83 親からの卒業式
祈る――と言いつつ、島田の家での会合は、結局は宴会になった。
冷蔵庫に残っていたビールを出したあとに、失敗したとさくらは気づいた。さくら以外は酒に弱かったのだ。
河野は笑い上戸、香苗はひたすら説教、島田は愚痴っぽくなった。だが、しんみりしてしまうのは必至だったので、完全に失敗とは言えないかもしれない。
皆が皆、不安を誤摩化して夜を明かし、寝不足のまま病院に向かった。そして――
*
四月最初の日曜日。その日は朝から快晴で、満開の桜が神社の参道を彩っていた。
神社での神前結婚式は、午前中につつがなく終わった。その後は、場所を近くのホテルに移しての披露宴だ。
島田の父は無事に手術を終えたものの、体力が完全には戻らず、車椅子での参加となった。湯布院へはまだ行けていないし、再発の恐れもある。だが、病状が快方に向かい、退院できたことを皆喜んでいる。
島田は改めてさくらの家に挨拶に来て、その日のうちに了承を得た。両親は元々反対する気はあまり無かったらしい。島田が身の回りをきちんと整えたことを伝えると、「じゃあ反対する理由は無いね」とあっという間に頷いた。
そして、島田の父の体調を最優先に予定を組んだら、結婚式は半年後にとんとん拍子に決まってしまったのだ。
披露宴では、さくらはひたすら大人しく高砂席に収まっていた。大人しくしなければならないのもしょうがない。さすがというかなんというか、島田の家の都合もあって、総勢三百人ほどの大披露宴である。
さくらとしては、親に頼らず、自分たちの貯金で出来るこじんまりとした式をしたかった。だが、島田美装の跡取りである島田の立場だと、どう考えても難しく、早々に諦めたのだった。
新郎側には取引先の重役などがずらりと並ぶ。しかし人数のバランスは意外にも取れた。さくらの父も母も兄弟が多く、親戚を集めたら結構な数になったし、なにより、さくらの大学友人の参加率がすごかったのだ。
そんな中、新婦友人として招いた藤沢と広瀬は、歓談の時間になると一番に高砂に駆けつけた。
「それ、すっごく似合ってる!」
だが、さくらは白無垢と色打ち掛けのときに被っていた鬘のあまりの重さに肩をやられていた。首を回そうとすると、重くて首がもげそうだった。今はもう、黒の引き振り袖に着替え、鬘を取って髪を結い直している。だが、ダメージは残り、誰かに肩揉みをお願いしたい気分だった。
「ありがと。でも、和装ってめちゃくちゃ苦しいし重いんだよ。すでに湿布が欲しい。終わったら貼れるように持って来てるから、あとでハの字に貼って、足の裏にも貼るんだよ」
「あー、口開かないで。日本人形みたいな花嫁から、なんかすごく残念な言葉が聞こえる」
広瀬が眉をしかめて、あーあーと言いながら、大げさに耳を塞いだ。
隣でまあまあ、これがさくらだからと広瀬の肩を叩いた藤沢が、興奮した様子で言う。
「でもドレスとチャペルじゃないとか新鮮だった。白無垢いいよね。いいチョイスだ」
「島田さんが、私は和装が似合うっていうからさー。ドレスもいっぱい着たんだよ。悩んだけど、こっちの方が好みだった……みたい」
母や義母、そして義姉たちが妙に張り切ってしまったので、それほどこだわりの無かったさくらは「まあなんでもいいか」と言われるままに、白無垢とお色直しの色打ち掛けを選んだ。
だが島田が「さくらが選んだのを一着追加しよう」と言ってくれたのだ。決定権など既に放棄していたさくらが唯一選べたものだった。そして、最終的に振り袖に決めたのは、島田の「これが一番似合う」のひと言だった。決めた時の事を思い出して、ちらりと島田を見る。
今日の島田は、さくらに合わせて紋付袴の和装だった。島田は痩せているので洋装の方が似合うと思っていたが、姿勢の良さのおかげか、思いのほか似合っていた。後ろに流した髪のせいで額と眉が露になり、目元の色気が強調されている。和装による凛とした雰囲気とのギャップに、さくらは朝からドキドキしっぱなしだった。
そんな心情はだだ漏れなのだろう。二人が「ふうん、島田さんがねぇ」とニヤニヤと笑っている。
「あ、あと向こうのお祖父さんとうちの親が神前結婚式って言うから。どうせならもう和風で揃えてしまおうって。まぁ、そんなにこだわり無かったし、キリスト教徒でもないしさ、顔も昭和風だし」
