57 執拗な家宅捜索
「お邪魔するよ」
がらんとした部屋にさくらの母の声が響く。島田は扉を明けっ放しのまま玄関に突っ立って、突然の家宅捜索に甘んじていた。密室にならないようにするのは、礼儀もあるが、自衛のためでもある。この上難癖着けられたら堪らない。
(親子揃ってなんなんだ、この警戒心のなさは)
親子ほどの歳の差があるとはいえ、ほとんど初対面の一人暮らしの男の家に上がり込むというのはやはり不用心だ。そう思っていると、
「なんね、男の一人暮らしにしては綺麗にしとるやないね」
感嘆と呆れの混じった声が時折上がる。
「ほとんど家に居ないから散らからないだけです」
「――っていうか、どうしてこんな広いところに一人で住んどるんね?」
「両親の所有物ですよ。管理も兼ねて住ませてもらってます」
「ふぅん、つまりは坊々って事ね。いい大人が、随分甘やかされとるね」
はじめてもらう率直な感想に島田は一瞬眉を上げたが、大人しく認める。
「……その通りですよ」
島田は祖父や父と違って、まだ何も自分で手に入れていない。彼らが築き上げた舞台で彼らの恩恵を受けて突っ立っているだけ。島田美装に戻らずに自分の舞台を築くべく足掻いているが、家一つ自分で用意することができないでいる半人前だ。
普段目を逸らしている事実を久しぶりに突きつけられ、島田は苦笑いをする。
(さくらを連れて来なくて良かったかも。母親がこの様子じゃ、きっと俺、愛想を尽かされた)
どこかで不安に思っていたのだ。完全に自活しているさくらから見れば、親に仕事も、その上家も提供されている島田はどう映るだろうと。だからこそここに連れて来れなかったのかもしれない。
いや――それが一番の理由だったのだと自覚する。
(情けねー)
腐る島田を全く気にせず、さくらの母は興味津々といった様子で、家の玄関からトイレ、ベランダ、さらにはクローゼットまで、人が隠れられるようなところを全て覗いてやっとここにはさくらは居ないと納得した。そして「明日は会社に行くけんね」と言い捨てて帰って行った。
「会社にも来るのかよ……」
げっそりした島田がふと時計を見ると、夕食もまだだというのに、もう十時が過ぎていた。
(メシ、買いに行くかなぁ)
冷蔵庫の中を見ても碌なものは入っていない。水と、缶ビール。魚肉ソーセージが数本。
さくらの母を一番安心させたのも島田の貧相な食生活だったようだ(彼女は驚くべき事に冷蔵庫まで覗いて行った)。自分でも女が通っているようにはとても見えないと思った。
外に出るのが面倒で、島田はソーセージを齧る。
(それにしても)
家が静かになり、腹も少し落ちつくと島田は急に心配になってきた。当然気にするのはさくらの行き先である。
交友関係を思い浮かべるが、一番親しいはずの藤沢のところにいないというのが気になった。
親まで巻き込んで隠しているのかもしれない――いや藤沢は頭が回るしそうに違いないと、島田は田中にメールを打つ。
返事を待つ間、昼間上原が言っていた事が頭の中に浮かんだ。
(新しい彼氏のところ? まさか)
鼻で笑うものの、上原の言っていたように、華やかな化粧や香水などの変化は気になった。島田はさらに彼女が今までに見た事のない服を着ていたことにも気が付いていた。鮮やかな淡いグリーンのブラウスに、深緑で膝上丈の――短めのショートパンツだ。着回しのしやすい無難で地味な服を選ぶことが多い彼女にしては、華やかで活動的な服だった。すぐにあんな風に趣味までもが変わるものだろうか。
気合いを入れる――と本人は言っていたと思うが、その一環にしてはタイミングがずれている気がするのだ。髪を切った時に一緒に変わっていればそこまで気にしなかったけれど、家を出た昨日から、というのが妙に気になった。
と、そこでぶぅんと携帯が震え、島田は急いでメールを確認する。『本当にいないらしいけど』との答えに目の前が暗くなるのを感じ――ふと気が付くとマンションの階段を駆け下りていた。
携帯のアドレス帳を開いて、もう一度電話をかける。だが、先ほどと同じ移転のメッセージが流れるだけ。
(どうしてこんな心配させるんだ)
舌打ちすると携帯をポケットにしまう。
階段を下り切り、目の前に現れた『河野』の表札を見て、ふと姉には新しい連絡先を教えているかもと、扉を叩きかけて我に返った。
(あ……そうか……)
さくらは母親だけでなく、島田にも新しい番号を知らせたくないのでは――とようやく思い当たったのだ。いや――むしろ、母親ではなく島田を完全に切りたくて、番号を変えた可能性の方が高い。自分がした事を考えると当然だった。
だとすると、これ以上彼は口を出す事は出来ない。
上司として心配する事さえ、もう許されないのだ。
(彼女は大人だし。会社にも来ていた。明日も普通に出社してくる。――きっとネットカフェとか、ホテルとかに逃げてるだけに決まってる)
必死で言い聞かせる。だが拭っても拭っても沸き上がる不安に島田は取り乱しそうになった。
どうして落ち着けない? と心の中を覗き込んだとたん、不安の大元がなんなのかに気が付いて頭を抱える。
つまり島田はさくらの母と同じ事が気になって仕方がないのだ。
(自棄になって変なヤツに付いて行ってたり……寝てたりしてないだろうな――)
想像したら、胃が抉られるように痛む。俺のものだと今さら所有権を主張したがる己に呆れ果てた。
「とんだ大馬鹿野郎だな」
自嘲すると頭を冷やすためにマンションを出る。大粒の雨に姉の家の温かそうな照明が映る。姪っ子の奈々がまだ起きているのか、楽しげな笑い声がした。
羨ましく思いながら横目でそれを眺めると、島田は傘を下ろし、あえて雨に打たれて深く息をついた。




