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リケジョの取扱説明書  作者: 碧檎
一.大暑のころ
11/91

11 リケジョの反撃

「なんね、あんた、妙に洒落た恰好しとうやないね」

 コンビニで待ち合わせていた母――早百合さゆりの第一声はそれだった。疑いの眼をじろりと向けられてさくらは笑って誤摩化す。

「そりゃ、面接やけん。当たり前やろ」

「そんなもんね。とかいって、本当はデートやないとね? 化粧までして、なんか気合い入っとらんね?」

「違うって」

 これだからお洒落は出来ない――さくらはうんざりした。明日からはまた適度に縒れた恰好をしなければ。母が安心するように。

(でも……なんかやだな)

 せっかく手に入れた新しい職場には縒れたジーンズも、ビーチサンダルも似合わない。あの巨体の上原でさえ、この暑いのにスーツを着ていたのだ。

 なにより、島田の前でよれよれの自分を晒すのはなんだか勇気がいる気がした。

 そんなことを考えていると、

「ほんとかねえ」

 覗き込まれて、さくらはすぐに話題をそらす。

「――それよりご飯は? 買ってく?」

「弁当作って来たんよ。どうせ碌なもの食べてないんやろ」

 母はそう言ってにかっと笑う。

「うん、まあね。貧乏やし」

「きついんなら、はよー帰ってきんしゃい」

「まあそのうちね」

 口癖のようなその台詞をさくらはさらりと流す。決して『うん』とは頷かないのを母は知っているのだろうか。

 二人並んでボロアパートに辿り着く。鍵を開ける前に「今日は散らかっとるよ」とひと言断った。ファッションショーの残骸はそのままだ。だが、多分その方が安心するだろうともさくらは計算する。

「はー、掃除くらいちゃんとせんと」

 母は呆れつつも予想どおり満足そうだ。そうしていつも通りにチェックを入れて行く。

「トイレ借りるけんね」

「いいよ」

 トイレはユニットバスに備え付けられている。

 今、母は洗面台を確認し、便座を確認しているのだろう。今は隠すものは何も無いのだが、母が何を探しているのかは何回目か知らない突撃の結果何となく予想がつくようになった。男が居たという形跡だろう。

 トイレのチェックを終えた母は次に洋服の山を畳みながらさりげなくベッドの下を覗き込む。隠しているものが無いかと余念がない。

 本当は娘をまったく信用していないこの行動にはもの申すべきかもしれない。だが、一度怒ったら、『やましいことがあるんね』と逆ギレされたので、面倒でもう放っている。本気で何も出て来ないのだから、怒る労力が無駄だ。

 服をクローゼットに仕舞うと、さくらは母が持って来た弁当をテーブルに広げる。箸を台所に取りに行き、冷蔵庫の水だし麦茶をグラスに注ぐ。

 弁当は重箱入りだった。一段目には卵焼きに唐揚げ、ハンバーグ。子供が好みそうなメニューがたくさん詰まっている。しかし、二段目にはひじきの煮物に、切り干し大根の煮物、ほうれん草のおひたしに家庭菜園のミニトマト。野菜もしっかり入っている。全て手作り。懐かしい味だった。

 大きなおにぎりが四つ。具はさくらの好きなシャケと明太子、おかかに高菜漬けだ。

(もうこんなにたくさん、一人じゃ食べきれないよ)

 この弁当の量はさくらが中学の食べ盛りの時の量だった。あの時からさくらは成長を許されなくなってしまったのだろうか。

 母はニコニコしながらさくらが弁当を食べるのを見つめている。

「おいしいやろ。どんどん食べんしゃい」

「うん。ありがと。お母さんは?」

「家でお父さんと食べて来たんよ」

「ふうん」

 さくらは笑顔を貼付けてひたすら弁当を食べた。

 お腹は空いているし、愛情の詰まった弁当は嬉しい。だけど――母の愛情の分だけ胃が重くなる。

(私、ずっと子供のままじゃいられないんだよ)

 さくらはおにぎりを噛み締めながら、心の中で訴える。

(いつかは離れて行くんだよ)


 *


 翌日は土曜日だった。卒業研究中の四年生には休みは無いと言っていい。特に生物を扱う学生は世話のために必ず出て来る必要がある。世間が休日でも水や餌までもお休みとはいかないのだ。さくらも同様で、ミドリンの世話をしに大学に出て来ていた。

 培養液を調合して、クリーンベンチ内でミドリンのタネを植え付ける。そうして五日間、酸素と光を与えてじっくり待って、一番濃度が増えたところで収穫。それ以降を同じ培養液で培養しても養分不足でどんどん死んでしまうのだ。だからそのサイクルを崩すわけにはいかない。一日おきに植え付けをして、毎日収穫する。そうしてどんな環境が一番生育しやすいか、そして活性が高いかを調べて行く。