照れくさくなったさくらは、つい余計な事を言って再び広瀬に怒られる。
「だから、口開かないでってばー。せっかく本当に綺麗なんだから」
「でもさー、がらじゃないんだよ……」
言われなれない美辞麗句にさくらが俯いたとたん、
「さくらー! おめでとー!」
と、かつての学友たちが周囲にどっと集まった。
「びっくりしたー、さくらが学科で一番最初とは誰も思わなかったと思うよ!」
「ホントだ。卒業してすぐとか、ダークホースすぎる。広瀬が一番だと思ってたのに!」
「まー、私も抜かれると思わなかったけど」
来月結婚が決まっている広瀬が苦笑いしている。
「今日はほんと、皆ありがとう」
ご祝儀も馬鹿にならないのにと思いながら、さくらが礼を言うと、
「新郎が御曹司って知ってたら断るわけないよ! 来てみたら、思った通り男性客のレベル高いし!」
と、声を潜めた現金な友人が、島田側の招待客の一部を指差した。そこには田中を始め、合コン以来お久しぶりのイケメン水野も居た。
「あー、確かに」
他の島田の大学友人も確かに、学歴も職業も華々しい。納得して頷いていると、他の一人がまた嬉しそうに口を開く。
「職場の先輩もガタイよくてイケてるし!」
「は?」
誰の事だと首を傾げると、藤沢と広瀬がやれやれと肩をすくめた。
「だめだって、この子島田さんしか見えてないし」と藤沢。
「クマって言ってたよね、確か。勿体ないヤツだ」と広瀬。
「え、上原さんの事? …………いや、確かに紛れもなくクマだったんだけどさ」
さくらが夏辺りのいろいろな出来事を思い出して、無難な言葉を探していると、
「上原は彼女募集中なので、どうぞ相手してやって下さい」
と、いつから聞いていたのか、島田が隣からすかさず口を挟み、リケジョたちが黄色い声を上げた。
短い歓談の時間が過ぎ去ると、披露宴は終わりに近づく。座って笑顔を振りまいていたさくらだが、正念場だった。残るのは今日最後の大仕事だ。激しくなる動悸を抑えようと、さくらは深呼吸をした。計ったように司会者が声を上げる。
「それでは、花嫁からの手紙です」
さくらは大きく息を吐くと、マイクの前に立った。
式が終わり、島田とさくらは二次会のための準備を終えて控え室を出る。
島田は紋付袴から解放されて、普段より少しだけいいスーツを身に纏っていた。それを残念に思うさくらがじっと見つめると、島田も同じ気持ちだったようだ。さくらが普通のパーティードレスに着替えているのを見ると、「勿体ないよな」と惜しがった。
雑然としたロビーには、招待客がまだうろうろとしていた。
中央の椅子に、さくらの母がしんみりとした様子で座っている。それを見た島田は、彼女に近づく。
「今日はお疲れさまでした」
「いい式やったね」
母が感慨深そうにそう言うと、島田は疲れの滲んだ顔のまま、それでもしっかりと笑う。
「おかげさまです。ありがとうございました」
「紋付袴のせいやろか、いつもより二倍くらい立派に見えたよ」
褒め言葉と受け取ったのか、島田は、気にせずに続けた。
「実は、お母さんに言っておきたいことがあって」
「なんね」
「僕に出会うまで、さくらさんを籠に入れて育ててくれて、ありがとうございました」
隣で首を傾げるさくらだったが、母は「そうやろ」と満足そうに頷いている。
妙に親密な二人に目を丸くするさくらを、島田が外へと連れ出す。
声が母に届かなくなったところで、彼はにっと笑うと、さくらに耳打ちした。
「俺が、さくらの最初で最後の男になれたから、そのお礼だよ」
二次会も滞り無く終わり、盛り上がったリケジョと、意気投合した島田の友人たちは三次会のカラオケへと向かった。遠慮した島田とさくらは「頑張れよ」と思い切りからかわれた。いつもなら全力で否定するところだが、今日は事実なので全く否定できなかった。
披露宴の会場となったホテルの特典で、宿泊がサービスになっていたため、二人は今日はそこに泊まることになっていた。
タクシーでホテルに戻ると、ロビーにちらほら知った顔がある。遠方から招いた親戚など、招待客の一部だ。その中を、島田と堂々と部屋まで連れ添って歩けるのは新鮮過ぎた。
(これからは誰にも文句言われないって、すごい開放感)
そんな事を思いながら、さくらは部屋に入る。
