第244話 拭い難い屈辱
「──ほな、行くで……」
と、重々しくそう言ったティガーが金属扉の取っ手を掴み、捻る。
そして魔物が飛び出してこないかと慎重になりながらも金属扉をぐっと押し開くと、『ギィィー……』と間延びした軋み音を立てて扉の奥へと向かう洞窟構造の通路が現れた。
「……この先が、本当の未探索エリア……」
「咲ちゃん、確認をお願い」
「うん。──【アクア・バレット】」
春葉アトの頼みを聞いた百合原咲は、即座に【アクア・バレット】で生成した水球をそのまま通路の地面へと叩きつけるように撃ち出した。
地面に着弾したこぶし大の水球は破裂。撒き散らされた水はやがて滑らかな地面を奥へ、奥へと流れて行くのが誰の目にも解った。
「──緩やかなスロープ……まだまだ『下』があったっちゅう事か……」
「皆、警戒して進もう。クロコレオンの潜伏にも気を付けて」
「はい!」
そして一団はティガーと春葉アトを先頭に、クリムと百合原咲を殿に据えて通路の奥へ……深層の更なる奥地へと向かっていった。
「──ッ! 全員気ィ付けぇ! 来るで!」
「モンスターハウスだよ! 円形陣組んで対処!」
「はい!」
洞窟のスロープを下った先では、地形がまたも様変わりしていた。
先程まで居た深層は洞窟と迷宮が綯い交ぜになっていた構造だったが、スロープを下った先では急激に洞窟の規模が広がったのだ。
とは言え、下層のように一つの世界がある訳でも、浅層や上層のように暗い訳でもない。
至る所から突き出した輝く結晶によって明るく照らされた、ただだだっ広いだけの洞窟。しかしそこにダイバーの一団が足を踏み入れた途端、彼女達の周囲に突如として無数の魔石が現れ、周囲の塵を巻き込んで肉体を構成──魔物となって襲って来たのだ。
嘗てクリムも『裏・渋谷ダンジョン』の入り口で遭遇した、モンスターハウス。それにより、彼女達は早速苦戦を強いられることになった。
あの時はコボルトの群れで済んでいたが、深層ともなれば現れる魔物の危険度は次元が違う。
アビスミノタウロスやクロコレオン、リザードマンと言った深層でも見た事のある魔物が当たり前のように周囲に溢れだした。
……だが、その程度の魔物であれば彼女達にとってそこまでの脅威ではなかった。
問題は、それらに混ざって数体異質な魔物が混ざっていた事だったのだ。
「あぁ、もう! バカな事言ってないで、目を覚ましなさい!」
「バカ言ってんのは先輩ッス! どうしてこんなかわいい子を襲うッスか!?」
そう言って高野恋が円形陣を離れてまで背に庇っているのは、無数の触手と眼が付いた球体の魔物──以前ヴィオレットの【変身魔法】を強制解除し、彼女が炎上する原因を作った『ゲイザー』だ。
ゲイザーは無数の触手を高野恋の胴体に巻き付け、彼女の背中に張り付いていた。
腰から胸部、首に至るまで絡みつく不気味な触手を何とも思っていないのか、高野恋はおよそかわいいと言う形容にそぐわないそれを、まるで子猫でも守っているかのような表情で見つめては、本来仲間である筈のラウンズと対立していた。
「──はい、ちょっと片付けるね~!」
「グキィ……ッ!?」
「あ、あぁ~~~~~っ!!? ……ッス!!」
そんな中、目を瞑った状態の春葉アトが高野恋の背後に素早く回り込み、風を纏うハルバートの一閃でゲイザーの本体だけを的確に両断。
全身を這い回っていた触手が塵になり、背に庇っていたゲイザーが倒されたと知った高野恋は血相を変えて振り返り、春葉アトに向き直ると……
「先輩! なっ、なんて事を……──って、あれ? あたし、何で怒ってるッス!?」
「あの魔物の眼から出た光は見ないようにね。何か、あれが『凄くかわいい物』に見えたりしちゃうみたいだから」
「あの魔物って……?」
ゲイザーを倒してようやく目を開けた春葉アトが、ハルバートを持っていない左手で示した方へと視線を向ける高野恋。そこには──
「皆、目を覚ましてよ! こんなかわいい子を攻撃するなんて間違ってる!!」
「目を覚ますのはアンタだっての!? それのどこが可愛いのか、いつも通りに推しポイントを語ってみろ!」
「えっ……そんなの、全部かわいくて説明できないっての!」
先程までの高野恋と同じように、全身に触手を巻きつけながら半ば恍惚とした表情で仲間と対立するラウンズのダイバーの姿があった。
