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リケジョの取扱説明書  作者: 碧檎
番外編
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番外編 甘味が苦手な彼

「なーんにしようかなあ。島田さ――じゃなくって啓介さん、甘い物苦手だしなー」

 ぶつぶつと呟きながらさくらはスマホのディスプレイを次々とタップする。レシピ検索のアプリだが、これを見つけてからさくらの料理の手際は向上した。なにより食材を無駄にしなくなったのが大きいと思う。

「バレンタイン、甘いもの、苦手で検索、っと」

 打ち込むと、レシピがずらり。だが、やはりチョコはチョコである。甘さを取り除く事は出来なさそうだ。

 島田は徹底して甘さが苦手らしく、コーヒーに砂糖を入れないだけでなく、菓子類はスナック菓子やせんべいなどを少しつまむくらい。パンにジャムも塗らないし、そもそもパンがあまり好きではない。基本的には和食が好きである。

 結婚してからわかって来た好みだが、イベントごとに甘味はつきものだ。毎回さくらだけ食べているが、今回は島田が食べてくれないとイベント自体の意味が無くなる気がする。

「あー、でもこれ、簡単で美味しそう……」

 とりあえず美味しそうだなと思えるレシピをいくつか保存する。というのも、甘党の上原に『日頃世話してやってるだろうが』と催促されたせいだ。あとは実父用、それから義父用である。

 金のないさくらは、父のチョコレートは毎年手作りしていた。高級ブランドチョコを買うよりは安上がりで、そこそこに美味しいし大量に作れる。なにより余った分を自分用に確保出来るので、今年もそうするつもりである。

 だからといって、上原だけにあげると島田が怒るに決まっている。とっさに計算したさくらは、

「あ、河野さんにもあげよう。奈々ちゃんにも」

 大勢の一人にしてしまえば問題なし。ナイスアイディアににんまりと笑いながら、スクロールを続けると、ビターチョコレートを使ったレシピに行き当たった。

 タップして開くと、簡単で美味しそう。

「これくらいの甘さ控えめなら、なんとか食べられないかなあ……」

 そう呟いたさくらはふとある事思い出す。一度だけ、彼が甘い物を好きだと言ったことがあったような。

 思い出して頬が染まった。そのとき、玄関のドアが開く音がする。さくらはスマホをテーブルに置くと、頬を叩いて表情を引き締める。

 そして「おかえりなさい」と夫の出迎えに、玄関へ向かった。

 

 *


 キッチンで油の跳ねる音がする。

 島田は部屋着に着替えるとリビングのソファに沈み込んだ。

 エプロンを着けたさくらがひょいと顔を出す。

「お風呂先でもいいですよ?」

「んー、湯冷めするし、あとにする」

「わかりました。じゃあ、ちゃちゃっと作っちゃいますね」

 本格的に料理の音がしはじめて、島田はテレビでも見ようかとリモコンを探り、さくらのスマホが置いてあるのを見つけた。

 先日の事を思い出し、そして昼間の事を思い出して島田はむっとする。

 あの日、島田はさくらのスマホがブラックアウトしていないのを不思議に思い、つい画面を見てしまった。そのあと、画面を暗転させて何事も無かったかのようにテーブルに置いた。

 画面にはチョコレートのレシピが表示されており、思わずカレンダーを確認した彼は頬が緩んだ。

 だが、今日の昼間の事。所用で島田美装を訪れた上原に、あの日画面に表示されていたチョコを見せびらかされたのだ。

(……俺にも同じものくれるのかなぁ)

 正直に言うと、複雑な気分だった。上原にあげたのは当然義理チョコだろうが、手作りというのは不自然な気がして仕方が無い。

 そして未だに島田の前にはチョコが現れない。食後なのかもしれないけれど、同じものが出て来たら何となく機嫌を損ねてしまいそうで、自分が怖い。

 もちろん作ってくれた事に文句は無い。新妻の手作りチョコなど嬉しいに決まっている。

 だが、なぜ上原と同じもの? とは、確実に思ってしまうだろう。

 そもそも島田はチョコが苦手である。チョコだけではなく、甘い物が苦手だった。

 それを知っているのだから、もしかしたらさくらは島田には用意していないかもしれない。それはそれで悲しい。

(さくらの作ったチョコなら、食べさせてもらえれば、食べられると思うんだけどなぁ)

