24 甘いカフェオレ
大人しく付いて行った先でさくらは目を見張った。
パーキングに停めてあるのは、赤の小型車。外車だった。車にあまり詳しくないさくらでもその形は印象的なので知っている。
なぜだか島田周辺の物はさくらの物欲を煽るものばかりだ。
(自転車といい、パソコンといい、スマホといい……)
例えばここで出て来るのがもっと分かりやすい高級車だったら、さくらは逆に冷めてしまうのかもしれない。そうだ、合コンで水野を見たときにチャラいと思ったように。多分、こんな風に少しだけこだわりが見えるところにいつもくすぐられてしまうのだ。
「営業車にしては、か、可愛い車っすね」
思わず口調が上原になるさくらに、島田は遠慮なく吹き出した。
「今日は俺の私物。会社のはハイブリッド車だから。あれ、燃費はいいけど、エンジン音がしないから人を轢きかけて……それ以来ちょっと苦手でさ。ま――というより、今、乗る機会がなかなか無いから、たまには乗ってあげないとと思ってね。さ、どうぞ」
コンパクトな車のわりに車内はそれほど狭く感じない。内装は上品な革張りでおしゃれだった。実家の車と違って煙草の匂いも染み付いていない。ゴミも落ちていなかった。
「高そうですね、これ」
素直な感想を漏らす。
「まーね。さすがに一括払いは出来なかった。新入社員の時に買って、去年やっとローンが終わったとこ」
「島田さんでもローン組むんですか」
「普通だろ、車のローンくらい。サラリーマンなんだし」
確かにそうかもしれない。そう思いつつもさくらは何か引っかかる。
「でも、副社長ですし」
「役員になったのは最近だからなぁ」
「え、じゃあ、それまではどうされてたんですか?」
そういえば、前にSHIMADAは最近出来たばかりだと聞いた気がする。じゃあ、その前はどこで働いていたのだろう? ふいにさくらの中に疑問が湧いた。
「……ま、いろいろとね」
島田は誤摩化すように言うと、エンジンをかける。そして突如さくらの座っているシートに手を乗せた。
思いがけず大きな手にぎょっとすると、島田と目が合う。彼は固まったさくらを見ると「あ、ごめん」とシートから手を外し、首だけをひねって後方を確認した。車が駐車場をバックで出て行くのを見て、さくらは動揺した自分をひっそりと恥じた。
(なにびびってんの、あんたは! 変に思われるってば!)
そう自分に突っ込みながらも、近くに置かれた手が瞼の裏に焼き付いて消えなかった。背はそんなに変わらないのに妙に大きく感じて、さくらは彼が異性であることを急激に意識した。
同時に車内が狭く感じて動揺する。よくよく考えると、男性にこうやって車に乗せてもらうことなど初めてかもしれない。
気まずい沈黙が広がる。車内には音楽も無い。エンジン音だけが響く中、さくらは話題を探すが、動揺も手伝っていい話題がなかなか浮かばなかった。
先ほどの話の続きも気になったが、あの様子だと話したくない話題なのかもしれない。そう思えた。
しばらく都市高速道路の下の国道を走る。ぽつぽつとコンクリートの柱やビルが建ち並ぶだけの景色は味気なく、話題になりそうになかった。仕方なく黙りを続ける。
やがて信号に引っかかったところで、島田はようやく口を開く。
「学校に戻るのでいいんだよね?」
「え、あ、はい。みどりん置いて来ないと」
「そのあと、まだ実験?」
さくらは窓から見える夕暮れに染まる街並を見て、どうしようかと首をひねった。
「いえ、もう遅いし、今から始めてもしょうがないんで、置いたら帰ります」
「そっか……じゃあ」
島田は一瞬躊躇ったように言いよどむ。
「そのあとメシ食おうか。しばらく行ってないし。F大辺りも美味い店多いだろ?」
突然の誘いにさくらは驚いて首を横に振った。
「送ってもらうだけで十分です!」
「ついでだよ」
「でも、お待たせするかもしれないし」
「さすがに三十分も待たないだろう?」
島田の押しにも普段のさくらならば遠慮するところだ。だが断れないのは空腹が限界を迎えつつあったからである。
(ああ、“オリーブ”のパスタ食べたい! “ふきや”のお好み焼きもいい!)
ぽん、ぽんと駅前の飲食店が頭に浮かび、さくらはとうとう誘惑に耐えられずに頷いた。
「え、ええ、と、…………はい。――でもいいんですか? 島田さん、お仕事は?」
「食べてから戻るから大丈夫。それにね、腹減って死にそうな顔してる部下は置いて帰れない」
島田は前を向いたまま言った。
「わ、分かるんですか!?」
(そこまで顔に出てた!?)
思わず頬を両手で押さえるさくらに島田はやれやれと肩をすくめた。
「どうやったらそこまで悲壮感漂わせられるんだろうって思うくらい」
島田はそこで、ふと思いついたように車を路地に止めた。ハザードランプを付け、車を降りると、傍にあった自動販売機で缶コーヒーを二本購入して戻って来る。無糖のものとカフェオレだ。
「とりあえず、糖分とると少しはましになるだろうから。あ、熱いから気を付けて」
島田が車に乗ると同時に差し出したカフェオレは、言われた通り火傷しそうに熱かった。プルタブを開けて、誘われるように口に含むと、舌が痺れるくらいに甘かった。
体中に染み込む甘味がさくらに活力を与える。思わず頬が緩んだ。
「あー……蘇った気がします」
「そりゃよかった」
やっと笑ったな……ほっとしたような声が耳に届き、さくらは顔を上げる。にっと笑われて、そのカフェオレのように甘い笑顔に今度は頬が染まった。
(う、わぁ、暗くて良かった!)
さくらが再び俯くと島田は小さく息をついてFMのスイッチを入れる。陽気なDJのナビゲーションと同時に洋楽が流れ出す。薄まった甘い雰囲気にほっとしているうちに、車は進み、やがて大学に到着した。




