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リケジョの取扱説明書  作者: 碧檎
番外編
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番外編 研究室の忘年会

 今年も研究室忘年会の時期がやって来ていた。

 師走の冷たい風に、コートの襟元を押さえると車から降りる。

「あー、いいなあ。すき焼き。女子大の教授っていい職業だな」

 門まですき焼きの割り下の香りは届いていて、島田が不満そうに眉を寄せる。

「そんなにいい物でもないと思いますよ」

「女子大生に囲まれるのに?」

 さくらは頷く。あれだ。娘ばかりの家族のお父さんを想像すればいいと思う。そう言うと、島田は「蔑ろにされるってこと?」とちょっと複雑そうな顔をして黙り込む。

「すき焼きは明日にでも作りましょうか」

 そう言ってなだめると、彼はすぐに笑顔を取り戻した。

「帰り電話して。迎えにくるから」



 まるで道しるべのようになっている良い匂いに誘われて、合宿所の戸をくぐるなり、

「ちょっと、さくら、なにそれ!」

 目ざとい藤沢が大声を上げ、視線が集まる。さくらは思わず手を後ろに組んだ。

「あー、それが例のヤツでしょ! 見せて!」

 広瀬をはじめ、「おめでとうございますー!」と祝辞を口にしながら後輩たちが、わらわらと集まる。歴代の卒業生たちも集まって、さくらの周りには瞬く間に輪が出来た。

 渋々左手を輪の中に差し出すと、キャーとかワーとかいう悲鳴が上がる。

「うわ、ティファニーだし!」

「でっかい!」

「きれい!」

「高そー……!」

「うらやましすぎる」

 一通りの感想が出たあと、後輩の一人が興味津々の顔でさくらに問いかけた。

「お相手の方、どんな人なんですかぁ」

 さくらは少し考えて、ひと言で答える。

「仕事ができる人、かなあ」

 後輩が微妙な表情を浮かべると、藤沢が呆れたように補足する。

「イケメンの御曹司だよ」

 待ってましたとでも言うように、後輩たちから黄色い声があがったあと、

「え、前の人とは別れちゃったんですか!? 確か会社の人だったんじゃないですっけ」

「同じ人だけど、ちょっと訳ありで」

 半ばげっそりしながら、さくらは質問に答える。

 面倒くさくて、あと大部分は自慢になるのではないかという気まずさで、適当に端折ると、

「結構大きい会社の跡取り息子で、さくらの会社はその子会社だったわけ。今は本社戻ってるけど、ちょっと前までそこの副社長してた人なんだよー」

 今度は広瀬が上手く纏めて補足説明する。

「玉の輿ですねえ! お仕事辞められるんですか?」

 後輩は爛々とした目をして、質問を続ける。

「ううん、今まで通り続けるつもり。人足りないし、そんなに余裕があるわけじゃないしさ」

 そう言うと「またまた〜、そんな訳無いじゃないですか」と後輩たちは呆れたように苦笑いをする。

 指輪を見せたあとでは説得力は無い。外さないでと念を押した島田には悪いけれど、つけてくるんじゃなかったかな、そんな事をちらりと思う。さくらは反論を飲み込むとヘラリと笑って誤摩化した。



 先輩後輩たちが各々ですき焼きを囲み始めると、さくらは部屋の端っこで藤沢と広瀬と共に一つの鍋を囲んだ。

 もうもうと上がる湯気にも食欲は半減していた。さくらは一つため息を吐く。

「やっぱり煌びやかな面しか見ないもんだよね」

 先ほど囲まれた時の僅かな棘を思い出して、ぼそっとこぼすと、藤沢も広瀬も苦笑いをした。

「そりゃそうだよ。やっぱり御曹司だからさ、まず『おんぞうし』って言葉の響きがすごいし」

「上場企業ではあるけどさ、旧財閥とかでも無いんだから大げさなんだよ。それに今優遇されてるのって役員手当だけだし、多分余裕が出てくるのって四十代くらいになって重役についてからだよ」

 ぶつぶつ文句を言うと、藤沢は呆れたように言った。

「妬み嫉みはもうしょうがないよ。実際島田さんは優良物件過ぎる。高学歴で顔がいいってだけでも、妬まれるんだよ」

「まぁ、背がそれほど高くなくって良かったよねえ。そこまで揃ってたらもう大変だよ。命がけだよ」

 どんどん沈むこむさくらに広瀬が慰めを言い、ようやく少しだけ浮上する。

「わかってはいるんだけどね。これからずっとなんだろうなって思うとちょっと辛い。この間も用事があって島田美装に行ったらさ、すごいの。視線で殺されそうだった。会社の人間なら、給料大したこと無いって知ってるはずなのにさー」

 特に相沢とか言ったか、元カノ疑惑の彼女はすごかった。

 何人かの美人の取り巻きを引きつれて、さくらを品定めして、「勝ったと思わないでね」と言い捨てると、鼻で笑って去って行ったのだ。

 喧嘩を売られたら買うのが性分だが、多分勝ち目は無い。それにたとえ勝ててもなんの得も無いのが理不尽で辛かった。

 さくらが欲しがったものが、彼女らが欲しがっているものと一致しないというのが一番厄介だと思う。別にさくらは島田が島田美装の跡取りでなくてもいいし、むしろ、SIMADAの副社長の方がよかったのだから。

 そう言うと、藤沢たちは顔を見合わせてにやついた。

「だからこそ、島田さんはさくらを選んだんだろうねえ」

 広瀬が言うと、楽しげな藤沢がマイクのように、どこからか持ち出した葱(もちろんすき焼き用)を突き出した。

「じゃあ、さくらは島田さんのどこが好きなのかなあ? やっぱり顔ですかぁ?」

 どうやら、藤沢も結構酔っているようだ。

 つんとした香りと、その三日月のようなニヤニヤとした目に後ずさる。

 だが、いつの間にか後ろを後輩達が取り囲んでいて、逃亡は阻止された。

 顔はもちろん、趣味のよさ、真面目な性格、そして意外に熱く、何ごとにも絶対に妥協しないところ。他にも数えきれないくらいたくさん好きなところはある。肩書き以外全部だと言っていいかもしれない。

(そんなこっぱずかしい事、言えない、けど)

 取り囲まれて、逃げ場がない。

 ヘラリと笑うと、ヘラヘラと笑い返される。

「センパーイ、逃がしませんよ? 幸せ分けて下さいねぇ」

 目のすわった後輩に追いつめられ、さくらは冷や汗をかく。



 そのあとも追求は続き、悪のりした悪友たちからの際どい質問——つまりは下ネタ——で、存在を無視された黒一点、桑原教授が咳払いをするまで、さくらは解放されなかった。

 そして、迎えに来た島田が好奇の目にさらされた事は、言うまでもない話。


《おわり》

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