第79話 領域を奪い合うゲーム
──ギラリ、と眼前に突きつけられた巨大蜘蛛の前足が妖しく光る。
刃のように研ぎ澄まされたその表面に、苦々しく歯を食いしばる私の顔が映った。
「ぐ……、ふんッ……!!」
(駄目だ、やっぱりレイピアが抜けない……! これじゃあ、攻撃を防ぐ事も出来ない……!)
奴は次の瞬間にも、私に向けてあの前足を振るうつもりだろう。
両足が蜘蛛の巣に埋まり回避は出来ず、攻撃を防ぐ為のレイピアもこの状態では、残された方法は──
「ッ、──【エンチャント・ヒート】!」
どうにかできないかと苦し紛れにレイピアに炎の属性を付与するが、やはりレイピアを捉えている蜘蛛の糸も通路の物と同様に燃える気配はない。
(こうなったら、もう撤退するしかないか……! ローレルレイピアを失うのは悲しいが、腕輪の機能で脱出を……ん? 腕輪の機能……──あっ!)
咄嗟にローレルレイピアを手放し、今しがた存在を思い出した腕輪の機能を使用するべく、ぐるぐる巻きにしたロープの隙間から腕輪に触れる。
腕輪を貰った際に一応説明は受けていたものの、実際に使う機会は訪れないと考えていた為この機能の事をすっかり忘れてしまっていた。おそらく、多くのダイバーもこの機能を覚えていないんじゃないだろうか。
その機能の効果は……
「──【ゲット・バック! ”ローレルレイピア”】」
私の声に応えるように、腕輪とローレルレイピアが眩く輝く。
そしてその光は翳した左手の先に集まり──先ほどまで埋まってしまっていたローレルレイピアが、光の中から現れた。
──今から数十年前……腕輪の機能が今よりもずっと少なかった時代。戦闘中に手元を離れた武器が盗難の被害に遭うと言う事件が多発していた。
特に標的にされたのはトレジャー装備であり、魔物の攻撃で手元を離れた場合はもちろん、乱戦中に直接スリの被害に遭う事もしばしばあったのだとか。
その対策として多くのダイバーの要望を基に実現し、腕輪に組み込まれたのが『持ち主以外が腕輪に収納できなくなる”登録装備機能”』と『登録装備を手元に呼び戻す”ゲット・バック機能”』だった。
登録装備として設定できる枠に15個と言う上限があるのも、本来はこの機能に割り当てる容量の都合だったようだ。
しかしいざこの機能が追加されると、登録装備と言う機能自体が抑止力となり武器の盗難事件もすっかりなくなった。そんな訳で、活躍した回数も少ないままに使われなくなってしまった悲しい機能がこの【ゲット・バック】なのだ。
(よし! これでレイピアは取り戻せた!)
「──【エンチャント・ゲイル】!」
早速取り戻したローレルレイピアに風を纏わせ、迫る攻撃を弾くべく構える。
そして──
「はあぁっ!!」
「ギチッ……!」
タイミングを合わせた切り上げによって前足の攻撃を弾くと、一瞬生まれた暴風により巨大蜘蛛の身体が大きく仰け反った。
それにより気付いたのだが、どうやらこの横糸は巨大蜘蛛の身体をも地面に固定しているようだ。攻撃に使用する前腕以外の脚六本に糸が纏わりつき、地面を離れないように支えているのが見えた。
しかしその所為で奴は今大きな隙を晒し、装甲に覆われていない腹部が露わになっている。
千載一遇のこの好機に、すかさず追撃を加えたいところだったが──
(くっ……足が固定されて踏み込めない……!)
この状態ではリーチの短いレイピアによる追撃は不可能だ。
横糸の拘束を何とかしなければ、私の攻撃が奴に届く事はないだろう。
「ヴィオレットさん、伏せてください! ──【クレセント・アフターグロウ】!」
「っ!」
背後から投げかけられた声と、迫る魔力と熱の気配に即座に身を屈める。
するとその直後に私の頭上を通過した燃える三日月が、仰け反った巨大蜘蛛を両断せんと飛翔。
私と同様、足を横糸に縫い留められている奴にはこの一撃を回避する事は出来ないはずだ。
勝利の予感に頬が緩むが──
「ギチチッ!」
「……っ!」
次の瞬間、巨大蜘蛛は六本の脚で軽やかに跳躍し、クリムの必殺の一撃は呆気なく回避されてしまった。
再び横糸と縦糸を切り替えたのだろう。回避の直前の一瞬、奴の脚からこの部屋を包む糸全体に魔力が波紋のように伝わったのが感知できた。おそらくあの魔力によって、奴は糸の性質を自在に変質させていたのだ。
だが、それはつまり……
「ありがとうございました、クリムさん! おかげで私も解放されましたよ!」
──私の両足も自由に動かせるようになったと言う事だ。
再び縦糸が横糸に切り替えられる前に跳躍し、空中を跳ね回るようにして滞空する。
巨大蜘蛛は跳躍の後、尻から吐き出した糸によって天井にぶら下がり、こちらの様子を伺っているようだった。
「はい! 今ので倒せれば一番良かったんですけどね……」
「確かにそれが一番手っ取り早くはありますが……って、クリムさん!? 部屋の中に来ては危ないですよ!?」
気が付けばクリムは、自由になったその足で巨大蜘蛛の巣ともいえる部屋の中に入ってきていた。
直ぐに引き返すように促すが、彼女は負けじと言い返してきた。
「ヴィオレットさんを置いて帰れませんよ! さっきもちょっと危なかったじゃないですか!」
「む……っ! むむむ……」
確かに自分から自信満々に攻撃を仕掛けておいて、早々に巣に捕らえられてしまった私がここで何を言っても説得力はない。
しかし、地面に足をつけずに動き回る手段がある私と、その方法が使えない彼女では危険度のレベルが違うのも事実だ。奴は今すぐにでも地面を横糸に出来るのだから……
