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リケジョの取扱説明書  作者: 碧檎
二.秋分のころ
29/91

29 超迷惑な障害物

「あれ? さくら何見てんの?」

 昼時を過ぎ、人のまばらになった学食で昼食を食べながらさくらが情報誌を見つめていると、後ろから声がかかった。藤沢だ。

 このところ、皆それぞれに忙しくて昼食もバラバラになることが多いのだ。

 彼女の手のトレイには唐揚げカレーとクリームの乗ったコーヒーゼリー。ストレスでヤケ食いかもしれない。ちなみに今日のさくらの昼食はきつねうどんと持参したおにぎりだ。

「んーと、就職活動」

「でも、それバイトの情報誌じゃない?」

「それがさ、たまーに正社員募集もあるんだって」

 さくらはチェックしていた情報を指さす。八分割されたページの片隅に控えめな社員募集の文字が掲載されている。給与の少なさに藤沢は目を細めた。

「これなら、学生課のほうがいいの無い?」

「条件はね。でも職種が揃わないから」

「職種?」

「どうせならデザインとかクリエーター系やりたいなあって考え直して、方向転換中」

「そっかー。そうだね、どうせなら少しでも好きなことやった方がいいもんね」

 藤沢の理解が早いのは、さくらの選択は、学科の人間であるならばよくあることだからだ。

 理系で、しかも女子だと大卒で卒業して希望どおりの職種に就ける人間はほとんどいないから、皆妥協して自分の希望に少しでも近い職業を探す。広瀬はいい例だ。彼女はプログラムの講義が楽しかったからという理由で、卒業研究とは何も関係ないソフトウェア会社にプログラマーとして就職する。

「じゃあ、今のバイト先じゃだめなん?」

「バイトでいいなら雇ってもらえるかもしれないけど、さすがに日給三千円切ると生きていけないし、健康保険も年金もないし。だから給料安くてもいいから、初心者オッケーで社員で雇ってくれるとこ探してる。社会保険さえ付けばなんとかなると思う」

 学科の人間はどちらかと言うと条件で職を選ぶ。給料が高かったり、手当がたくさんついたり。あえて逆行するさくらに藤沢は「なんかさくららしいね」と苦笑いをした。

「もしかして島田さんの影響?」

 藤沢の目元が優しい。さくらが何か吹っ切れたのが分かったのかもしれない。

「まあねー。どこでもいいって手当たり次第受けるのは、熱意が無いのの裏返しだって言われた。甘えてるの見抜かれて恥ずかしかった。だからもうちょっと絞って頑張ろうって思ってさ」

「……なにー?」

 目を見開いていた藤沢の目が、いつの間にか三日月をひっくり返したようになっている。

「なんだよ、にやにやして気持ち悪い」

「なんかようやくいい感じだなって」

 あー、なんか懐かしいと言いながらうっふっふと気味悪く笑うと、藤沢は唐揚げが冷めかけていることに気づいて、慌てて食事を開始した。



 食事を終え、二人が学食を出ようとしているときだった。

「わ、ヤなのが来た」

 ひっそりと呟いて顔をしかめる藤沢を不思議に思ったさくらは、その視線の先を見て納得する。

 そこに居たのはミサちゃんだった。

 以前の学食での喧嘩以来険悪なのだ。

(そういや、この間もすごい顔で睨んでたしなあ)

 島田が大学に車で迎えに来た時、学友に混じって野次馬をしていたのを思い出す。

 当然知らない顔をして通り過ぎるだろうと思っていたが、なぜか彼女はこちらを見て妙に嬉しそうに微笑んだ。

(わー、なんだよ、キモチワル! 悪代官って感じ)

 固まるさくらの前でミサちゃんは立ち止まる。

「ああ、久しぶりね。藤沢さん、片桐さん」

「……久しぶり、青山さん」

 渋々足を止めて挨拶だけしてすり抜けようとしたが、ミサちゃんは二人の前に立ちふさがって行く手を阻んだ。

 彼女はさくらの顔をじっと見つめ、そのあと胸元を見てにやりと笑った。

「片桐さん、バイト辞めたの?」

 一瞬何かと思ったが、すぐに抱え込んでいた情報誌のせいだと分かる。

「え? ああ、これ?」

(ってか、あんたに全然関係ないじゃん)

