26 先輩として一つ
「で、なにを食べようか? この辺のおすすめは?」
問われたさくらははっとする。いつの間にか車は駅前のパーキングに停まっていた。
さくらの頭の中は既にお好み焼きしかなかったのだが、そういえばまだ決定していなかったことに気が付く。
「お好み焼きがいいんですけど――」
とっさに脳内に巣食っていたイメージが口から漏れ出る。だが、さっき友人二人がなんと言っていたかを思い出してすぐさま否定した。
「あ、やっぱり駄目です! パスタとかどうですか」
泣く泣く別案を提案すると、島田は怪訝そうにする。
「お好み焼きがいいんじゃないの?」
「ええと、藤沢と広瀬が行くって言ってたんで、その、鉢合わせちゃうかなとか――」
そこで、さくらははたと気が付く。別に二人と一緒でも何の問題もない気がしたのだ。むしろ、これは二人きりがいいと言っているようなものではないだろうか?
気づいてあわあわと口を噤むさくらだったが、島田は当然のようにお好み焼きを除外した。
「あ、そっか。じゃ、パスタにしようか」
(あ、あれ?)
島田のことだから、何となく「じゃあ合流しようか」とでも言うかと思ったのに。
もしかして、島田もさくらと二人の方がいいのだろうか?
(そういえば、一度も上原を誘ったこと無かったような……)
ふと思い出す。上原が退社するのは20時。さくらたちが食事に出かけるのは20時半。30分待たせれば一緒に行けるはずなのに、一度もそうしなかった。
(私だけを誘ってるってこと? それって――)
ぽんとある考えが浮かび上がって、ぼっと頬が染まる。
(いや、上原はあれ以上肥えたらまずいから誘わないだけだってば。成人病直結コースだし。メシともに丁度いいのが私しかいなかっただけで)
必死で浮かび上がるある仮定を否定するさくらの前で、島田はスマホを出して何やら操作し始める。
「オリーブっていう店が美味しいみたいだけど、行ったことある?」
液晶に浮かぶ地図を見つめながら島田が尋ねる。
「あ、そこがいいと思います。前、ランチに行ったんですけどトマトソースが美味しかったんで」
「じゃ、決まり」
車から降りると夜風がひんやりと冷たい。思わず体を震わせると、島田が「寒い? そういや薄着だね。上着は?」と尋ねる。
「あ、研究室に忘れて来て」
騒動に揉まれたせいで慌てて出て来たさくらは、ジャケットを研究室に置き忘れて来ていたのだ。秋まっただ中の今、車の中ならいいけれど、外では見ているだけで寒いかもしれない。
「貸してあげようか」
ふいに上がった声に隣を見ると、島田は自分の上着を脱ごうとしている。
部下に対しては行き過ぎている行為に先ほどの仮定が裏付けされそうになり、さくらは慌てて拒絶する。
「さ、寒くないっす! ほら、お店はすぐそこですし!」
「そう? ならいいけど」
島田はあっさりと引き下がるが、その分補うようにさくらを風上から庇うように並んで歩いた。
トラットリアオリーブ。何度か来たことがあったイタリアンのお店だ。以前来た時は昼時だったためか、大きめの窓から日光が差し込む海沿いの街を感じさせる開放的な店という印象だった。
だが日が落ちたあとの店の印象は随分違った。
落とした照明の中、不揃いな色とりどりの椅子がカウンターに並んでいて、数組のカップルが腰掛けていた。バーを思わせる雰囲気。場違いなものを感じる。
そしてさくらを一番戸惑わせたのは、ランチとディナーの差額だ。
入り口に置いてあった黒板に書かれていた値段に回れ右をしたくなったが、中にはもっとリーズナブルなメニューがあるはずだと飛び込んでみた。そしてそれは失敗だった。薄いピザ一つで千円を越えていた。頭を抱えている間に、島田はあっさりとパスタとピザのコース料理を二つ注文してしまい、さくらは財布の中身を確認して青くなった。
(払いますって言えないんだけど……)
いつも一応割り勘を申し出るさくらだが、今日の代金は車で送ってもらって浮いた交通費があっても払いきれない。
(うう、残り少ない今月の食費が……“ふきや”にしてれば良かった……!)
