第39話 言い訳
「アトさんを追います!」
春葉アトの表情に胸騒ぎを覚えた私は、リスナー達にそれだけ告げて彼女の後を追うように駆け出した。
その時には既に彼女は幾つかの曲がり角を曲がってしまっており姿は見えなくなっていたものの、追跡自体はそう難しくはなかった。何故なら──
「……あった! アトさんが残した魔石!」
彼女はどうやら倒した魔物の魔石も拾わずにひたすら何処かを目指して駆けているらしく、まるでヘンゼルとグレーテルのパンくずのような目印となって私を導いていたのだ。
〔魔石拾わんとかアトネキ何の為に魔物倒しとるんや?〕
〔魔物を倒す事だけが目的になってるのか、単純に明確な目的地があるのか…〕
〔って言うか全然魔物出てこないな…全部春葉アトが狩ってるのか〕
目印となっている魔石を辿って駆ける事、更に十分以上……私の耳に、漸くその声が届いた。
「──てめぇはここでくたばるんだよ! 春葉アトォッ!」
(この声、アトさんじゃない……まさか!?)
〔えっ〕
〔嘘だろ〕
◇
──遡る事、数十分。下層の入り口を探していたフロントラインの面々は、ある一体の魔物と対峙していた。
「お……おい、コイツはもしかして……?」
「ブルルル……ッ!」
フロントラインメンバーの前に現れたのは、全長約3m程の牛頭の魔物だった。
外見的な特徴は中層でもよく見るミノタウロスと似通っているが、しかしその全身はミノタウロスの茶色とは異なる深紅の毛皮に覆われており、巨体から放たれる威圧感もミノタウロスの物とは比べものにならない。
「アークミノタウロス……ッ! イレギュラーケースかよ、畜生がッ!!」
(どうして次から次にこう悪い事ばかり重なりやがるんだ……!)
エンドが苛立ちをそのままにアークミノタウロスを睨む。
アークミノタウロスと言う魔物は、毛皮の色以外の特徴はミノタウロスとそれ程差は無い。精々が角の形が微妙に異なる程度だ。
しかし、その膂力には到底同じ太さの腕で振るわれた物とは思えない程の隔絶した開きがある。その事実を、次の瞬間彼等はその身で理解させられた。
「ブルルオオオォォッ!」
「──うげぇっ!!」
「おごっ……」
中衛で様子を見ていたエンドが気が付いた時には、アークミノタウロスは手に持った戦槌を横薙ぎに振り抜いており、前衛でタワーシールドを構えていたメンバー数名が壁に叩きつけられた後だった。
潰れたカエルのような短い悲鳴を上げた彼等だったが、長い時間をかけて用意した防具のおかげで致命傷だけは免れていた。しかし衝撃は全身を打ち据えており……何よりも、彼等の心は今の一撃だけですっかり折れてしまった。
「つ……っ、付き合ってられるか! ──【リターン・ホーム】!」
「お……俺も! ──【リターン・ホーム】!!」
「て、てめえら! 勝手に退いてんじゃねぇ!! イレギュラーケースの魔物が出て来てるって事は、下層の入り口はもう直ぐ……!」
しかしエンドの声は彼等に届く事も無く、前衛を務めていたメンバーは次々に腕輪の機能でダンジョンを後にしていく。
無理もない。何せ彼等はこの数年間、ずっと楽して稼いでいたのだから。
ダイバーになった当初は持っていた探求心も、向上心も、好奇心も彼等の中には既に無い。停滞に身を委ねた彼等は、前に踏み出す為に必要な全てを既に捨て去ってしまっていたのだ。
「ぐ……っ、クソが! おい! 残った奴はついて来い!」
「リ、リーダー!?」
前衛が総崩れになった事で不利を悟ったエンドは踵を返し、残った十名足らずのダイバーを引き連れて駆けだした。
目の前の敵に立ち向かう事は考えず……しかし、下層へ辿り着く事もまた諦めてはいなかった。
(中層の探索はまだ不完全だが、このエリアに幾つかループする通路があるのは覚えてる! そこまでアークミノタウロスを引き付ければ、逃げながらでも下層に行ける!)
