番外編 まるで罰ゲーム
島田はベッドの上で一人、どうしたものかと考えに沈んでいた。
先ほどまで体の下にいたさくらはどうしたかというと、現在浴室である。因みにまだ未遂だ。肌が触れ合う段階になって、急に怖じ気づいたのか、それとも恥ずかしかったのか、風呂を貸してくれと懇願された。
気持ちがわからなくもないので、逸る気持ちを押さえ付けて開放した。
その間に準備を整えようというもくろみもあったのだが――……一番重要な準備である、アレが見つからない。財布、鞄、机の引き出しと探してみたが全部空振りに終わり、次第に彼は焦りはじめた。
(落ち着け、俺)
一つ深呼吸をすると目を瞑る。そして曖昧な記憶を辿り始める。
およそ一月前――ちょうど、さくらが今のマンションに引っ越した頃だ――必要になるからと買ったはずだった。そして常に持ち歩くようにしたはずだったのに、肝心な時に見つからないというのはどういう事だろう。だから間が悪いなどと姉に言われ続けるのだ。
(すぐに取り出せるようにって、どこかに仕舞ったはずなんだけど……)
だがその場所がどうしても思い出せない。心当たりはすべて当たったつもりだが目的物は発見できなかった。
浴室から聞こえる水音が止まり、扉が開く音がする。タイムリミットが迫り、島田は余計に焦った。熱が下がり切っていないのも手伝い、頭が働かない。落ち着きなく先ほど探したばかりの鞄を再び漁ってみる。
「どこいったんだ。ここじゃなかったら、どこだ?」
まさか落とした? だとするとどこで? 今日寄ったのは、会社とカフェ。カフェならまだしも、もし会社で上原や姉に見つかったら――と考えただけで目眩がした。
(いや、それはとりあえず置いておいて、これからの事だ)
いっそ無しで挑もうと体は熱烈に訴える。が、それは大人の男として失格である。となると、買いに出かける必要が出て来るのだが――
善は急げと思い立った島田が先ほど脱ぎ捨てた上着を床から拾い上げていると、浴室からはさくらが恥ずかしそうに顔を出した。ふわふわだった髪が艶のあるカールを描いて、印象ががらりと変わっていた。胸が跳ねる。彼女はそんな島田を見てすぐに不審そうに顔を歪めた。
「島田さん? どこ行くんですか」
「ええと……ちょっと薬局――」近くにあるドラッグストアを思い浮かべたが、営業時間が過ぎている事に気が付いて言い直す。
「いや、コンビニでも売ってるか」
数件先のマンションの一階が店舗になっている。徒歩二分ならば薬局より随分近い。
「薬局ですか? でも、熱があるのに大丈夫なんですか?」
「うん、近いし。悪いけど少し待ってて」
曖昧に誤摩化しつつ立ち上がった島田は、あっけなく熱にノックアウトを食らう。立ちくらみを起こし再びベッドに座り込む彼に、さくらが慌てて駆け寄る。自分の使っているシャンプーの匂いが彼女から漂い、島田は急激に熱が上がるのを感じた。
「起きたらだめです。悪化します」
さくらはそこまで言ったあと、神妙な顔で「明日にしましょうか?」ととんでもない提案を持ちかけた。
確かに熱もあるし、延期が無難かもしれない。
自分の中の理性的で大人な部分がそう訴えるが、ここまで来てお預けかと子供な部分がヤサグレかけている。
「確かに風邪移しちゃまずいか……そうしようか」
なんとか理性が勝利を収めたものの、口にした言葉は妙に疲れた色をしていた。子供が拗ねているように聞こえたかもと、島田は自己嫌悪に陥る。すると、さくらはしばし考え込んだあと、別の提案をした。
「ええと……私が買ってきますよ? 風邪薬ですよね? 他に何か要りますか?」
さくらは鞄を漁ってメモを取り出す。それは昼間の生真面目な部下の顔だ。仕事の指示を待つようにじっと見つめられ、ふと興味が沸き上がる。
(言ったら書くのか?)
