76 カボチャと王子
「山田社長に紹介してもらって、君のお父さんに会って住所聞いたんだよ。前にさくらが言ってたろ? ご両親が社長と面識あるって」
島田はここまで辿り着いたルートを説明しながら勝手に家に上がり込むと、さくらにゆっくり近づいた。
まさかそこまですると思わなかったさくらは愕然とする。放っておいても来週には顔を合わせるのだ。待てば良かったのに。
「そしたら、ご両親――特にお母さんが俺と連絡取りたがってたらしくて、すぐに家、教えて貰えた」
さくらは島田が座敷に足を踏み入れたのと同時に、部屋の隅まで後ずさった。
「ふ、不法侵入っすよ!」
「大丈夫。お母さんから許可得てるから。『責任は取れ』って。もともとそのつもりだったんだけど、誰かさん、電話も電源切ってるし、会おうとしないし、話、聞こうとしないから」
居間の西日の中から抜け出すと、島田の姿がはっきりと見えた。
高そうなダークグレーのスーツは会社では見たことがないものだ。あか抜けた王子様然の姿を見て、彼が御曹司であることを偽るのを止めたのだとさくらは思った。
「すまなかった。騙すつもりはなかった。ただ言えなかったんだ。さくらが俺を見る目が変わるんじゃないかって思ったら」
「変わるに決まってます。……”私を相手にするわけない”ってことくらい、すぐにわかります」
「でも遊びじゃないんだ」
「嘘です。だって私、全然釣り合わないじゃないですか。SHIMADAの副社長の島田さんでも無理かもしれないって思ってたのに」
縒れかけているTシャツの裾を握りしめる。島田の身に付けたスーツはこのシャツの百倍くらいはしそうで、さくらと島田の間には、そのくらいの格差があると思った。
(あれだ、灰かぶりと王子様……いや、私はお姫様って柄じゃないし、馬車になったカボチャあたりだ)
卑屈になるのは嫌だが、それが事実だ。さくらが項垂れると、島田は小さくため息をついた。
「どうしたら信じてくれる? ……俺、いろいろ考えたけど結局これしか思いつかなくって」
島田はポケットに手を入れると小さな箱を取り出す。
上品なビロードのケースを見て、さくらはまさか、と思う。
「は、え――、これ」
島田はさくらの左手をがっしりと掴み、薬指に取り出したリングを嵌めようとする。
床に無造作に置かれた箱には、さくらでも知っている女子の憧れのブランド名が堂々と綴られ、横目にも眩しい。
(……あり得ない! これいくらするわけ!?)
あまりに縁遠くて店の前も素通りしていたので(というよりお呼びでないと店の門構えに威嚇されていたという方が正しいかもしれない)、値段など知るよしもない。
内心ぐらぐらと揺れながらも、さくらは抵抗して手を握りしめる。
「こ、これでまた、ごまかそうっていうんですか!?」
「本当にそう思う? 給料の三ヶ月分叩いてまで遊ぶ馬鹿居ると思うか?」
島田はさくらの目をじっと見つめて、苦しげに息を吐いた。
「まだ早いって言ってたから言えなかった。問題も残ってるけど、逃げられちゃ意味ないし、上原に取られるのはもってのほかだし。なにより――俺は、もう待てそうにない」
なだめるように言われ、手を優しく撫でられると、自然に力が緩んだ。指輪が薬指に収まるころには、喉が干上がっていた。
さくらは指にぴったりとはまった指輪に目を落とす。
豆電球だけが灯る暗い部屋でも指輪は存在感を示していた。ダイヤを六本のプラチナの爪が囲むシンプルでオーソドックスなデザインは、石の上質さを強調している。きっと自分でもこれを選んだだろうと思えた。相変わらず彼の趣味はさくらの好みのストライクを突いていた。
昂る気持ちを押さえ込もうとしたら、思わず震えるような溜息が零れた。同時に島田は言った。
「結婚してくれ」