 口元まででかかるが、省エネの精神が抑えこむ。

「ううん、これは就職活動の情報誌」

 穏やかに返すと、ミサちゃんは目を丸くした。

「就職って――まだ決まってないんだ。へぇえ」

「何が言いたいんだよ、こら」

 瞬く間に藤沢の語気が荒くなるが、ミサちゃんは平気な顔をしてさくらだけを見つめている。

「例の副社長は助けてくれないんだ? 案外冷たいんだ、彼」

「島田さんのこと? なんで彼が助けてくれるって話になる訳?」

 さくらが眉を寄せると、ミサちゃんは目を見開いた。

「だって、彼氏なんじゃないの?」

 さくらは困惑した。どうも話がずれている。ミサちゃんの思考回路がよく理解出来ない。

「いや、彼氏じゃないし」

 いや、彼氏だろと隣でツッコミを入れる藤沢を無視してさくらは続けた。

「それに万が一そうだったとしても、どうして助けるとか言う話になるのか分かんない。第一、いくら副社長だとしてもバイト雇うのが精一杯の小さな会社じゃ、どうにも出来んでしょ。私もフリーターするつもり無いし」

 さくらが鼻で笑うと「あ、……そうなんだ。そういうこと」とミサちゃんは何かが腑に落ちたように頷いた。そして急に藤沢の方を向いて、笑顔を振りまく。

「そういえば、藤沢さん。この頃合コンって主催してないの?」

 さくらと藤沢は強引な話の切り替えに目をしばたたかせる。

「…………それどころじゃないし。青山さんも論文書いてるんなら分かるでしょ?」

 お前ほど暇じゃないんだよとでも言いそうな顔で藤沢が言う。

「そりゃそうだけど、たまには息抜きしたいじゃない。――ねぇ、この間のメンバーみたいな相手って見つからない? っていうか、いっそのこと前のメンバーでもう一回やらない?」

「やだよ。冗談じゃない」

 藤沢が速攻で断ると、今度はミサちゃんはさくらに向かって媚を売った。可愛らしく微笑んでみせるが、残念ながら同性には威力は発揮されない。本性もろバレだから当然である。

「じゃあ、片桐さんでいいや。バイト先の人で彼女募集中の人っているでしょ? 紹介してくれない?」

 彼女のあまりの貪欲さに呆れを通り越して笑いが出た。

(これだけ熱心なら就職だって早々に決まるはずだよなあ)

 感心したが、彼女の狙いである島田は今のところ彼女募集中ではないはずだった。すぐに断ろうとしたが、ふと、ミサちゃんの言う『彼女募集中』であるはずの別の人物が思い浮かんだ。

 上手くいけばさっさとミサちゃんを追い払える。駄目でもに日頃の仕返しが出来る案にさくらはほくそ笑む。

「上原って先輩なら紹介してあげるけど、百キロ越えの成人病予備軍のクマだし、多分ビンボーだよ」

 怒って断られるだろうと思ったら、なぜかミサちゃんは食いついた。

「なあに、片桐さんにしてはノリがいいじゃない。じゃあ、連絡先渡しておいてくれる?」

 にっこりと笑って可愛らしい名刺――どうやら自分で作ってプリントアウトしたものだ――をさくらに押し付けると、ミサちゃんは鼻歌でも歌い出しそうな顔でその場を去った。


「なんだ、あれ」

「さあ」

 残されたさくらと藤沢はしばし呆然としてミサちゃんの後ろ姿を見つめていたが、先に我に返った藤沢が、突如目を吊り上げた。

「――って、ちょっとさくら。ああいうのにはきっぱり『彼氏です』って言ってた方がいいんだよ!」

 と言われても、事実、島田はさくらの上司でメシとも以外の何者でもない。

「だって違うのに言う方が迷惑だしさあ」

「絶対違わないし! 好きでもないのに食事に誘い続けるとかおかしいって」

「別に好きじゃなくても一緒に食事くらいするって。ほら、藤沢と学食でお昼するのと一緒だし。あ、でも私あんたのことは結構好きだけど」

 藤沢は長い髪をぶんぶんと振って大げさに嘆く。

「ああ、もう、なんか違う! 少しはミサちゃんに恋愛脳を分けてもらえ!」

「やだよ。私のと混ぜたら、なんか妙にミックスされて腐りそう」

 どう考えても相容れないものを感じる。

「………………確かに」

 藤沢はしょうがないと言った様子で大きなため息をつくと、ふと首をかしげた。

「それにしても、あの子、何企んでるんだろうねぇ……?」

 さくらも手元の名刺に目を落とす。

「ホントになあ……どうしてSHIMADAに執着してるんだか」

 狙いは間違いなく島田なのだろうが、回りくどい方法をとってまで狙う意味がどうしても分からない。島田は小さな企業の副社長。それ以外の何者でもないはずなのに。

 ミサちゃんがさくらくらいに彼と接触していれば、気持ちは分からないでも無いが……そういうことはないはずだし。

 湧いてしまった嫌な想像のせいで胸が重くなったような気がして、ため息をついて俯いた。そして時計を見てぎょっとする。

「あ――、意外に時間食っちゃった」

「わ、ホントだ。チョー迷惑な障害物だったよねー」

 ケラケラ笑って気持ちを切り替えると、二人揃って研究室へと向かった。

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