70 しまだとやまだ
SHIMADAの社員は今日、総出で展示会のブースに並んでいる。
会場は国際センター。海沿いにあり、十一月になれば大相撲が行われるような大きな建物だ。
七月に東京で出展したものよりは規模は小さいが、馴染みの客も新作を見学に来るはずなので皆張り切っていた。
テーブルに山積みになっているのは夏の間に作った新しいカタログ。それにはさくらのデザインしたイラストサインが多く入っている。彼女のサインは分かり易く可愛いと子供に好評で、注文も随分増えた。残業は大変だったが、あたらしいイラストを起こして提案するのはすごくやりがいがあって楽しかった。
見本品としていくつか印刷されたプレートも設置され、自分のデザインが商品化されたのを実感して、感激もひとしおだった。
学校や幼稚園向けには壊れにくさや安全を考慮して、柔らかい素材も新しく使っている。また、暗い廊下でも目立つ、蛍光塗料を使用した商品は今回の目玉だった。省エネが推奨され、廊下の照明が落とされるようになってから需要が急に増えたのだ。これらは以前に島田が客先でリサーチして来て開発したものだった。
「片桐さん、今のうちお昼行ってきて。上原君と交代ね」
手の空いた河野が隙を見て、裏方に徹しカタログを運んでいた上原とさくらに声をかける。ちらと目をやると、島田は忙しく接客をしていて、とてもブースを離れる事は出来なそうだ。
がっかりしつつ、会場の外に出ると、さくらは憂鬱を払うように大きく伸びをした。
空は爽やかな青色。明日から九月とはいえ、まだ街中の残暑は厳しかった。だが、うだるような熱気は玄界灘から吹く海風に流されている。港の風景は一足早く秋めいていた。
会場に隣接するホテルのレストランには人の列。さくらは人の波に逆らって歩くと、海沿いにある人気のない階段に腰掛ける。持って来たおにぎり三種――明太子と高菜を入れたもの、それから島田の好物である鶏飯である――を齧り、お茶を流し込んだ。外に出ずっぱりの島田と働くのは久しぶりだったため、一緒に昼食を取れる僅かな可能性を夢見て彼の分まで持参したのだ。
(島田さん、忙しそうだったし、これ食べられないよね……)
残しておいても、保冷剤が会場の熱気で溶けてしまうかもしれない。まだまだ食あたりに気をつけなければ行けない季節。もしお腹を壊したら大変なことになると、さくらは満腹のお腹を励まして、余ったおにぎりを口に放り込む。
(島田さんの代わりはいないからなあ)
彼の地道な営業で市内どころか県内のシェアは随分広がっていた。幼稚園向けや高齢者向け施設の注文はかなり増えている。今日も客がひっきりなしに新しいカタログを求めて行った。もっと刷ってた方が良かったかもと嬉しい悲鳴を上げるほどに盛況だったのだ。
(年商一億って、無茶な話かなって思ってたけど、島田さんならそのうちやってしまうかも)
さくらが有能な恋人の姿に頬を緩めたとき、
「あれ? さくらちゃん?」
前の道を歩いていた集団の中から、聞き覚えのある声が上がる。さくらが顔を上げると、そこには見覚えのある初老の男がいた。
「――わぁ、社長! お久しぶりです!」
前のバイト先――山田の社長だった。驚いてさくらは立ち上がる。クビになって以来だから一年ぶりだろうか。
彼の首に関係者がかけるIDカードを見つけて、ああそういえば同業者だ、と納得する。
「どうしてこんなとこにおるんね?」
懐かしい方言に思わず顔が緩む。
「私、サイン業界の会社に就職したんですよー。ほんと、山田でお世話になったおかげです」
さくらの報告に社長は思い切り破顔した。
「へぇ! そりゃ良かった。心配しとったけんね、安心したよ。で、どこに就職したんね?」
「ええと、小さいところなんですけど……SHIMADAってご存知です?」
名刺を差し出しながら言うと、受け取った社長の眉が僅かに寄る。
「シマダ?」
「ええ。…………どうかされました?」
「いや、なんでもないんよ。とにかく、よかったねえ」
社長は周囲にいた社員と顔を見合わせた。そして何か誤摩化すように何度もよかったよかったと言いながら笑う。そして、社員に促されて頑張ってねと硬い笑顔を残すといそいそと去って行く。
「変なの」
元雇い主の不自然な態度に首を傾げたとたん、スマフォが音を立てた。ディスプレイには上原からのメール。『すぐ戻れ』という文字にさくらは飛び上がった。