「じゃあ……」
島田の口から零れた言葉を拾ったさくらは、メモをしかけて途中で手を止め、目を際限まで見開く。そして今の発言を取り消したそうに俯いた。
島田のマンション近くにあるコンビニで、さくらはとある棚の前をうろうろとしていた。
あのあと島田は「冗談だって」と必死で否定し、そして今日は帰るか河野の家に泊まってくれと懇願した。だがさくらは絶対に島田の家から帰るつもりはなかった。先延ばしにすると覚悟が揺らぎそうだったのだ。
追いすがる島田を振り切って、さくらは「すぐ戻ります」と部屋を飛び出した。
籠の中にはすでに風邪薬と栄養ドリンクが入っている。薬事法の改正以後、一部のコンビニでは風邪薬が手に入るらしい。便利になったなーと感慨深いが、頼まれたモノ――肝心な物だけは店内に置いてあるにもかかわらず、なかなか手に入らない。
まるで興味がなさそうなふりをして何度も目的物の前を通過する。その度に横目で確認する。一回目は場所を。二回目は価格、三回目は個数を見て、そのあといつもの癖で一個あたりの単価を計算した。
コンビニだから品揃えは三種類と豊富ではない。価格では一番小さな箱が手頃だが、単価は高い。単価が一番安い物は、乙女には刺激が強いキャッチフレーズがついている。こういった場合は間をとるべきかと、さくらは店内をうろつきながら悩んだ。
本当は手に取って裏面までじっくり読まないと、間違いそうで何となく落ち着かない。だがそれは床近くに陳列されており、かがみ込まないと確認できないのだ。
夜も十時となると、店員がすべて男性。さくらを怯ませるには十分だった。しかも、レジに立っているのは制服に似合わない茶髪にピアスのチャラい男——だが一般的にはイケメンである。つまりとても気まずい。
(うーん、どれもそんなに変わらないよね?)
迷いに迷った末、通路の五回目の往復を終えたさくらは、結局間を取って、単価が中間で比較的手に取りやすく、特徴的なキャッチフレーズなどがパッケージについていない可愛らしいデザインの箱を一つ籠に突っ込むとレジのイケメンの元に突進した。
籠を引き渡すと無表情を心がける。
「袋は要りますかー?」
イケメンにごく普通に問いかけられて、さくらは勢い良く縦に頭を振った。
財布しか持って来ていないのだ。袋なしでこれを持って行けというのか。
(ただでさえ罰ゲームの気分なのに、この上、どんな羞恥プレイだよ!)
文句を言いたい気分でちらりとレジ係を見ると、明らかに彼の目がそのゴム製品と、隣に寄り添っている栄養ドリンクに注がれている。イケメンの口元が何か言いたげに緩んでいるのに気づいて、さくらは頭に血が上るのがわかった。
(いや、違うって! ドリンクはそっちじゃなくて風邪薬とセットで見て下さい!)
ピッという電子音が空しく響く店内で、さくらは心の中で必死に否定する。
兄に頼まれてとか友達に頼まれて――などと言い訳が頭の中でぐるぐると駆け巡るが、どれもこれもわざとらしい。というか誰が人に頼むんだとツッコミが入る。
『いやあ、お菓子に似たパッケージだから、間違えちゃって!』
と、比較的まともな言い訳を思いついたが、まずそんなこと誰も聞いてないって! と冷静さを取り戻し、恥の上塗りは寸でで避けられた。
「ありがとうございましたー」
イケメンレジ係の笑顔がもの言いたげに見えるのはきっと気のせい。
(二度と来れないよね、このお店!)
渡されたレジ袋を奪うようにして、さくらは猛然と店から飛び出した。
そのままの勢いで島田の家まで駆けたさくらは、階段を上り切ったところで足を止める。
島田が部屋の前で足を投げ出して座り込んでいた。
さくらを追いかけて来て、ここで力尽きたらしい。
彼は怠そうに目を閉じているが、さくらの足音が止まったところで薄く目を開けた。長い睫毛が影を落とすとろんとした目が異常に色っぽくて、さくらは思わず生唾を飲む。
「ええと、頼まれたモノ、か、買ってきました……」
掠れて消え入りそうな声で報告するが、彼は勝手に飛び出したさくらにねぎらいの言葉はくれない。
「冗談って言ったろ? ……女の子が夜に一人で外に出たら駄目」
熱っぽい目で睨まれ、不満を投げつけられた。さくらが働きを誉められずにしょんぼりしつつ手を貸そうとすると、彼は『大丈夫』と信用させるように力一杯腕の中に彼女を囲う。そしてそのまま部屋の中に連れ込んだ。




