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リケジョの取扱説明書  作者: 碧檎
番外編
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番外編 不自由な愉しみ


婚約期間の、ある日の話です。

 洗面具に、化粧道具。洗濯するもの、しないもの。それぞれを小分けにして袋に詰めると、小さなボストンバッグに詰めていく。こうしておくと、明日の朝バタバタする事は無い。

 そんな風にさくらが家に帰るために、リビングで荷物を整理していると、島田が後ろから抱きついて、作業を阻んだ。

「もう引っ越して来たらいいのに。家電も家具も大分揃ったし」

 妨害はこのところ毎週だ。月曜の朝はもちろんの事、日曜の夕方辺りから機嫌が悪くなる。さくらがマンションに帰ろうとすると拗ねるのだ。症状は、サザエさん症候群にちょっと似ている。

 今日は休日を利用して大型の家具を纏めて届けてもらった。そのため模様替えに忙しかったが、殺風景だった島田の部屋も随分生活感が出て来たと思う。

 相談した結果、結局マンションを新しく買ったりはせず、島田のマンションにそのまま住むことになった。島田が、きっと笑うと心配していたさくらの母だが、蓋を開けてみると『あるもん使わんと勿体ないやないね。これから子供でも出来たらどれだけでも金がかかるんよ、しっかり溜めとき』とマンション新規購入に一番反対したのだった。

「引っ越してきたいのは山々なんですけど、母が頑固で。あと父も頑固で、親戚一同頑固者なんで」

 電話確認こそしないものの、相変わらず、島田との婚前交渉には目を光らせている母であった。だから婚約もすんだというのに、なぜか未だ忍ぶようにお互いの家を行き来している。それが島田は気に入らないようだった。

「さくらが頑固なのは遺伝だな」

「『けじめをつけろ』だそうですよ」

「じゃあ、もう籍を入れる?」

「そういう問題でもないみたいです……なんか田舎特有の『世間体が悪い』とか、そういうやつで。面倒臭くてすみません。また週末に来ますから。あ、そうだ。ちゃんとご飯食べて下さいよ? 冷凍庫に食べもの入れてますから。温めるだけで食べられますからね」

 さらりと躱すと、島田はむっと眉を寄せた。

「さくらが温めてくれないと食べない」

「お願いですから、子供みたいな事言わないで下さい」

 苦笑いをして、体に回った腕を解こうとするが、彼はなかなかさくらを離さない。しかもそのまま床に押し倒そうとしたので、さくらは慌てて彼の胸を押す。

 背中には早速床に敷いた絨毯が触れた。柔らく肌触りを重視したが、リビングでそういう事をするために選んだわけではないはずだ。

 一緒に買ったクッションにさくらが顔を埋めると、島田は上から覆い被さってぎゅうと抱きしめた。そしてキスをしようとするが、さくらは顔を背けて拒む。先ほど二度目の風呂に入ったばかり。ここで流されると、また風呂に入らなければならなくなる。なにより、明日の仕事に響く。居眠りなどしようものなら、河野にからかわれ、上原に怒鳴られるに決まってる。

 そう言ってたしなめるが、島田は不機嫌さを隠そうとしない。

「さくらは冷たい。もう会社で会えないのに。俺ばっかり好きみたい」

「な、何言ってるんですか、あ、さっきのビールで酔ってるんですね!?」

 少しの酒でも糖度が増す彼の言葉に、かあっと顔が赤らむ。この人が、仕事で眼鏡をかけるとやり手のビジネスマンに変身するのが、今はちょっと信じられなかった。

(どっちが素なんだろ)

 どちらの島田も好きだけれど。こっそり首を傾げるさくらに、島田は言う。

「酔ってないよ。っていうか、いつも思ってたけど、さくらのそれってさ、話はぐらかしてるの?」

 島田が望んでいる事を察知して、

「ちゃ……ちゃんと好きですから」

 逃げずに言葉にすると、彼は少しだけ満足そうにする。童顔なのが覿面に効いていて妙に可愛い。

「じゃあ、もう一回」

 早速動き始める手を取り押さえる。

「それとこれは話が別です」

 きっぱり断ると、島田は拗ねた。

「やっぱり冷たい」

「柄じゃないんっすよ!」

 思わず語尾が上原っぽくなると、島田は敏感に反応してさらに機嫌が悪くなった。

「俺より上原の方がさくらと長くいるってのが、まず許せない」

「もー、いつまで言ってるんですか!」

 島田が美装に移ってから何度言われたかわからない愚痴に、苦笑いが止まらない。

 結局島田に押し切られ、さくらは三度目の風呂に入った。そして寝室にすることにした和室(今まで物置になっていた勿体ない部屋だ)に戻ると、今日届いたばかりの二組の布団の一方で島田が既に眠りについていた。

 真新しい布団はふかふかで気持ちがよいが、先週までシングルベッドに二人で寝ていたから、広過ぎて少し寂しい。

 そんな事を思いながら布団に潜り込むと、眠っていたと思った島田がのそのそとさくらの布団に潜り込む。

「狭いですよ」

「うん、でも、それがいいんだ。ベッド処分するの早過ぎたかな」

「かもしれませんね」

 二人同じような事を考えていた事に、さくらはくすりと笑う。

 島田の手を握って目を閉じると、予想していた気怠さと、予想以上の幸福感に包まれる。

 柄じゃないから言わないが、さくらだって寂しいから帰りたくない。早く結婚したいと思う。

 だけど、きっと結婚したら、こんな風には求めあえない。少なくとも、島田はあんな風にだだをこねない。今しかないのだ。

 母に早めに引っ越していいかと尋ねた時、母は「不自由なのもあと少しやろ。それを楽しみんしゃい」と言ってさくらをたしなめた。

 融通の利かなさを不満に思っていたけれど、案外母の言葉は的を射ているかもしれないと思った。

(大事に過ごそう)

 決して戻らない日々だからこそ、忘れないよう、胸に刻み込むように過ごしたい。さくらはそう思いながら、暖かな夢に身をゆだねた。


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