中編 其の十九
隠し通路の先には広大なダイニングが拡がっていた―
そこには―…
十九
―4月27日(火)夜0時23分―
―あきる野市 秋川渓谷 嘉手名別邸地下一階 隠しダイニング―
クリフ「理事長…?」
眼の前にいる松田リカに対し、クリフは驚きが隠せなかった。
加えて、全身に緊張が走る。
松田リカ「座って」
クリフ「…は?」
思ってもいない提案に聞き返す。
何か罠があるかも知れないと考えるのは当然だった。
松田リカ「…何もしてないわ アナタと話したいの お酒は…勿論ダメだけどね」
そんな様子を察してか、一言付け加え、着席を促す。
クリフ「…」
自分は馬鹿だ…敵だという相手の提案に乗って…
そう思いながら、ユックリと松田リカと相対する様に、長机の真反対側に座る。
燭台越しに松田リカの顔を伺う。
松田リカ「ダメね…ドナヒュー君…こんな深夜に人の家に侵入するなんて」
松田リカは豪華そうな食事をフォークとナイフで丁寧に食しながらそう述べる。
その格好は、胸元が見える白のチューブトップと白のドレススカートで、以前学校で出会った時より大胆な出立ちだった。
松田リカ「…しかも、"entre'e"の最中に…」
クリフ「entre'e…?」
言っている意味が解らず、聞こえない程の小声で疑問が出てしまう。
松田リカ「今日は"肺ロースの赤ワイン仕立て"…時間を掛けて作ったのだから、邪魔をされたくないの」
自身の作成したであろう料理に舌鼓を打ちながら嬉しそうに述べる。
大々的では無いが、それは表情に表れていた。
クリフ「…理事長は…ココで…何を…?」
思っていた事を問うた。
松田リカ「食事よ」
当然という風に真顔で答える。
クリフ「…こんな…隠し部屋で…?」
松田リカ「アナタも食べる?」
そう言って、勧めてくる。
その料理はサイコロ状に切られたステーキ肉が、調理された野菜と共に添えられている。
クリフ「…いえ」
松田リカ「美味しいのに それに、アナタも食べた方が喜ぶ」
クリフ「…? 誰が…?」
言われた意味も解らず、そして脈絡の無い言葉の応酬が、クリフを困惑させ続ける。
松田リカ「…それに、食事は重要よ 心に健康…美しさや若さを保つことにも関わってくる…」
クリフ「はあ…」
松田リカ「私の食事療法…バランスの取れた食事でデトックス出来たって有名人は多いのよ? 藤原紀香とか、若い子なら深田恭子…」
クリフ「??…?」
知らない人名を出されても、理解が出来ず、疑問しかなかった。
松田リカ「…そんな芸能人でさえ、私の低インシュリンダイエットには価値が在ると認めているの」
少し自分に酔った様な、そんな口調だった。
クリフ「そう…なんですか…」
それを聞いてもよく解らず、且つ以前会った印象との違いで、困惑し続ける。
松田リカ「…アナタは他のコ達とは違って…優秀な転校生と思っていたのだけれど…」
そのクリフの態度に、少し冷めたのか、憂う様な視線から手元のグラスを掴み、口元に持っていく。
松田リカ「…違ったかしらね?」
残っていたワインを飲み、グラスを置きながらこちらに視線を向ける。
クリフ「あの…僕には…理事長が何を言いたいのか…解らないです…」
慎重に言葉を選びながらそう答える。
松田リカ「…そうね 御免なさい アナタに押し付ける事ではないわね…」
少し視線を逸らしたその顔は哀しみが在った。
松田リカ「アナタは問題が在るコだけれど、嫌いでは無いわ…だって」
クリフ「? だって…?」
松田リカ「アナタは悪いコでは無いから…」
そう言ってクリフを見詰める。
クリフ「…え?」
クリフにはもう意味が解らなかった。
目前の松田リカが口にする言葉も、表情の意味も、その思いも。
松田リカ「深夜の住宅に侵入、食事の誘いも拒否…」
口元をナプキンで拭きながら続ける。
松田リカ「しかも、私の邪魔をしに来た聖職者―」
その言葉に、クリフの緊張感は増す。
松田リカ「でも、悪いコじゃない…残念よ」
そう言うと、松田リカの背後から、大量の"あの蠅"がワッと現れた。
クリフ「!なッ」
がたりと椅子から起き上がるも、蠅の集団はクリフを覆う。
松田リカ「…嫌いではなかったわ…」
そう言いながら目を瞑る。
黒い男「…オレは嫌いだな…!」
松田リカ「え?」
その声の方向を向くと同時に、一閃瞬いたかと思うと、血を散蒔きながらクリフの周りの蠅達がバラバラと斬り裂かれた状態で、床にボトボトと落ちた。
クリフ「う…!」
防御の態勢から眼を開けた先にいたのは―
黒い男「…嘉手名貴代子…貴様も同じ目に遭わせてやる…!」
嘉手名貴代子は幼い頃から自らが好きではなかった―