しかも、普段から推し騎士の普及の為に推しポイントを長文でSNSに投稿しまくる彼女が、その語彙をどこかにかなぐり捨てたようなありさまだ。
……それは『ラウンズ・サーガ』を推す為に文字通り命を懸けている彼女達にとって、実になさけない姿だった。
「……あたし、さっきまでああだったッスか……?」
「うん」
「うぎゃあアァァァッ! わ、忘れて欲しいッス! アーカイブ消したいッス!!」
春葉アトの言葉でそれを自覚した高野恋。
彼女は半ば半狂乱になりながら、屈辱を雪ぐようにWD製のバトルアックスを振り回しながら魔物の討伐へ駆け出してしまった。
「──今度こそ、最かわの子を見つけたッス!! 誰にもこの子は倒させないッス!」
数十秒後、彼女は再びゲイザーを背負っていた。
「はい、目を覚ましてね~!」
「アァアアアアアッ! ……──って、またやっちまったッスぅーーーーッ!!」
──不幸中の幸いは、ゲイザーによって『かわいい』と勘違いさせられるのはゲイザーのみだった事だろう。
他の魔物の討伐は問題なく進んでいた為、一部のダイバーが拭い難い屈辱の姿をデジタルタトゥーとして配信アーカイブに残す事になった以上の被害は出なかった。
「──ふぅ、これで終わりかな?」
「あぁ……全く、えらい目におうたわ……」
「いやぁ、まさかティガーちゃんが可愛い物の前ではにゃんにゃん言葉になるとはねぇ~」
「忘れェ! ──いや、マジで忘れてくれ……もう嫌やぁ、アーカイブ消したい……!」
モンスターハウスによって溢れ出した魔物の掃討を終えた後、そう言ってからかう春葉アトに土下座でもしそうな勢いで頼み込むティガー。
今こうしてへこんでいる彼女こそ、何を隠そう先の戦いにおける最大の脅威だった。
『大丈夫やからにゃぁ~、お姉ちゃんが怖い人は近付かせにゃいからにゃぁ~……──どけや、牛頭ァ! この子が怯えたらどうすんねん!』
『させへん! させへんでぇ! この子は家で育てるんや! ウチの新しい家族になるんや! ──よぉしよし、大丈夫やからにゃぁ~……お前はお姉ちゃんが守ったるからにゃぁ~!』
こんな様子でゲイザーを背負いながら戦場を駆け回っていたのだ。
幸い元来理性的な彼女だ。認識を歪められても刃を向ける相手は魔物だけだった為、ダイバー達にとってはそこまで危険ではなかったのだが……彼女の速度に追い付けるのは春葉アトくらいだった為、非常に苦戦を強いられた。
そのおかげでティガーの屈辱の時間は特別長くなってしまったのも、彼女にとっては不幸だったが。
「もう……いや……あんな姿、推しに顔向けできない……!」
「先輩。あたしなんて、アレを三回もやったッス……元気出すッスよ」
「恋……!」
周囲を見回せば、ティガーと同じ屈辱を味わったダイバーがそこかしこに居た。
ゲイザーの眼から放たれる怪光線の恐ろしさをその身で味わったダイバー達。しかし、怪光線の脅威は『魅了』ばかりではなかった。
「うぅーん……──あれ? 私、寝てた……?」
「あっ、起きた! 咲さーん! こっちも目が覚めましたー!」
「はーい。……どう? 身体に不調は無い?」
「は、はい。あの、私さっき急に意識が──」
ゲイザーの怪光線には三種類の攻撃がある。
【魅了の魔眼】、【強制失神】、【魔法強制解除】……これらの怪光線の見た目はどれも同じで、受けた後でしか効果が分からない。
先程の戦いではほぼ【魅了の魔眼】が使われていたが、中には彼女のように【強制失神】を受けてしまう者もいたのだ。
そう言った証言を纏めていた百合原咲から情報を受けとった春葉アトは、すっかり士気の落ちてしまったダイバー達の前に立って、彼女達にその内容を共有するとともに警戒を促した。
「どうやらさっきの魔物の光は、いくつか種類があるみたいだ。纏めると『魅了』『失神』『魔法の解除』……どれも危険だね。これから先、あの魔物には特に気を付けていこう!」
「うぅ……」
「もう嫌やぁ……あんなん絶対切り抜かれる。MAD作られる……」
しかし、どうやら彼女達が立ち直るにはもうしばらく時間がかかるようだった。
なんでゲイザーの攻撃が殆ど【魅了の魔眼】だったかと言うと、【強制失神】と【魔法強制解除】は魔物側にも効くからです。(本文で書こうとして無理だったので補足)




