性悪説について考える
みなさなはじめまして、ペンギンの下僕と申します。長いとお思いの方、ペンゲボで全然かまいません。
さてみなさん、性悪説とはご存じでしょうか?
『人間の本性、生来の性質は悪である』
ええ、そうです。ですがこれだけだと、本来の性悪説としては半分だけ正解なのです。元となったのは中国、戦国時代の儒家『荀子』の思想なのですが、原文を引くとこうあります。
人之性悪、其善者偽也。
今、人之性、生而有好利焉。順是、故争奪生而辞譲亡焉。
生而有疾悪焉。順是、故残賊生而忠信亡焉。
生而有耳目之欲、有好声色焉。
順是、故淫乱生而礼義文理亡焉。
然則従人之性、順人之情、必出於争奪、合於犯分乱理、而帰於暴。
故必将有師法之化、礼義之道、然後出於辞譲、合於文理、而帰於治。
ええ、すごく漢文ですね。打ち込むのが大変でした。年の瀬にやることかこれというのはおいておいて、すごくざっくり訳するとこうなります。ちなみに面倒くさい方向けに言いますと、最初の一行と最後の一行だけ読めば問題ありません。
人の本性は悪であり、善は偽物である。
人間の本性は利を好み、この性質に従うと奪い合い、謙譲の心がなくなってやがて破滅するだろう。
また人間の本性には憎悪の心がある。この本性に従えば信頼などはなくなり、他人を傷つけてしまうだろう。
また人間には美しいものを好む性質がある。
この本性に従えば節度は消え、礼儀、秩序というものもなくなるだろう。
つまり人間が、その本性の赴くままに生きてしまえば社会というものは破滅してしまうのである。
だからこそ正しい指導者を求め、その教えに従って礼儀を身に着けなければならない。そうすることによって社会秩序というものは初めて保たれるのである。
さて、まるっと中略した方も、律義に読んでくださった方も、お疲れ様でした。
つまり性悪説というのは、人間の本性=悪というだけでなく、そこから「人間は悪なんだからみんなで礼儀作法学んでいい世の中を作ろうぜ」ということなのです。
これは独断と私見ですが、性善説、性悪説という話が出る時はその多くが、人間というものの本性についての善悪是非を語るものが多いような気がするのです。しかし性悪説というのは本来、このようにとても、正しい世の中を目指す思想なのでございます。
さて、ここからは少し自分の話と、そしてもしかしたら刺さるかもしれない誰かのために書きましょう。
自分はどうにも、齢を取るたびに、心の中に毒が湧くことが多くなってきたような気がするのです。考えない方が良いようなこと、口に出すなどとんでもないことが、ふと脳裏によぎることが増えました。
そういうことを考えるたびに、「こんなことを考える自分はダメだ」と考えて、苦しくなるのです。しかもそういう部分を見せず、普通の人みたいに振る舞っていると、自分がとても愚かしく浅ましい人間だと思えてしまうのです。
ですがそんな時にふと、性悪説のことを思い出しました。その思想を咀嚼しているうちにだんだんと、自分がこういう風であるのは自分のせいでなく、人間の本性のせいなのだと――。そう考えると、少しだけ気が楽になったのです。
自分の醜い、汚い感情を呑み込むこと。それは誰にも気づかれることはないし、当然、褒められることもない。しかしそれこそが『荀子』の教えであり、理想なのだと思うと、心が少しだけ軽くなったような気がするのです。
もしこのエッセイを読んでくださっている人の中に、自分の中の悪感情に苦しんでいる人がおられたら、どうかそれを自分のせいにしないでください。その苦しみを抑え、省み、よくないことをよくないと分かるということは素晴らしいことなのです。
以上です。駄文、失礼しました。