 グラフを付け終わると、いつも通りにさくらはテーブルでだれた。ビニールのカバーがひんやりしていて気持ちいい。

 そこに藤沢が恐る恐るのように近寄って来た。

「えーっと、さくら、昨日はどうだった……!?」

「ああ……採用になった。来週から行ってくる……」

 頬をくっつけたままのだれた姿勢でさくらは答える。昨日の突撃で気力が根こそぎ持って行かれたまま、浮上出来ない。

「えぇ!? じゃあなんでそんなに沈んでるわけ?」

 藤沢は驚いている。

 どうやら、さくらが不採用に落ち込んでいるように見えたのだろう。本当は全く別の原因で沈んでいるだけなのだが。

「うーん……おかーさんが来たんだ」

「ああ……」

 藤沢がさくらにつられたように渋い顔になる。

 さくらの母親は友人たちの中でもひと際厳しいと有名だ。まず門限が八時であること自体が大学生にしては特殊だし、母との諸々のやり取りを聞くと大抵が引く。さくらだって、他の人の話を聞いて初めて自分の家が少々変なのだと自覚したのだ。

「あの厳しそーなお母さんね」

「スーツ着て化粧してたら男が出来たかと疑われたよ。めんどくさ」

「……あぁ、だから、さくらってお洒落しなくなったんだったっけ」

 さくらは思い出す。

「…………まあ、最初のきっかけはそうかも」

 元々ものぐさではあったけれど、大学入学当初は人並みにお洒落に興味はあった。だからこそ、服だって買っていたし、可愛らしく着飾ろうとした。もちろん化粧だって覚えて、一式揃えたのだ。

 だが、お洒落というのは基本的に異性に興味があって、異性の気を引こうとするからこそすることだ。恋への望みを絶たれれば、恰好に気を使わなくなるのはごく当たり前のことだと思う。

「いいなあ、藤沢のところは理解があって」

「うちはねー、放任主義だから。大人として信用するんだから、責任のある行動をしなさいとは言われるけどねぇ」

「それが羨ましい。信用してくれればいいのに。あのヒト、私が悪い男に引っかかって、妊娠したあげく、捨てられるとか思ってるんだよ」

「ドラマの見過ぎってヤツか」

「そうそう。あとワイドショーね」

 テレビに向かって文句を言っていた母が思い出され、渇いた笑いが漏れる。藤沢はぐったりしたさくらの腕を取る。

「まー落ち込まないで、楽しいこと考えて。ほら、せっかくバイト決まったんだし、祝いに学食行くよ」

「おごり?」

「冷や奴くらいならおごってやるよ」

 ケラケラ笑われて、少し気分が浮上した。


 全面ガラス張りで明るいカフェテリア風の学食は、女子大の全ての学生が集う場所となっている。売店が隣接され、自動販売機がずらりと並ぶ。ゆったりとしたソファが並んだカフェと、食堂が大きな植木鉢で区切られていた。

 お洒落な外観だが、公立の大学らしく学食のお値段は安い。ただ、量が少し少なめなのが玉に瑕だ。

 トレイをとると一番リーズナブルなキツネうどんを注文する。揚げ出し豆腐の定食と悩んだが、藤沢がおごってくれるという冷や奴を期待してやめておいた。


 昼時の食堂は学生たちの貴重な情報交換の場でもある。

 ちらほらと散在する学科の人間の話から、誰々の内定が決まったとか、進学が決まったとかといういい話や、逆に単位がヤバそうとか、内定が取り消されたとかそういったいう悲しい話が耳に入って来る。さくらも世話話とばかりに、自分のバイトと就職が駄目になったことを学友たちに愚痴った。

「えー大変じゃん、大丈夫なん?」

「平気。バイトはすぐに次のが決まったからさ」

「バイト決まったんだ。前も面白そうなことしてたよね、たしか。今度はどんなとこ?」

「中央区のデザイン会社」

 さくらはうどんをすすりながら答えた。

「へー、すごいね。どうやってそんなとこ見つけたん?」

「それがさ、それがさ! 合コンで知り合った人が、そこの副社長で……! ね、でどうだったの、そっちの方は!」

 藤沢が待ってましたと口を挟み、友人たちが「おおお」と湧く。皆そういった話題は大好きなのだ。さくらはやれやれとため息をつく。

「藤沢ー、興奮しないでよ。副社長だったけど、社員三人の会社で……」

 と、顔を上げたさくらは二つ向こうのテーブルに見覚えのある影を見つけて、目を見開いた。隣に座っていた藤沢もすぐに気が付いて気まずそうに口を噤む。

 視線の先の人物はこっちをじっと見つめていた。睨んでいる――と言った方が適切かもしれない。

 やがて、彼女はおもむろに席から立ち上がる。

(今日は普通だ。やっぱりあれ、詰めてたのか)