 思わず想像したところで、「ごはん、できましたよー」と声が上がる。

 テーブルの上をみると熱々のコロッケが山となっていた。

「全部食べたら、さすがに太ると思うんだけど……でも美味そう」

「こっちはカレーコロッケで、こっちは野菜です」

 どうやら母親直伝のレシピらしく、今までにも何度も作ってくれたおかげで、島田の好物になりつつある。箸で割るとサクと軽い音がして、中からほくほくのジャガイモと大きめの具が出て来る。人参とピーマンの色が目にも鮮やかだった。

 付け合わせのサラダもたっぷりある。みそ汁の具も島田の好きな野菜と油揚げがたくさん入っている。

 好物が出てくるのは、今日が例の日だからだろうか。



 だが、食後、島田が風呂に入っても、布団に入る時間になっても、チョコは現れなかった。

 食事で得た幸福感はいつしか萎み、なんとなく機嫌を損ねたまま、島田は布団の上でスマホのカレンダーを見る。

 2月14日の表示を睨んでいると、さくらが寝室に現れた。

 いつも通り、パジャマを着ている。何かを持っている形跡もない。

 もしかして、寝室で何かをしてくれるのかも……、という少々いかがわしい期待(といってもさくらに限っては無いと思っていたが)は砕かれる。

 とうとう不機嫌になった島田に、さくらがおずおずと尋ねた。

「あの、歯、磨いちゃいました?」

「え? うん」

 意外な問いかけだった。

「じゃあ、……あとでもう一回磨いて下さい、ね」

 さくらは、少し戸惑ったようにポケットから何かを取り出すと、口に含み、そしてそのまま島田に口付けた。

「――――」

 苦みのあと、痺れるような甘みが口の中に広がる。だが、その味よりもなによりも。

(あれ? さくらからしてもらったのって……はじめて?)


 気づいたあとはもう味などわからなかった。


 *


 島田の腕の上に、さくらは頭を乗せていた。

 暖房は既に切ってあるというのに、暖かい。まだ体は火照っている気がする。島田の体はさらに熱を持っていて、まるで湯たんぽを抱いているようで、とても心地よかった。

 睡魔に夢の中に引きずり込まれる。我慢出来ずに目を閉じようとすると、島田が思い出したように呟いた。

「さっきのチョコ、上原にあげたのと一緒?」

 僅かに責めるような響きがあり、思わずぎくりとして目が覚めた。作り方は一緒。だが、材料が多少違う。

「一緒じゃないです。チョコの質と、……えっと、……オプションが違います」

 オプションが一緒だったら上原半殺し。呟く島田に、さくらは「つけるわけないっすよ」と暢気に笑った。

「上原さんだけじゃなくて、父と、島田のお父さんと、あと河野さんと奈々ちゃんにも同じのあげたんですよ?」

 種明かしにほっとする島田に、さくらは問う。

「そういえば、他に何か欲しいものありますか? いろいろ考えたんですけど、思いつかなくて」

 島田は少し考えていたが、

「んー……子供、かなあ」

 答えると同時にさくらに覆い被さる。

「って、今さっきしましたよね!? お風呂も入りましたよね!? それに、明日、仕事ですよ!?」

 さくらは抗議の声をあげる。

「コロッケ食べ過ぎたし、食後にチョコまで食べたからさ。運動にもなるし。一石二鳥?」

 にっと笑われて、さくらは観念する。

 島田が理屈でねじ伏せようとするときは、大抵どうがんばっても逃げられないことを、さくらは既に学んでいた。

 結婚後、最初のバレンタインは、長い夜になりそうだった。



《終》

遅れましたが、バレンタインデーのおまけ小話です。

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