上質で落ち着いたインテリアで整えられた、デラックスルームだった。手前には革張りのソファがあり、その前に大きなテレビ。奥にキングサイズのダブルベッドが据えられている。
島田がソファに体を埋めながら「疲れたー」とぼやく。閉じた目元に、長い睫毛が影を落としている。さくらは据えられていたお茶のセットでコーヒーを二杯淹れると、砂糖とミルクの入っていない方を島田に差し出す。冷蔵庫にはお酒があったが、万が一島田が残念に変身したり、寝てしまっては困るので避けておく。
「お疲れさまでした。でも、自分で言うのもなんですけど、いい式だったと思います」
さくらがソファに凭れると、彼がそっと手を握った。
「皆がいい式だったって言ってくれるのは、さくらの手紙のおかげ」
島田は目を閉じたままくすりと笑う。
「そんな大したもんじゃないですよ。必死で考えましたけど……理系なんで文才無いんです」
「それがいいんだ。素朴で、さくららしかった。……――あ、そうだ。面と向かってもう一回言って欲しいかも」
「何をです?」
ぎくりとしながらさくらがとぼけると、島田はいたずらっぽく笑う。
「『啓介さん』ってやつ」
「いや、あれは、その、式場の人が『島田さん』だとおかしいって言うから」
いつか切り替えないととは思っていたが、きっかけが無くここまで伸びてしまった。いざ言おうと思うと、口が照れくささで固まるのだ。
「結婚したんだから、そりゃ『島田さん』がおかしいに決まってる。ほら、練習しようか。“島田さくら”さん?」
目を覗き込まれ、甘く囁かれる。さくらは林檎のように熟れながら、小さな声で彼の名を呼んだ。
限界です。そう呟くと、さくらは一足先に夢の世界へ行ってしまった。
新妻の頬に口付けると、島田は微笑む。彼女に続けとばかりにまどろみながら、浅い夢の中、慌ただしかった一日を振り返った。
規模が大きいのもあったが、うるさい周囲の声をいろいろ取り込んだ結果、ものすごく無難な、形式張った式になってしまった。あの瞬間――さくらが手紙を読むまではそう思っていた。だが、違った。結婚式というのは、このためにあるのだと教えて貰った。
不器用に、それでも素直に紡がれた言葉には、家族や島田への愛が溢れていた。
手紙の文面を思い出すと、愛しさで胸が満たされた。改めて恋をした気がして、なんだか子供のように叫び出したい気分になった。
目を瞑ると、さくらの声でそれは蘇った。
『お父さん、お母さんへ。遅く来た反抗期とでも言うのかもしれないけど、ここ一、二年で、私、二人にすごく反抗しました。今までいい子でいたので、さぞかし驚いただろうし戸惑っただろうなと思います。
お父さんとお母さんは、いつも私が傷つかないようにと、私の事をすごく考えてくれていましたね。だからこそ私は、ずっといい子でいようとして来たのだと思います。けれど、お父さんとお母さんの言う通りにすることは、ずっと二人に寄りかかって生きていくことで、いつまでたっても自分の足で立てないことなのだと気づきました。
失敗しないようにと敷いて貰った道を外れるのは、最初、すごく怖かった。けれど、外れた先でしか見られない、尊いものがあることを知る事ができました。
その事を教えてくれた啓介さんと、私は歩んで行きます。そして、これからは、お父さん、お母さんと肩を並べて歩けたら。そして一緒に人生を楽しんでいけたらいいなと心から望んでいます。
今まで、大事に大事に育ててくれて、本当にありがとう。大好きです。これからも温かく見守ってください』
《完》
一年以上の間、お付き合いくださいましてありがとうございます。
途中長い中断があったりしたのに、続けて読んで下さる方がいらっしゃって、すごく励みになりました。
このお話は「親からの卒業」というのがテーマで、実のところ、前半部分で終わっても良かったお話です。
ただ、親を選ぶか恋人を選ぶかというのが大きな要素だったので、決着は結婚という形でつけるべきだろうと、作者にしては珍しく、結婚をゴールに設定しました。
そのため後半は恋愛要素多めでお届けしましたが(汗)、前半の恋愛要素の薄さとのギャップにも、結構な方が付いて来て下さって感謝しております。
ひと言からでも感想を頂けると今後の励みになります。
ここまで読んで頂きありがとうございました!
碧檎