「美味しくないの?」
ふと問われて顔を上げると、島田が心配そうな顔でこちらを覗き込んでいる。
「いえ、とっても美味しいですけど、高いので食べた気がしないんです」
正直に漏らすと島田は呆れた顔をする。
「勿体ないな。せっかくなんだから楽しまないと」
「どうしてもコストパフォーマンスをお好み焼きと比べてしまって。すみません、貧乏なので貧乏性なんです」
島田はぶっと吹き出す。
「ここで足りなかったら、もう一軒行ってもいいよ」
「そういうことじゃないんです」
さくらはどちらかと言うと、質より量の、貧相な舌の持ち主なのだ。
ぶうと膨れてさくらはマルゲリータを頬張る。薄い生地にしっかりトマトの味がするソースともっちりとしたモッツァレラチーズがたっぷり載っている。フレッシュバジルの香りも爽やかだ。値段どおりの味に不満をねじ伏せられた。
(ううう、量的には悔しいけど美味しい)
もっと、もっとくれ!と胃に急かされながら、さくらはピザを飲み込んだ。
「心配しなくていいよ。俺が誘ったんだから、ちゃんと奢るから」
「でも、悪いです。ここはいつもと違って安くないです」
島田は渋い顔をするとぽつりと呟く。
「…………どうしたら気持ちよく奢らせてくれるかな」
さくらはすこし考えて答えた。
「奢ってもらう理由があれば、ですかね?」
「理由、か……理由、ねぇ」
島田が考え込むと同時に、パスタが運ばれて来る。メインの渡りガニのトマトソースパスタだ。立ち上るニンニクの匂い。さくらの意識は瞬く間にそちらに集中した。
「ところで、就職活動ってどうなってる?」
「……嫌な話題を振りますね?」
どうして突然そんな話題になるのだろうか。カニを頬張りながらさくらは島田に胡乱な目を向けた。
「決まって無いんだ?」
「どこも厳しくて」
「どういうところ受けてるの? 生物系とか化学系の企業?」
「いえ、業種問わず事務系で探してます。もう選んでられなくって」
「今ってそんなに厳しいのか」
「ええ。なんていうか、落ちる度に『お前は駄目だ』って言われてる気分で。どうしたら通るんでしょうね?」
家業を継いだ島田には無縁の話だっただろうと思いつつもついつい弱音が溢れる。この件に関しては愚痴っぽくなりすぎる気がして友人にもなかなか相談出来ないのだ。相談できそうな人間は、身近では教授と島田くらいしか思いつかなかった。
島田はじっと考え込んだが、やがて口を開いた。
「俺は大したアドバイスは出来ないけど、さ」
コネ入社の最たるものだからね――と苦笑いすると、続ける。
「社会人の先輩として一つ言えるのは、自分が納得出来ない仕事だけは止めた方がいいよ。自分のためにも、会社のためにもね。就職って学生さんにとっても大きな選択だと思うけど、採用する側としても新人をとるってのは大きな賭けなんだ。真っ白な素材がこれからどれだけ会社に貢献してくれるのか。未来に時間とお金をかけるんだから。合わないからってすぐ辞められるのは会社にとっても痛いんだ」
考えもしなかった会社側の声を聞いて、さくらは目を丸くする、同時に何か頬を張られたような気分になった。
島田はそんなさくらに気づいてか気づかないでか、静かに続けた。
「だから、『私は役に立ちます』って自信を持って言えるようなところをさ――まあ、学生さんに自信持てってのは難しいと思うけど――探すのがいいと思うんだ。少なくとも、人事はそういう心意気は見てると思うよ」
黙り込んださくらに、島田は労るように微笑む。
「希望どおりの仕事に就ける人間なんてほとんどいないけど、少しでも好きになれそうな仕事を選ぶことは出来るはずだ。頑張れ、さくらちゃん」




