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リケジョの取扱説明書  作者: 碧檎
一.大暑のころ
19/91

19 ぽかんとした間

「馬鹿ね。勿体な過ぎる。せっかくのお誘いなのに!」

「馬鹿だなぁ。そういうときは黙って頷けばいいのに。あー島田さんお気の毒。そんな風に線引きされたら、そこで引き返すしか無いよねぇ」

 藤沢と広瀬にばっさり斬られて、さくらは研究室のテーブルにうつ伏せている。撃沈だ。

(…………まじで?)


 島田に誘われた後、さくらが頭をフル回転させて至った解はこれだ。

『――もしかして歓迎会・・・して下さるんですか?』

 島田は一瞬ぽかんとした後、少し苦笑いをして『ああ、そうだよ。河野も上原も来る』と頷いた。

 さくらは内心がっかりしつつもほっとして、感謝と了承を伝えたのだが……


 後から思い出すと、妙にあの一瞬のが気になりだした。凄まじく大きな獲物を逃したような気がしてならなかった。

 そして念のためと友人に相談すると、先の通り、馬鹿呼ばわり。

 でもさくらはこういったことに慣れていないのだ。お付き合いは高校の時に一瞬だけ。振られてからすでに五年経過しているのだ。しょうがないではないか。

 まず島田の「片桐さん」呼び。入社して一月、やっと試用期間が終わる。となると、正式に採用のお祝い。つまりは歓迎会。そう結びつけても仕方ない。

(そーだよ。しょうがないよ。っていうかデートと勘違いする方がよっぽど恥ずかしいしさ! 島田さんもそうだって認めてたし、最初から歓迎会のつもりだったんだって)

 きっとあのぽかんとした間は気のせいに違いない。気のせいにしてしまおう。そうしよう。

 面倒ごとは避けるのが省エネの基本。

 あの誘いは最初から歓迎会だったのだと自分に思い込ませていると、勘のよい藤沢がそうはさせるかと半眼でさくらを睨む。

「まだなんかあるんじゃないの? いっそ全部詳細を吐け。その調子だと他にも色々やらかしてるに決まってる」

「隙を見せてて、距離が詰まったとたんに警戒強めるとか――悪女だよねぇ」

 広瀬も呆れた調子でさくらを罵った。

「馬鹿の次は悪女呼ばわりかよ」

 さくらは勘弁してくれと頭を抱える。

「魔性のオンナとも言うんだよ。気のあるそぶりを見せておいて、こっぴどく振るんだ。うわぁ、自覚無いだけミサちゃんより質悪い! さくら、ひどい!」

 藤沢がとどめとばかりに言って、広瀬もうんうんと頷いた。

 先日(逆ハーやらフラグやらで騒いでいた時のことだ)とは別の盛り上がりを見せる二人を放置して、さくらは「遠心分離機空いてるから使わせてもらうねー」とみどりんの元に逃げる。二人の言葉はありがたい助言ではあるが、少々毒が濃くてさすがに息苦しい。


 緑色に染まったフラスコが暗く静かな実験室で、ぼうっと明るく光っている。中で泳ぐ大量のみどりん達にさくらはそっと話しかけた。

「隙なんか、気のあるそぶりなんか見せてない……はずだよね」

 会社にも馴染んで、随分気軽に話せるようになった。毎日顔を合わせていれば、当然親密にもなるだろう。だが、それは上司に対する好意であって、男女のものではないはずだった。

 まず、さくらを恋愛対象として見る男はめずらしいし、なにより島田はさくらの事情を知っている。すでに対象から除外しているに決まっていた。

 あれは部下に対する厚意でしかない。変に期待して――ガッカリするのなんかまっぴらだ。

(これでいいんだって。ずっと、このままで)



「じゃ、一ヶ月間、ご苦労様! かんぱーい」

 夕方6時。河野の音頭で歓迎会が開始された。

 1969という名の店は多国籍料理を扱うバーだった。照明の絞られた店内は随分と大人っぽい雰囲気。使い込まれた様子の木製の味のあるカウンターに四人並んで腰掛けている。さくらの左隣は河野、右隣は島田。島田の右には上原で、その先は壁だった。上原だけがカウンター席の小さな椅子に納まり切れていない。本人も窮屈そうにしていて「島田さん、こんな洒落た店選ぶなんて酷いっすよ。いつもの居酒屋じゃないんすか」と文句を言っている。

 河野が訳知り顔でニヤニヤと笑いながら「しょうがないわよねぇ、急で席が無かったんだもん」と島田に絡んでいる。

 当の島田は黙ってビールを飲んでいた。酔いが回っているのか僅かに耳が赤い。

「それにしても、片桐さん、上原君のしごきにも音を上げないってすごいわよねぇ。見込みあるわー」

 河野は飲むと上機嫌になるタイプらしい。声のトーンが少し上がって楽しそうだ。

「片桐は鈍いだけっすよ」

 上原が口を挟み、「我慢強いと言って下さい」さくらは顔をしかめる。

「実のところ、二人のやり取りが面白くってしょうがないのよぉ。漫才みたい。けいちゃんもたまに笑い堪えてるもんね」

「え、そうなんですか」

 何か面白いことをしただろうか。さくらは首を傾げる。上原を見ると、彼は不本意そうにさくらを睨みつけている。

「……余計なことは言うなよ。上司として面目丸つぶれだ」

 島田は河野を睨むが、彼女は全く気にしない。

「彼ねぇ、顔が幼いでしょ。だから余計に威厳にこだわるのよ。背伸びしちゃっておっかしいったら。メガネかける前は客先でも舐められて良く怒ってたなぁ。実際若造なんだからしょうがないってのにねぇ」

「――年より若く見られるのが嫌なだけで……って、だから、余計な暴露話は止めろって」

 島田がぶすっと口を尖らせる。その顔が十代のように幼くて、「ほうら」と河野が嬉しそうに笑う。つられてさくらと上原が笑うと、島田は上原の方を向き、「笑うな」と彼の頭をペシッと叩いた。

「ひでえ、なんで僕だけなんすか。片桐には?」

「女子は殴らん」

「女子じゃないっしょ、こいつは。女子力ゼロ」

「なんですかそれ、しっつれいな」

 さくらが上原に喧嘩を売られ反応する。自分でそう思っていても、上原に言われると腹が立つ。

 と、河野が嬉しそうに、僅かに意地悪そうに笑った。

「どうやら先はずいぶん長そうよねぇ。もしかしたら見込み無しかもしれないしぃ……あ、でものんびりもしてられないのかぁ。――そうだ、片桐さん、卒業後って就職は決まったの?」

「いえ? まだですけど」

 突然話題が変わって、さくらは目を白黒させる。まず直前の話にさえ付いていけない。先ほど見込みあると誉められたばかりなのに、今見込み無しかもと言われた気がする。気になる。

「どこも就職難だもんねぇ。うちも今はバイト雇うので精一杯だし」

 河野はそう言いながらちらりと島田を見る。彼は相変わらず膨れて黙っていたが、ややしてぽつりと呟いた。

「今に年商一億越えてやる」

「いちおく?」

 聞き間違いかとさくらは繰り返す。

 とたん、河野がまたかと呟く。上原も肩をすくめて、

「島田さん、もう酔ってるんですかー?」

 と苦笑いをした。

「俺は本気だ」

 島田がむきになると、

「はいはい、がんばりましょーね」

 河野が子供をなだめるような調子でビールを注ぐ。島田は真剣な顔で一気に飲み干した。

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