「──いえ。多分ですが……あの蜘蛛はまだ糸を切り替えたりはしないと思います」
「? その根拠は……?」
「ヴィオレットさんが自由に動けている内は、自分の回避手段を無くすリスクが高いからですよ。あの蜘蛛が次に糸を切り替えるとすれば、多分ヴィオレットさんを捉える時だと思います!」
そう言って彼女は足を軽く持ち上げ、糸が切り替わっていない事をアピールする。
天井付近からこちらを見下ろす蜘蛛に視線を向ければ、確かに奴はこちらの動きを観察する事に神経を研ぎ澄ませているようにも思えた。
「……なるほど。つまり私が捕らわれない内は、貴女も安全と言う事ですか。責任重大ですね」
「危なくなったらちゃんと撤退しますから、心配はしないでくださいね!」
そう言って、クリムはロープでぐるぐる巻きにした自身の腕輪を私に見せる。
ダイバー歴数か月の私以上に新米である彼女も、その実力・経験共に既に一人前のダイバーだ。出会った当初の彼女であればいざ知らず、今更引き際を間違える事もないだろう。
「──わかりました。援護を頼みます、クリムさん!」
「はいっ! 任せてください!」
彼女は成長している。今日の探索中にもその片鱗が見えた。
未知に触れる度、それを乗り越える度、彼女はその全てを経験として取り込む才能がある。──それ以上に、厄介ごとを招く才能もあるのが玉に瑕だが……今は彼女のポジティブな資質を信頼しよう。
彼女の才能の根幹にある力は、きっとこの戦いでも大いに役に立つ筈だ。
「さて……どうやら降りて来るつもりが無いようなので、こちらから攻めるとしましょうか」
こちらの会話中、奴はただただじっと私達を見ていた。
戦闘における奴のスタイルは『待ち』だ。盤石に整えられたこの巣の中、下手に攻めれば手痛い反撃を受ける事は既にこの身で体験した。
徹底したカウンター戦法。……ならば、こちらにも考えがある。
「ヴィオレットさん……?」
腕輪に巻き付けたロープを少しだけ解く。
ロープの重要性を知っているクリムが『何をする気か』と首を傾げるのをしり目に、私は解放した腕輪の機能を使用した。
「──【ストレージ】! ……クリムさん、これを一旦持っていてくれませんか?」
「あ、はい。良いですけど……これってアレですよね? 以前ヴィオレットさんを襲って来たダイバーにも使用した──」
「はい、カラーボールです。エンチャントとの相性が良いので、常に一定数は腕輪に入れてるんですよ」
片腕でいくつかのカラーボールを抱きかかえたクリムの問いかけに応えながら、再び腕輪にロープを巻き付けなおす。
いちいちこうやって解かないとアイテムを取り出したり収納したりが出来ないのは不便だが、『待ち』の姿勢を崩すつもりが無いのであればこちらも好き放題やらせてもらおう。
「……よし、っと。ありがとうございました、クリムさん。そのカラーボール、二つほど使いますね」
「はい。と言っても、元々ヴィオレットさんの物ですけど……」
未だにピンと来ていない様子のクリムから、二つのカラーボールを受け取ると……私はその色鮮やかなボールを巨大蜘蛛に見せつけるように掲げる。
「よく見ていなさい、大蜘蛛! そちらが待ちの姿勢を維持していると……あなたの家が滅茶苦茶になりますよ! ──【エンチャント・ゲイル】」
そして、私は全力でカラーボールを地面に叩きつけた。
いくら折り重なった糸がクッションになるとはいえ、常人より遥かに膂力のあるダイバーの投擲だ。スキルの効果もあって、カラーボールは弾け──纏っていた風が中の塗料を満遍なく周囲にぶちまけた。
「一体何を……──あっ!!」
「気付きましたか、クリムさん。切り替わる糸が脅威なら、こうやって塗料でコーティングしてしまえば良いんです!」
私が普段から腕輪に入れているカラーボールは防犯用の物で、その塗料は一度付着したら中々落とせないようになっている。
この性質とエンチャントが組み合わさる事でナパームのようになったり、継続的に相手を感電させられる投擲武器になるのだが、今回はそのこびり付いて落とせない塗料の性質自体を利用する。
「ほらほら! そうやって見ているだけでは、折角の内装が落書き塗れになってしまいますよ! ──【エンチャント・ゲイル】!」
「うわぁ……」
煽るような声色で蜘蛛に対してカラーボールを見せつけてから、再び床に叩きつける。まき散らされた鮮やかな蛍光色が、統一された純白を染めていく。
「……ッ! ……ッ!!」
「クリムさん、追加でもう一つ貰いますね! クリムさんも投げて良いんですよ! ──【エンチャント・ゲイル】!」
カラーボールを受け取りながら、クリムが持っているカラーボールにも風の属性を付与しながら目配せする。
すると、先ほどは少し引いたように私を見ていたクリムの表情にも、うずうずと好奇心が広がっていくのが見えた。
「こう言うゲームがあったじゃないですか! アレをリアルでやれる機会なんて、滅多にないと思いませんか? ほら! ──【エンチャント・ゲイル】!」
「そ……そうですね! 折角ですから! えいっ!!」
二人して巨大蜘蛛が作り上げた城を染めていく。
被害は床に留まらず、四方の壁にも様々な蛍光色が散りばめられて行き……
「──ッ!!!!!!!」
「! ……来ますか」
上空からその様子を見ていた巨大蜘蛛から、凄まじいまでの怒気が放たれた。
なんか主人公が純粋な後輩にいけない遊びを教える悪い先輩みたいなことに……