イレギュラーケースで本来よりも浅いエリアに出て来た魔物は濃度の薄い魔力を嫌う為、本来境界からあまり離れたがらない。
しかしエンドの計画を成立させる為には、アークミノタウロスに自分達を追い続けて貰う必要がある。そこでエンドは自身の腕輪からあるアイテムを取り出した。
「一か八かだが……!」
「ちょっ……! リーダー、それって……!」
エンドは逃げながら一瞬後ろを振り返り、そのアイテム──興奮作用を持った香を焚いた香炉を、ピンで自身のベルトに固定した。
香炉が放つ成分が匂いと共にアークミノタウロスを刺激すると、アークミノタウロスは忽ち怒り狂い、血のように紅い毛並みがざわざわと逆立つ。
「ブルルルル……ヴォォォオオオオオオオオオオッッ!!!」
「ひ……ヒィッ!!」
「落ち着け! 俺達の方がアークミノタウロスより速い! 脚を動かし続ければ問題ねぇんだ!」
いくらアークミノタウロスと言えど、魔物は魔物だ。人間よりはずっと知能が低い。興奮状態にさえなれば、後は香の匂いを追い続けるだけだ。追い付かれさえしなければ問題無い……彼等にとって幸いだったのは、走る速度は彼等の方が上だった事だ。
暫く逃げている内に数十m程の安全マージンも確保でき、実際に作戦は上手く行っていた。──途中までは。
「──どこに行くの?」
「なっ……! 春葉アト!?」
彼等の前に立ちはだかったのは、燃えるハルバートを携えたパラディン……春葉アトだった。
嘗て最強の噂の中心に居た時の気迫そのままに堂々と佇む姿は力強く、エンドは内心『占めた!』と口角を吊り上げる。
「ちょ、丁度良かった、イレギュラーケースだ! 下層の魔物が中層に現れた! だが敵はアークミノタウロス一体だけ! 俺達とお前が組めば倒せる魔物だ! ここは俺達と一時共闘を……」
春葉アトは、渋谷ダンジョンのダイバーの中でも面倒見の良い性格で知られている。困っているダイバーが居れば、クランの仲間だろうと少し知り合った程度の仲だろうと手を差し伸べる事で有名だった。
最近もオーマ=ヴィオレットが浅層でゴブリンチーフに遭遇した時も、配信を見ていただけだったのにわざわざ現地に駆けつける程のお節介っぷりだ。今回の状況と似ている事もあって、エンドは作戦の成功を半ば確信していた。
無敵と言う噂さえある春葉アトを口八丁で一時的に味方に引き入れ、矢面に立たせれば自分達は安全にこの困難をやり過ごせる……そう信じたエンドの提案は──
「断る」
「──は?」
にべもなく断られた。
「こっ……、こんな時に冗談よせよぉ! ついこの間だってオーマ=ヴィオレットってダイバーを助けてたらしいじゃねぇか! そりゃあ俺達とお前は最前線を競い合うライバルかも知れねえが、同じダンジョンに潜るダイバー同士仲良く……ッ!?」
愛想笑いを浮かべながら近寄ろうとするエンドに対し、春葉アトは自身の怒りを体現するような炎を纏ったハルバートの切っ先を向けてそれを制する。そして、普段彼女が発さないような冷たい声色で語り掛けた。
「……あたし、忘れてないよ。アンタがあたしを勧誘する為に、ラウンズにした事……」
「あ……?」
「ラウンズにスパイを送り込んで、あたしの仲間を……親友を唆して、無茶な探索に駆り立てて……そんなアンタを、あたしが守ると思う?」
最初はその言葉にピンと来なかったエンドだったが……やがて嘗て自分が下した指示とその結末を思い出し、激昂した。
「てめぇ……いつまでそんな昔の事引き摺ってやがるんだ! ア゛ァ!?」
「昔の事じゃない! 今だってトラウマに苦しんで、ダンジョンに潜れない子もいる! 彼女はダンジョン療法も怖くて、今も全身傷痕だらけだ!!」
「そんな事俺が知るか! 弱い癖に中層に潜った馬鹿が悪いんだよ!」
まったく反省した様子も無いエンドのその言葉に一瞬眉を吊り上げた春葉アトだったが、その直後には「……ぷっ!」と吹き出して、嘲るようにエンドを挑発する言葉を投げかけた。
