円の中での交戦を横目にひたすら柔軟をする。
私にはバディという相方がいないので、自身の試合を終え体力がまだ有り余っている人が相手をしてくれているので待ち時間がとても長い。
なので、その空いた時間を使って前回の復習も兼ねて目を瞑りながらイメージトレーニングしている。
(昨日はあっさりと利き腕側を取られ、そのまま腕を掴まれ地面にたおされて……咄嗟に払うことが出来なかったのが敗因だ。短剣を落としたのもまずかったかな)
考えれば考えるほど出てくる拙い部分に半ばうんざりしながら脱力していたのだが。
「……寝ているの?」
「いや、先に懐に入って首を狙っておけばよかっ……た?……ん?」
耳に入った無邪気な声に反応してか、心の声が口からダダ洩れになりながら瞼を持ち上げた。
「……ん?」
「……」
天使が上から見下ろすように私の顔を覗き込んでいた。
比喩でも何でもない。
絵本に出てくる天使そのものが、いや、もしかしたら妖精かもしれない……。
手触りの良さそうな金の髪がサラリと肩から零れ、大きなグリーンの瞳には間抜け顔をした私が映っている。
瞬きもせずジッと凝視していたからだろうか、天使は軽く眉を寄せ私の視界から消えてしまった。
「兄上、起きました」
「寝ていたわけではないと思うが」
……もしや、私は柔軟しながらいつの間にか寝てしまっていたのだろうか?
「……え!?」
夢かとガッカリしていたとき、再び天使の声と知り合いの声が聞こえ慌てて飛び起きた。
「ルド……」
「久しぶり。セレスは、相変わらずだな」
服や頭に草を付けた私を見て相変わらずとはどういうことだろうか……。
ルドは王都へ戻っても訓練を続けていたのだろう。
一年前とは違い、背丈も伸び身体つきも良くなっている。
「お久しぶりです。もう一年経ったのですね……此処に居ると時間が過ぎるのが早くて」
「セレスは催し物に一切参加しなかったからな。母上のお茶会ならまだしも、まさか王家主催の音楽祭まで欠席するとは思っていなかった」
「……具合が」
「凄く健康そうだが?」
「いえ、持病の病が……」
「うっ……」と胸を押さえながらルドを窺えば、仕方がないという感じで苦笑している。
王太子殿下とこんな遣り取りが出来るのも今年で最後。
ルドは学園に、私は軍学校へ。互いに忙しくなり此処に来ている暇もないだろう。
軍学校を卒業してからも結婚すれば領地から出ることなどほとんどない。
数十年後には、貴重な経験だったと懐かしむのだろうか。
「ところで、そちらの……方は?」
危うく「天使は?」と声に出しそうになった……。
ルドの横にちょこんと立つ大層可愛らしい少年を早く紹介してほしい。
「あぁ、弟のレナートだ」
「初めまして。兄上に聞いて、お会いしたいと思っていました」
ルドにそっと肩を押され挨拶を口にしたのは、天使ではなく第二王子殿下だった。
何を言ったのだろうか?と胡乱な眼でルドを見るが、その顔はきっと碌なことを言っていないに違いない……。
「お初にお目にかかります。セレスティーア・ロティシュと申します」
「兄上が同じ年頃の少女が砦で訓練をしていると言っていたのです。本当だったのですね……」
「本来この砦は子供が気軽に来られるような場所ではない。セレスは元帥の孫だから特別だ。勿論、私も王族という特権を使っているのだから特別だが」
「では、僕も兄上と同じ特別ですね!」
「そうだな」
ルドに頭を撫でられて喜んでいるレナート様が可愛すぎる……。
「訓練中にすまない。挨拶だけでも先に済ませようと思って来たのだが」
「まだ平気です。私の実地訓練は皆が終わってからなので」
既に始まっている模擬試合に気づいたのか、眉を下げたルドが申し訳なさそうな顔をしているが私の出番はまだ先だ。
「今年はレナート様も御一緒なのですね」