これで信じないヤツは馬鹿だ、とさくらは思った。いくら理詰めで考えても、この左手の薬指に相応しい指輪は、遊びでは買ってやれない。彼が金持ちで、社長の息子で、御曹司でも、いや、そうだからこそ、この指輪だけは軽々しくあげられない。
「なんで返事聞いてから買わないんですか、返品できませんよね、これ。他の人にもあげられないし。こんなの……とても断れないじゃないですか」
「断れないようにしてるんだよ。断られたくないから」
「…………ずるいですよ」
上目遣いに睨むと、島田はいらずらっぽく笑う。
「それで、返事は?」
もう答えは出ていたが、今頷けば、まるで指輪に釣られたようだ。それが悔しかったさくらは、最後の足掻きに出た。
「島田さんが隠してたこと、全部話してくれたあとに考えます」
「だけど、俺が言ってなかったのは、俺が島田美装の社長の息子ってことだけだし」
「うそ」
「ホントだよ。あとは別に何も隠してなかった。将来的に美装に戻ることにはなるけど、今籍を置いてるのはSHIMADAだし、給料だって明細見せた通りだし、住んでるマンションもあんな感じ。両親にも会わせたし、他になにか知りたい?」
そう問われると、とっさに出て来ずにさくらはうーんと唸る。
「……で、でも……あ、そうだ。結婚相手は島田美装から選ぶって……」
「そうだよ。だから美装に移ってもらうのが一番簡単だったし、そう頼もうかと思った。でも、さくらは『仕事に燃えてる』からSHIMADAを辞めさせるわけにいかないし……で、悩んでる間に先にバレた。これは、さくらを傷つけることになって、本当にすまなかったと思ってる。これからは何でも話すし、何でも聞いて欲しい」
島田は殊勝に謝る。と、そのとき、表で母の車の音がして、さくらは慌てた。
ドアが閉まる音が二回響き、さらに慌てる。
「母が、帰って来たみたいなんですけど! 多分父も一緒ですよ!」
「ちょうど良かった」
「なにがです!? 二人きりで家にいるとか、相当まずいんですけど!」
さくらがテンパるが、島田は暢気に笑って爆弾発言を落とす。
「挨拶する気で気合い入れて来たんだから。『お嬢さんをください』って言わないと」
だからこのスーツ着て来たんだけど、と島田は自らの服を指差す。
自分の意思を無視してどんどん進む話に、さくらは頭が痛くなった。
「いや、だから、まだお返事してませんけど!」
「あ、そっか……じゃあ、出直さないとだめか。ご両親と一緒に聞いて欲しい話もあるし、早めがいいんだけど、いつくらいになりそう?」
ぶつぶつ言いながら島田はスマホを取り出した。
「って、携帯、新しい機種に変わってるし!」
いつの間にか薄くなっているスマホに思わず突っ込むと、
「さくらの辞めるってメール見て、ショックで落として壊れた。あ、だから連絡できなかったんだけど」
説明しつつカレンダーを開き、「あぁ、今週はちょっと忙し過ぎるから無理かな。来週でもいい?」と尋ねる島田に、さくらは言葉を失う。まず、彼は断られると思っていない。いや、絶対に逃がすつもりがないのかもしれない。
「…………もう、いいです。負けました。お忙しいのにまた来て頂くのは申し訳ないので……私でよければ、どうぞ末永くよろしくお願いします……って本当にいいんですか? 私、相当面倒くさいですよ?」
「それがいいんだよ」
くすりと笑うと、玄関でじっとこっちを見つめている両親に向かって彼は向き直った。とたん、
「責任取ってもらえるんね? 取らんとか言ったら、結婚詐欺で訴えるよ」
母が近づきながらがなり立て、さくらは思い当たった。そうだった。あんな面倒なおまけがついている女と軽い付き合いをしようなんて、最初から誰も考えない。
「……母ももれなくついてますけど、いいんですか」
小声で後ろから囁くと、「まぁ、あれはあれで新鮮だと思うことにする」と島田は背筋をすっと伸ばし深呼吸をしたあと、「僕にさくらさんをください」と頭を下げた。