「へぇ……アンタがそれを言うんだ。『弱い癖に下層に潜ろうとする』アンタがさ」
「んだとォ……!?」
「下層に潜るんならアークミノタウロスくらい自分で何とかしなよ。……ほら、もう直ぐそこまで来てるよ?」
「く……っ!」
「リーダー! もう帰りましょうよ!」
「ねぇ! 私、これ以上付き合ってらんないんだけど!」
エンドが後ろを確認すると、先程随分と引き離した筈のアークミノタウロスとの距離は随分と縮まっており、後十数秒もあれば追い付かれる距離にまで迫っていた。
「……く、くくく……ッ! そうだ、良い事を思いついたぜ……」
「……」
暗い笑みを浮かべ、血走った眼を向けるエンドに対し、春葉アトはそっとハルバートを構える。
その次の瞬間、エンドは周囲のフロントラインメンバー達に向けて指示を飛ばした。
「おい、てめぇら! この生意気な女にアークミノタウロスを押し付けるぞ!」
「なっ……!? 相手はあのパラディンですよ!? そんな無茶な……」
「そうですよ! 考え直しましょう!」
「アークミノタウロスを直接相手するよりはマシだろうが! 上手い事共倒れにでもなれば口封じも出来て一石二鳥だ! かかれ!」
「く……っ、うわあぁぁぁっ!」
「てめぇはここでくたばるんだよ! 春葉アト!」
破れかぶれと言った様子で春葉アトへと飛び掛かる数名のダイバー達。
それに紛れて接近するエンドが左手に愛用のカットラスを、右手に自身のベルトに固定していた小型の香炉を持ち、春葉アトの装備に取り付けようと企むが……
「──【ウェポン・ガード】」
「えっ」
「な……ッ! ──ぐあっ!?」
彼女の構えたハルバートの手元に突如として渦巻く炎の盾が生み出され、飛び掛かって来たダイバー達全てをはじき返した。
「熱い! 熱いぃ!!」
「──っ!? ……あー、ゴメンね。本当に攻撃するつもりは無かったんだけど……そっか、今は勝手に炎を帯びちゃうのか。手加減が難しいな……」
炎に巻かれて転げまわるフロントラインのメンバー達に謝罪する春葉アト。どうやら本当にうっかりだったらしく、先程までとうって変わって申し訳なさそうな表情を浮かべていた。
しかし、その態度が逆にエンドの機嫌を逆なでしていた。
「くっ……そがァ! 手加減だと!? 舐めやがって……!」
他のメンバーが盾になった事で、吹き飛ばされこそしたものの炎によるダメージは負わなかったエンドは直ぐに立ち上がり、春葉アトを睨みつけるが……
「フシュー……ッ! フシュー……ッ!」
「──ハッ!?」
既に彼のすぐ背後には、彼に追い付いたアークミノタウロスが立っていた。
エンドは仲間を盾にした事で確かに炎には巻かれなかったが、その分他の仲間達よりも遠くに吹っ飛ばされてしまったのだ。
その所為で今、彼はこの場の誰よりもアークミノタウロスに近い最前線に立たされていた。
エンドが恐る恐ると言った様子で見上げたアークミノタウロスの顔は毛皮の色で分かりにくいが、真っ赤に上気しており、体温の上昇のせいか頭上には薄らと陽炎が立ち昇っている。
呼吸は荒く、眼は血走り、全身の筋肉が怒りを体現して微細に震えていた。
「あ~あ……相当苛立ってるみたいだね、そのアークミノタウロス。ほら、君の直ぐ後ろには君が守るべきフロントラインの仲間達が居るよ? リーダーとして体の張り時じゃない? ……あの子達に誠心誠意謝るって誓えるなら、助けてあげても良いけど?」
「てっ……てめぇ……!」
春葉アトがエンドをそう挑発し、煽られたエンドが怒りと恐怖の綯い交ぜになった顔でアークミノタウロスと対峙した、正にその時だった。
「──アトさん!」
そこにオーマ=ヴィオレットが駆けつけたのは。
◇
「──アトさん!」
最初、私は自分の見た光景が信じられなかった。
あれ程優しくて親切な春葉アトが、あんな表情をするなんて……
