43 元凶はアパート
休憩のためブースを離れ自動販売機に向かったところで、見た顔に出会う。
「あれ、島田か?」
「田中? なにしてんだこんなところで?」
「俺は『先輩社員』代表で、今日が当番。お前は?」
どこも大変だなと思いつつ、ウンザリと答える。
「似たようなもん」
「お前の場合は客引きパンダか。そういや水野もさっき見た。大変だな」
田中は島田の境遇を知っているが、彼がそれを隠したがっている事も諸事情を含めて知っている。例の合コンでも気を使ってくれたのか、彼の職業については漏らさなかった。
そこで田中の肩越しに相沢の姿が見えて焦る。追って来たらしい。休憩が休憩でなくなる事を恐れ、
「ここじゃなんだから――確か、お前煙草吸うよな?」
追って来ない事を願いつつ、田中を喫煙室に誘った。
透明なアクリルガラスで囲まれたエリアには疲れた様子の社員たちが数人いた。相沢はさすがに中までは追って来ない。煙草を吸うイメージを自らに植え付けたくないという計算が透けて見えた。
外からは動物園の展示物のように見えるのではないかと思いつつ、独特の香りに顔をしかめる。田中が煙草に火をつけるのをじっと見つめた。
「お前さあ、最近どうだ?」
紫煙を吐き出すと、田中が尋ねる。曖昧な問いに首を傾げる。
「なにが?」
「彼女。さくらちゃん」
「ああ……相変わらず」
何も進展ありませんとおどけると、田中は気の毒そうな顔をした。
「京子が随分気にしてた。さくらちゃんのこと」
「……ああ」
彼女の藤沢さんが、そんな名前だったかと思い出す。
「卒業旅行も、なあ。いい案だったのに」
思わず苦笑いが出た。友人カップルは昔から二人しておせっかいなのだ。遅々として進まなそうな関係を心配して、持ち上がった卒業旅行の計画に混ぜてくれようとした。島田は遠慮しつつも僅かな期待を抱いてその企みに乗った。だが貧乏を理由にあっさり断られてしまった。
そして理由は金ではない事は島田が一番良く知っている。SHIMADAの給料はさくらが心配するほど少なくはない。
(理由が金なら、俺がいくらでも出すんだけどな)
だが、きっと断られるだろう。なんといっても彼女は壊れた眼鏡のローンを相変わらず払い続けているくらいに律儀なのだ(さすがにもういいと言ったのだが、「そういうのはきちんとしたいんです」と断られた)。
「まあ、ゆっくり構えとくつもり」
と言いつつもどこから攻略すればいいやら不安は一杯だった。
問題が大き過ぎると何から手を付けていいやらと途方に暮れる。それでも糸口を必死で見つけようと考え込んだ。
(とりあえず、あのアパートから引っ張り出さないことにはなにも進まない)
相変わらず固定電話付き駐車場付き(といってもコンビニの駐車場への無断駐車だが)のアパートに住み続けるさくら。
あの場所にいる限り精神的に親に依存し続けるのではと島田は心配している。
引っ越しについては何度か話し合った。だが、その度に親を説得する自信が無いと彼女は顔を曇らせた。
引っ越しに必要なものは敷金礼金などの費用に加え、保証人がある。
親が転居に賛成して引き受けてくれるというのなら問題ないはずだが、その場合今と変わらない条件の住処でないと頷かない可能性がある。それでは引っ越す意味がない。
そして反対された場合。
保証人不要なところを探すとか、以前言ったように島田が引き受けるという手がある。だが、実は事はそう簡単ではない。反対されてまで家を出る『理由』を彼らにどう説明すればいいのかを考えると、酷く頭が痛いのだ。
嘘の吐けないさくらだ。きっとすぐに島田との交際まで辿り着かれ、大人の付き合いをしたいがために引っ越したと誤解される(それは理由の一つではあるが、断じて全部ではない)。そうなると、いくら弁明しても、両親が彼らの交際に良い印象を持つ事は難しいだろう。
島田はそんな風に彼女の両親の心証を悪くする事は望まない。いっそ真剣な付き合いだと打ち明けて許してもらいたいくらいなのだが――となると結婚を真剣に考えていかなければならないだろう。それにはまた別の大きな問題がある。
(さくらちゃんのところが母親なら、うちはなあ――)
思考がぐるぐると堂々巡りし始めるのが分かり、島田は一度コーヒーを飲んでリセットしようとした。
(こういうとき、考えなければならないのは出来るだけ小さくて具体的な問題から。――やはり最初に戻って……アパートからだよな)
ビジネス書に書いてあった問題解決方法を思い出しながら、島田はため息をつく。
「あーあ、どうすっかな」
すると、田中が煙草を消しながらにやりと笑った。
「とりあえず、例のアパートが元凶なんだろ? さくらちゃんを借り上げ社宅とか独身寮に入れるってのは?」
考えていた事を言い当てられて、びくりとする。
(借り上げ社宅? 寮?)
「田中……お前はエスパーか」
呆然と呟く。なんだそれ、と田中は顔をしかめたが、すぐに気を取り直す。
「京子が言ってた。その辺は役員権限で融通利くんだろ?」
「じゃあ、藤沢さんがエスパー……っていうか、頭いいな、お前の彼女」
「だろー? 賢いんだ」
惚気る田中に苦笑いしながらも、島田は妙に血がたぎるのが分かった。