 さくらは思わずじっと彼女の胸を見つめて、そう思う。

 ボリュームダウンした胸を包むのはノースリーブのフリルのついた白ブラウス。そこにグレーの台形スカートを合わせている。足元は造花のついたミュールだ。

 彼女――青山美砂ミサちゃんはカツカツとヒールを鳴らしながら近づくと、低い声で言った。

「この間は、どうも」

 険悪な雰囲気にも、藤沢は笑顔だった。

「楽しんでくれた? 青山さん」

「ええ、とっても」

 ミサちゃんは膨れっ面のまま、断りも無く空いていたさくらの目の前の席に腰掛ける。

「あなたが……採用されたの? 私、昨日面接行ったんだけど、落とされたの。今は必要ないからって」

 不満そうにじろじろ見られてさくらは内心ムッとする。途中の間に、何か気持ち悪いものが混じった気がした。でもミサちゃんの気持ちがわかる気がしたので黙っている。

(なんで私が駄目で、あんたが? って言いたいわけだ)

 ミサちゃんの視線が痛い。僅かな羞恥。縒れたジーンズを履き替えてきたいような気分だ。

「募集は技術職だったみたい」

 さくらは胸の底がざわざわとするのを感じつつ、涼しい顔で返した。

「技術?」

「パソコン使えないと駄目とか」

「使えるわよ、私。ワードもエクセルもアクセスだって」

 パソコンのことなら知り尽くしているとでも言いそうな、自信満々なミサちゃんだ。島田が言っていた言葉が耳に蘇る。『厚顔無恥』。なるほどだ。

「ドローソフトとかは?」

 これは、先ほどのミサちゃんの失礼な視線に対する、ささやかな反撃。

「なにそれ」

「お絵描きソフトみたいなものだけど」

「ああ、オタク専用ツールってわけ?」

 ミサちゃんはさくらの逆襲に敏感だった。馬鹿にされたと思ったのか悔しそうにさくらを睨む。

「オタクって――あんた何様よ?」

 藤沢がさくらより先に切れた。リケジョ=オタクと結びつける人間は結構いる。実際何かに熱中しやすい性質を持つタイプが多いため、のめり込んで周りが見えなくなる人間が全く居ないわけではないが、大半のリケジョたちはその偏見が大嫌いだった。ここがリケジョの巣だと知らずに暴言を吐いたミサちゃんは、周囲の冷たい視線を感じて少々たじろいだ。

「だって、……片桐さん、そうなんでしょ? そんな恰好して、一昨日はすごく気合い入れてたみたいだけど。それでも古くさいし、似合わないし。恥ずかしくないの」

(気合いじゃ、あんたには負けるよ)

 隣で頭の血管が切れそうな顔をしている藤沢をまあまあと押さえると、さくらは冷ややかな笑いを浮かべる。

(今度ははっきり喧嘩売ってくれたじゃん)

 それならば、防戦だけでなく、反撃も可能だ。前回の尻相撲とは訳が違う。

 さくらは基本平和主義者――というよりは事なかれ主義だ。こっちから喧嘩を売る真似はしない。面倒くさいから。だが、売られた喧嘩は自らの心の安寧のためにしっかり買う。声の大きい人間だけが得をするなんていう理不尽さがさくらは大嫌いだった。

「こんな恰好してるけど、べつに私、オタクじゃないし、ビンボーなだけ」

(あ、でも、オタクの定義がどうかでまた変わるかもしれないか)

 そんなことを考えつつ、さくらは続ける。

「っていうか、なんでいちゃもん付けられてるのかわからないんだけど、説明してくれる? 面接落ちた腹いせなら、お門違いだし。面識あるんだから、文句があるなら直接島田本人に言えば? その方がよっぽど建設的だし。……それとも猫被ってるから文句の一つも言えないの?」

「――――!?」

 突然はっきりと反撃をし出したさくらにミサちゃんは目を白黒させる。どうも、言われっぱなしで大人しく泣き寝入りするタイプだと思われていたらしい。さくらを良く知らない人間の大半がそう思っているみたいだが。

 しんと静まり返った食堂にチャイムが響く。

 それを機に、形勢を不利だと判断したミサちゃんは脱兎のごとく逃げ出した。

 学友たちは言葉を失ってさくらを見つめている。そんな中、さくらを良く知る・・・・藤沢だけがあーあ、と大きくため息をついた。

「あんたってヤツは。最初っからそうしてれば、こっちも無駄に腹立てなくっていいのに」

 文句を言う藤沢に、さくらはにこりと笑うと「省エネだよ」と自分のモットーを口にした。

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