「やば!」
休憩時間二十分が過ぎさっているのを見て、慌てて会場へと駆け戻った。
休憩時間を大きくオーバーしたさくらに、上原はいつまでもブツブツうるさかった。
人が減り、島田が休憩に外に出ると余計に愚痴っぽくなった。さすがにうんざりしたさくらが、山田社長の不自然な態度を『必殺話題逸らし』で使ったところ、上原は馬鹿にするように言った。
「――そりゃ、ライバル会社だから当然だろ」
「そうなんですかねえ」
「SHIMADAの受注が増えれば、それだけ余所の受注が減る。需要が爆発的に増える業種じゃねえから当たり前だろーが」
「でも、それはSHIMADAが努力してるからじゃないですか」
「外からじゃそれはわかんねーだろ。特にこの業界は新規参入が少なくって、昔から特定の業者の談合が蔓延ってたからな。島田さんみたいな新しいやり方に慣れてねえんだよ」
「談合?」
「そのくらい大卒なら知ってるだろうが」
さくらの頭の中では高校の授業で習った『独占禁止法』という言葉だけがぐるぐると回っているが、どう関係あるのかはぱっと出て来ない。つまり、ここで『大卒』と言われるのは正直に言うと痛い。
「知ってますけど、ええと、具体的に想像できないだけですよ」
引きつった顔で言い返すが、
「そういうのは知らないって言うんだ」
上原は呆れたように言う。
「同業者同士で話し合って、入札額を予め決めておくんだ。『今回はうちが落としますから、次はそちらで』ってな感じで。昔はシマダもやってたみたいだけどよ」
「昔って、出来たばっかりじゃないですか」
何言ってんですか、とさくらが突っ込むと、
「……? お前、まさかまだ聞いてないのかよ」
信じられねえと上原は深いため息を吐く。
「は? 何をです?」
さくらがきょとんとすると、上原は苛立ったような声を出した。
「お前、普段島田さんと何話してんだ? いちゃついてるだけで、真面目な話してねえんじゃねえの?」
交際を発表した後、上原の口から島田との事に触れられるのははじめてだった。どこか責めているような口調に、後ろめたさが急激に沸き上がる。さくらは反射的に誤摩化しにかかった。
「失礼な。この間はハゲが結核に強いとか、胃ガンになりにくいって言う話を真剣にしてましたし!」
――確かにした話ではあったが、ハゲ話が出たのは、さくらが島田の髪を引っ張ったからで、どうして引っ張ることになったのかといえば、上原が言った『いちゃついている』に該当する行動からになってしまうのだが。
(あれ、もしかして墓穴? 墓穴か!)
動揺して目が泳ぐさくらを見て、上原はため息をついた。
「……あーあ、なんか馬鹿らしー、あほらしー」
上原はよっこらせ、と立ち上がってカタログの補充に向かう。
と、向かった先に、噂をすればなんとやら。山田の社長がいた。
彼はさくらの顔を見るなり破顔する。先ほどの事はなかったかのような笑顔だった。
「あ――さくらちゃん、さっきは名刺も渡さんでごめんねえ。あれ、そっちの方は?」
「先輩です」とさくらが紹介しようとすると、
「上原です」
上原は怪訝そうにしながらも名刺を差し出し、名刺交換が行われる。
デザイナーと書かれた名刺を見た山田はふうん、と唸りながら、壁に展示されているプレートを指差した。
「デザイナーってことは、ここのサインは、上原さんがつくっとるとね?」
「ああ、はい。金属プレートのサインの大半は僕で、この辺の木製のサインは片桐が」
「へええ、さくらちゃんが、このイラスト描いとるとね。ずいぶん、腕あげたんやねえ」
感心する山田を見て、もしかしたら仕事の話だろうか? とさくらは思い当たった。見回すと、河野は別の客を接客中だ。
「上の者を呼んで来ましょうか?」
島田を呼んで来た方がいいかもしれない――とスマフォを取り出すさくらを山田社長は止めた。
「いや、いいよ。さくらちゃんに用があっただけやし。ええっと、そっちの上原さんも、展示会終わってから、少し時間取れんかねえ」
「あー、すみません、私、今日はちょっと……」
さくらは顔をしかめた。
今日は久々のデートである。ずっと前、聞いたときから決めていて、替えが利かない日だった。約束を反古にするほど仕事熱心になれないと思ったさくらが、ちらりと上原を見ると、彼はじっと山田社長の名刺を見つめていた。
やがて彼は「じゃあ、僕だけ行かせてもらいます」と頷いた。




