39 恐るべし母の勘
「あんたって子はもう……せっかくのクリスマスやのに一人とか。寂しくないんね」
口から出る不満とは裏腹なニコニコとした満足げな母の笑顔。それを前に、さくらはテーブルの上のローストチキンをナイフで切りながら苦笑いを浮かべる。本日の限定メニューらしい。何でも頼んでいいと言われて、自棄糞で一番高いメニューを注文したのだ。鉄板の上で皮がぱりぱりに焼けていて、香ばしい。だが、いくら美味しくても今のさくらの不満を払拭出来ないだろう。
(寂しくないんね? って――あなたが、それを言っちゃいけません)
胡乱な目をむけると、母の隣にはさくらと同じくチキンを黙々と食べる父親の姿が目に入る。仕事帰りなのかスーツである。
(せっかくのクリスマスに、両親揃って来るとかありえないし)
クリスマスイブの今日、さくらが帰宅したのは午後七時半だった。今日は河野と島田が揃っていないので上原と二人きりになる。それを嫌がった島田に懇願されてバイトは休むことになったのだ。
研究を終え、大学から直帰したところ、コンビニに見覚えのある車を見つけてげんなりとした。
母だけの突撃はある程度覚悟していたので、彼女の顔を見た時にはやっぱりという落胆しかなかったけれど、父の顔を見た時にはさすがに仰天した。
「おとーさんの仕事終わったところを拾って来たんよ。久々に皆で食事も楽しいやろうと思って」
母はそう説明したが、ファミリーレストランの中で、さくらたち親子は確実に浮いている。
さくらのアパートの近所にあるファミレスは、そこそこの価格とそこそこの味が売りの店だ。普段はカップルもいるが、さすがに今日は高級店にでも流れたのかあまりいない。混み合っているが大抵が幼い子供連れである家族ばかりだ。
クリスマスに家族でファミレスとなると、二十歳を過ぎているさくらは肩身が狭かった。いっそ一人の方がまだましだ。友達でもなく恋人でもない人間と過ごすならば、家にひっそりと籠るくらいの見栄はあるのだ。
時々ちらちらとした気の毒そうな視線を感じる。――被害妄想かもしれないが。
食事を終えると両親は持って来たケーキを理由にアパートで一服し、そして恒例の室内チェックを終えると、満足そうに帰って行った。
(あー……なんてクリスマスなんだ……)
玄関の置き時計を睨むと十時だった。ぐったりと部屋に戻ろうとして、物に足が引っかかり転びかけた。床に置かれているのはクリスマスプレゼントの入ったダンボール箱。といっても中はほとんどが食料品である。米と、家で取れたサツマイモや柿の他に、さくらの好きなインスタントラーメンが入っている。
溜息が出る。郵送してくれたならば、感謝しか言葉はなかっただろうに。これはきっと突撃の口実だと思うと、素直に喜べなかった。
片付ける気にもならず、ダンボールを放置してベッドに倒れ込む。
「……デートの予定とか、立ててなくて良かったかも……」
恐るべし母の勘、と言ったところだろうか。
(やっぱ、昨日の電話が不自然だったかなあ……)
予定はないんね? との問いに、ぎくりとしてすぐに「あるわけない」と全力で否定した。本当に何もないのだから、軽く返せばいいのに、島田の事が頭をよぎって妙に固くなったのが原因かもしれない。どうも隠しごとは苦手なのだ。昔から母にはなぜかすぐにばれてしまう。
「さーて、風呂入って寝よ」
しんとした部屋に向かって呟いた。
去年と同じように過ぎていく時間を残念に思う。もし島田と一緒だったら、たとえ夕食がファストフードのフライドチキン、いやいっそスーパーで売っている二百円くらいのチキンだったとしても、特別な時間になっただろうに。
ああ、来年は手作りでもいいかも。ぼんやりとそんな事を考えて、寂しさを紛らわせる。
風呂を湧かすのが面倒で、シャワーで済ませる。グレーのスウェットを着ると髪を軽く乾かしてベッドに横になった。
ちかっと携帯のランプが点滅するのを見て、母か? と何気なく確認し――さくらは飛び起きた。島田だった。
「え、うそ!」
慌ててかけ直すと、彼はすぐに電話に出た。
「もしもし。夜分遅くすみません! 島田さんですか?」
『さくらちゃん? もしかして寝てたの起こしちゃった? ごめん』
掠れた声に続いて渇いた咳の音が聞こえ、妙な胸騒ぎがする。
「いいえ。どうされたんですか? お仕事は?」
『……さっき終わって、それで、すぐ近くまで来たから……ええと』
そこでトラックのエンジン音。さくらはふいに思いついて、慌てて尋ねた。
「もしかして、コンビニにいます?」
『…………ああ』
「ちょっと待ってて下さい!」
『あ、さくらちゃん、ちょっと――』
島田の声を遮って電話を切る。素早くコートを引っ掛けて外に出ようとして、玄関の姿見の前ではたと立ち止まった。
(スウェットだし! その上すっぴんだし!)