「……王城よりも此処の方が安全だからな」
声を潜め何やら物騒なことを口にしたルドに驚きながら、レナート様とは逆側に並び立ち肩がギリギリ触れない程度まで身体を近づけた。
「父上の側室に子が生まれたのは知っているか?」
「御爺様やルジェ叔父様が何度かその話をしているのを耳にしました」
「もう元帥にまで話がいっていたか……。王位継承権を持っている子は私とレナート、それと第一王女であるルリアーナの三人だったが、そこに側室が産んだ第三王子が加わった。喜ばしいことでもあるが、その側室の後見人である伯爵家に問題がある」
「水面下で王位争いが始まったのですか?」
「確実な証拠はないが、昨日レナートに毒が盛られた。侍従が気づき回避できたが、恐らく次もまたあるだろう」
「ルドは?」
「私は既に父上から跡継ぎとして指名されているからレナートとは違い警護が厚い。ルリアーナは継承順位が一つ下がったから心配はないが、レナートは違う。誰も信用できない状況下で、一人城に残しておくわけにはいかなかった」
「此処も安全とは言えませんが」
「この砦に忍び込めるような者がいるなら、城で身を隠していても無駄だ」
それもそうか……。
「それに、レナートも実践的な剣術を習った方が良い」
「教師がついているのでは?」
「いるには……いるが、型通りの綺麗な剣術すぎてアレで戦場に出て大丈夫なのかと不安になる。常に戦場に立っている軍人と比較してはいけないと思うが、レナートはいずれ騎士団長の職に就くことになる。私とは違い戦場に出ることもあるだろうから元帥に教えを請うのが良い。これは本人の希望でもあるしな」
「僕が兄上を護ります」
国を護る盾が騎士団なら、鉾は軍人。
我が国の盾を預かる団長職は、代々王族が受け継いでいて、順当にいけばルドが国王に、レナート様が騎士団長という形に納まる。
けれど、第三王子殿下側は毒まで盛るような人達なのだから、このまま大人しく受け入れるわけもなく何かまた仕掛けてくるかもしれない。
「私の周囲や王都で暮らす民を護る騎士団の長に、信頼できない者を据えることは出来ない」
去年までは婚約者や側近候補の事で疲弊していたのに、次は血の繋がった弟やその親族を警戒しなくてはならないなんて……。
レナート様のように「僕」と言っていたルドの一人称は、暫く会わない間に「私」に変わってしまっている。王太子であるからこそ、周囲の子供達よりも急いで大人にならなければならないのだろう。
「まだ時間はあります」
「そうだな」
第三王子殿下が成人するのはまだ大分先の話。
その時までにルドとレナート様の地盤を固めておけば良いだけ。
……寧ろ、時間がないのはレナート様の方かもしれない。
レナート様に教師が居るように、ルドにも幼い頃から剣術を教える教師が居る筈。
それなのに、毎年必ず王都から長い時間をかけて北の辺境の砦まで訓練を受けにくるくらいなのだから、それだけ技術面に差があるということではないのだろうか?
(騎士と軍人は戦い方……違いが気になる……)
月に一度ある騎士団の訓練を見学出来る日は、平民や貴族関係なく女性で溢れかえっていると聞いたことがある。
興味が無かったので行きたいと思ったことはなかったが、王都へ戻ったら一度見学に行ってみた方が良いかもしれない。
「……ねぇ」
そんなことを考えながらリックさんに呼ばれて離れていくルドの背中を眺めていたのだが、右隣から聞こえてくる冷ややかな声にコレは空耳だと自分に言い聞かせた。
あの愛らしい天使の声がこんなに冷たいわけがない……。
「セレスティーア・ロティシュ」
「……はい」
空耳ではなかった……と、泣く泣く横を向けば、レナート様の愛らしかった顔はヒヤッとするほど無表情で、おまけに眼光は鋭く、天使の面影は完全に無くなっていた。