それはリスナー達も同じだったのだろう。彼等の動揺はコメントからも十二分に伝わって来る。
〔アトちゃん…〕
〔あんなアトさん初めて見た〕
〔あそこに居るのエンドか!?〕
〔何があったんだ?〕
〔冷たい眼を向けるアトさん……ちょっとありかも〕
〔↑空気読もうな〕
私が声をかけた事で、彼女も私に気付いたのだろう。春葉アトはゆっくりとこちらに振り向いて、少し震える声で語り掛けて来た。
「あぁ、ヴィオレットちゃん。来ちゃったんだね……」
「な……何してるんですか、アトさん!? あの人死んじゃいますよ!?」
見た所あそこに居るのはアークミノタウロスだ。
渋谷ダンジョンの情報を纏めたページで調べた事があったが、あんな魔物はこのダンジョンの中層では本来現れない。間違いなくイレギュラーケースだ。
対してそんな魔物に対峙しているダイバーだが、私の見立てではまったくの実力不足。春葉アトならばともかく、あんな実力では到底敵う筈が無い。それは春葉アトにだってわかっている筈だ。私がそう伝えると、彼女は静かにほほ笑んだ。
「かもね」
「か……『かもね』って……」
「あたしの親友もね、あいつ等の所為で死にかけたんだよ。だけど、あいつ等はその事を反省するどころか、ついさっきまで忘れててさ……あたしが言葉でその事を思い出させても、『弱い癖に中層に潜った方が悪い』って言ったんだよ」
「それは……」
「だから、アイツにも同じ目に遭って貰わなくちゃ。思い出すだけで足りないなら、思い知らせるしか無いじゃん」
〔アトさん……〕
〔そんな事まで言ってたのかよエンドの奴…〕
話を聞くだけでも、あの男──エンドがかなりの外道だと言う事は分かる。確かに奴のこれまでの行動を思えば、身を挺して庇うような価値を見出せる男ではない。
だけど……
「だけど、それをしてしまったら、貴女もあんな奴と同じになってしまいますよ!? 分かってるんでしょう!?」
「……」
そうだ。分かっている筈なんだ。
こうして近い距離で向き合った事で、それが確信へと変わった。間近で見た春葉アトの目は、こうしている今も不安に揺れていたのだ。
さっきの冷徹な態度は仮面……彼女自身も気付いていないのかも知れないが、きっと心の本当の奥底にある思いは、あの男に後悔と謝罪をして欲しかっただけなのだろう。だけど、言葉を交わしただけではそれが叶わない事がわかってしまった。
だから彼女は今もこうしてギリギリまで見守っているのだ。エンドが死んでしまわないように。心から憎い相手だと言うのに、その身を案じて。
「アトさん……きっと方法は他にもあります! だから……」
「だけど……だけど、このままじゃアイツはずっと反省なんてしない! そんな奴を助けたら……あの子を裏切ったみたいで……!」
私が彼女を説得しようとすると、却って彼女の中の迷いは大きくなる。
そこで漸く分かった。ここに来てからの彼女は、ずっと板挟みだったのだと。
『罪を償わせたい』『同じ目に遭わせたい』『死なせたくない』『許したい』『許したくない』『助けたい』……きっとその全てが彼女の本心で、そしてそのどれもが『今しか出来ない事』なのだ。
私を攻撃したあの男からフロントラインの悪事が表沙汰になれば、間違いなくエンドのダイバー登録は抹消され、ダイバーになる資格も剥奪される。そしてエンドを含む多くのフロントラインのメンバーが逮捕される事になるだろう。
そうなればエンドが後悔する機会も、直接の被害者に謝罪する機会も永遠に無くなってしまう。春葉アトはそれが許せなかった。
だからこそ彼女は今こんな所まで駆けつけて、そして苦しんでいるのだ。『エンドが死ぬかもしれない』……その事にエンド以上に怯え、涙を浮かべる程に。
だから私は……
「分かりました、あの人は私が助けます。だから……アトさんは、私を助けて下さい」
彼女に『言い訳』を用意してあげる事にした。