迷ったが、この寒空の下、外で島田が待っていると思うと、着替えて化粧なんてしている暇はないと思った。
(コート着るし、幸い眉は書かなくてもしっかりしてる。風呂上がりで顔色もいいし――とにかく、暗いから大丈夫!)
無理矢理言い聞かせると、さくらは鍵と携帯を握って外へと飛び出す。
コンビニまで全速力で駆けていると、途中で同じく駆けて来ていた島田に鉢合わせする。嬉しさから思わず顔をほころばせるさくらとは対照的に、外灯に照らされる島田の顔はムッとしていた。
「――女の子がこんな時間に一人で外は駄目だ」
出会い頭に怒られて、さくらは言葉を失った。
「待っててくれればこっちから迎えに行ったのに」
ふと見ると、島田はスーツを着ていなかった。この間のようなラフなジーンズではないが、ジャケットとチノパンという私服姿。蛍光灯の光を受けてるためか顔色が悪い。妙に疲れた――というよりは窶れた印象があった。それなのに眼光だけが鋭く思えて、さくらは怯んだ。
「すみません。お待たせしちゃ悪いと思って」
さくらが謝ると彼はふいに辺りを見回す。
「お母さん、帰った?」
「え、どうして知ってらっしゃるんです?」
「十時頃来たら、コンビニにお母さんの車があったから、しばらく待機してた」
思わず携帯で時間を確かめる。もう十一時だ。一時間も待たせてしまっていた。顔色が青白いのは、外灯の色のせいなのかと思っていたが、もしかしたら寒さのせいかもしれない。
(のんびり風呂なんか入っている場合じゃなかった!)
さくらは悔いて項垂れる。
と、そのとき冷たい風が項を吹き抜け、くしゃみが出た。半乾きだった髪が冷えている。湯冷めしそうだ。
島田はすかさず言った。
「とにかく冷えるから、どこか入ろうか。近くにファミレスがあっただろ?」
本日二回目のファミレスへのお誘いにさくらは顔をしかめた。
「え、いえ、それは――」
まずさくらはファミレスに入れる恰好をしていない。暖かな店内でコートを脱げば間抜けな服装を公衆に晒してしまう。
(一度家に帰って着替える? となるとまた待たせちゃうしなあ……。それなら家で待ってもらうか)
悩んだ末、
「あ、あの、うちでコーヒーでもどうですか?」
と言ってしまってから、以前島田を困らせた事を思い出す。あのとき、彼は『勘違いさせる』と言わなかったか。
(勘違いって、気があると思われるとか、そっち? それとも――)
さくらはまた怒られるかもと身構えたが、島田は、
「じゃあ、少しだけ。渡したいものがある」
とあっさりさくらの申し出を受けた。




