49 山道にあるお城
島田の誘いを拒んだその日、さくらは恒例の母の電話を受けた後、久々に藤沢に電話をかけた。家で一人で冷静に考えると急に不安になってしまったのだった。――嫌われたかもしれないと。
乗り気ととられてもおかしくない発言だってしているくせに、一度ばかりか二度も拒んだ。今さら何を勿体ぶってるんだと呆れられても仕方がない。
これでは面倒くさがられて別れを切り出されても文句が言えない。先ほどの彼は大人な対応だったけれど、今後拒み続ければ破局は間違いないと思う。
島田の事は好きなのだ。ただ、いざ男女の関係になると思うと未だに頭と体が強ばる。取り返しがつかない間違いを犯してしまうのではと怖くてたまらない。
そんな風に相談すると藤沢は『嫌なら無理しなくていいんじゃない』とさくらを肯定してくれた。島田だって本気で好きなら待ってくれるよと励ましてくれた。
そうだよねと安心して一旦電話を切ったものの「本気で好きなら」という言葉が引っかかって胸が重くなった。そう言われてさくらは初めて気が付いたが、彼に好きだと言われた事がなかった。告白でも一緒にご飯を食べたいから付き合いたいと言われただけだ。
そして、一気に深く悩み出したさくらの元へ届いたのは『遠出しないか』のメールである。遠出にも色々ある。日帰りだと思うが、もしかしたら泊まりがけかもしれない。片付いていない部屋を理由にしたさくらが断れないように――そんな風に思いつくと、その考えが頭から離れなくなってしまった。
悩んだ末にもう一度藤沢に電話をして、メールの件と、好きだと言われてないことを打ち明けたとたん、『はぁああ?』という柄の悪い声と共に彼女はぶち切れた。そして、
『それでお泊まり強要とか言うんだったら、そんな男は見切れ。いっそ潔く別れろ』
と参考にならないアドバイスをもらった。白か黒かはっきりさせたがる藤沢らしいが、一転して過激すぎる。
さくらとしては別れたくなどないので悩む。できれば、今みたいにキス止まりでずっと過ごしていきたいのだけれど、それはさすがに許されないだろう。
週末には重大な選択を迫られるかもしれない。考えるとひたすら気が重かった。
そして土曜日。
車の中にはぎこちない空気が漂っていた。
一応ラジオがつけられているが、音量も随分絞ってある。ナビが時折道案内を告げるが、機械的な声は空々しくさえあった。
島田とは、あの日からほとんど話していない。喧嘩をしたというわけではないのに、仕事中もずっと気まずかった。外回りに出ていく彼を見て、いつもは寂しさを感じていたが、ほっとしたのは初めてかもしれない。
国道から県道に入った辺りで、ずっと黙り込んでいる島田に代わって、さくらは話題作りにと尋ねた。
「今日はどこに行くんですか?」
「海。K市の方」
島田は真っ直ぐ前を向いたまま、F市から一時間ほどの場所にある、玄界灘に面した町の名を短く答えた。日帰り出来る距離にほっと安心するが、
「泳げませんよ。色んな意味で」
五月に泳げるのはリゾートの海くらいだ。もし泳げたとしてもさくらは水着を持っていないが。
「泳がないから大丈夫」
普段はもう少し面白い答えが返って来るのだが、今日の返答は妙に素っ気なく、まるで話が続かない。これはやはり怒っているのだろうか。
それ以上話題が見つからず、会話を諦めたさくらは道沿いの景色を見つめていたが、とある看板を見つけて眉をひそめる。今日何個目だろうか。郊外に出てから五つは見た気がした。
山を切り分けて作った道の先には海が微かに見えている。五月晴れの淡い空の青と深い海の蒼のコントラストが美しかった。だがそんな美しい景色の沿道にはなぜだかラブホテルが乱立しているらしい。
さくらの実家も田舎だが、国道の抜け道になる比較的通りの多い道にはこういった建物が多かった。
城を模したようなど派手な建物を見る度に思い出すことがあったが、その記憶は例外なく今日も浮かび上がった。
まだ小学校高学年くらいの時だったと思うが、さくらはこれが何のためにあるのか理解出来ず、無邪気に『お母さん、あんなところにお城があるよー』と母親に告げて『絶対男の人とこういうところに来たらいけんよ』とすごい剣幕で言い聞かされた。それ以降、さくらが施設の使用方法を知ることになった後も、見かける度に同じ事を言われ続けた。普通親とそういう話はしないものだと思うが、母早百合は普通ではなかった。
(うーん……)
当時の気まずさを思い出し、溜息が出そうになる。
『お嫁に行けんごとなるよ!』
耳に残る母の言葉を必死で追い出しながら、赤やピンクのいかがわしい看板が次々と通り過ぎるのを横目で見ていると、ふと『ご休憩』という文字に目が留まった。
(あ)
さくらははっとする。今日はそれほど遠くに行くわけではないと安心していたが、別に泊まらなくてもそういう事は出来るのだ。
(…………まさかね?)
急激にさくらは逃げ出したくなる。
ただでさえ最初が真っ昼間というのはハードルが高い上に、さくらにだって憧れのシチュエーションというのはある。それを完璧に満たせなどとは言わないが、最低限、こういった場所は避けたい。それならば、ダンボールに囲まれていようと自分の部屋の方がまだいい。
真意を問いたくて、ちらりと島田の横顔を見る。だが彼は硬い表情で前だけを見つめている。カーブが続くため、よそ見は出来ないのかもしれない。
看板が目に入る度に、車がその辺のホテルに入る絵を想像し、さくらはそわそわと落ち着かなかった。




