第240話 圧倒
「──何者だ。貴様は」
この場に現れた春葉アトを最大の脅威と捉えたのだろう。鱗の悪魔が警戒を滲ませた表情で尋ねると、春葉アトはティガーたちに向けていた視線を鱗の悪魔へと移した。
「名前を聞くならまず自分が名乗りなよ。それが礼儀ってもんじゃない?」
「悪いが、そのような礼儀は持ち合わせておらぬ。我ら悪魔は基本的に名を持たぬゆえな」
「名前を……?」
恐らく『チヨ』と名乗った悪魔の事を思い出したのだろう。春葉アトの意識が逸れたその隙を見逃さなかった者が居た。
「──ッ! アトさん、危ない!」
一瞬考え込んだ春葉アトの背後から、透明な舌槍が高速で迫る。
しかし、次の瞬間──
「──【ノブレス・オブリージュ】」
春葉アトの右腕が残像を置き去りにしてブレる。
背後から迫った舌槍は微塵に刻まれ、更に振り抜いたハルバートの穂先から伸びた真空の刃が本体を──長舌の悪魔を逆袈裟斬りに両断していた。
「ご……ォ……ッ!? テ、メェ……ッ!」
「悪魔の割に弱いね。……チヨとは大違いだ」
背後の壁にまで深々と痕を刻む威力の一閃に透明化を維持できず、どさりと前のめりに倒れた長舌の悪魔。
「皆は陣形を維持しながら、魔物の迎撃を続行。指揮は咲ちゃんに任せる。回復魔法が使える子たちは、ティガーちゃんとクリムちゃんの治療もね。あたしは──あの悪魔をヤる」
「「「はいっ!」」」
春葉アトはすぐに踵を返すと、周囲のラウンズに手短に指示を出しながら、一歩鱗の悪魔へ踏み出す。
その圧倒的な姿に気圧されたのか、鱗の悪魔は空中で僅かに後退しつつ問いかけた。
「私に構っていて良いのか? 貴様も気付いていない訳ではあるまい。私の仲間はまだ……」
「──生きてる。でしょ? 心配しなくても大丈夫だよ。あの程度の相手に、私の『ラウンズ』は負けない。勿論、ティガーちゃんとクリムちゃんもね」
「ふ……、後悔しても知らんぞ?」
強気に口端を吊り上げる鱗の悪魔だが、その頬を一筋の冷や汗が伝う。
原因は『ラウンズ』の面々が最初に使用した【騎士の宣誓】だ。アレによりこの場の大多数の魔物の意識が誘導され、鱗の悪魔に加勢する魔物がほとんど残っていない。
数体程は未だに鱗の悪魔の指示に従うだろうが、その程度の数でどうこうできる相手でないことは先程長舌の悪魔を返り討ちにした実力を見れば明らかだった。
(落ち着け……翼の無い人間は空を飛べぬ。私に奴の攻撃が届くまでには、数瞬のラグがある筈だ)
鱗の悪魔は自分の持つ少ない優位性を活かし、『ラウンズ』と称する一団を仲間の悪魔が倒すまでの時間稼ぎを図るが──その時再び春葉アトの腕がブレた。
「──ッ!」
そして迫る無数の真空の刃。
風の性質を持つハルバートの穂先から伸びる真空の刃は、込められた魔力と斬撃の速度に応じてその射程を伸ばす。
【ノブレス・オブリージュ】によってその双方が強化された春葉アトの斬撃は、数メートルある部屋の天井付近を飛ぶ鱗の悪魔を完全に射程に捉えていたのだ。
「ぐ……ッ! く、……はぁッ!」
しかし鱗の悪魔も既に見た攻撃だ。無抵抗に受けるつもりはない。
翼の飛翔能力で宙を舞い、時にバックラーとサーベルで真空の刃を弾き、逸らし、何とかやり過ごす。しかし、限界はすぐに訪れた。
「ほら、降りて来なよ」
「──ッ! ぐぁ……ッ!」
回避ルートを誘導されたうえで放たれた二つの斬撃により、鱗の悪魔は両の翼をその半ばで断ち切られた。
飛翔能力が失われ、地に落ちた鱗の悪魔。顔を上げれば、そのすぐ正面に春葉アトが立っていた。
「──最期に聞いておきたい事があるんだけど、答えてくれる?」
「最期……だと……!?」
既に勝利を確信した表情でそう尋ねる彼女の言葉に、鱗の悪魔の中に沸々と怒りの感情が湧き上がる。
「──ッ、舐めるなァ!!」
その激情を体現したかのように激しく燃え上がるサーベルを、勢い良く振り抜きながら立ち上がる鱗の悪魔。
対して春葉アトはその行動を見切っていたように一歩分だけ距離を取り、冷静にハルバートを構える。
そして鱗の悪魔が連続で放つ鋭い斬撃を軽く捌きながら、まるで世間話でもするかのような気やすさで尋ねた。
「まぁ、そのまま答えてくれれば良いよ。あなた、『ユキ』って悪魔のこと知らない?」
「『ユキ』……!?」
「知ってるみたいだね。じゃあもう一つ答えて貰おうかな。ユキはどこにいる? この部屋の先かな?」
明確な答えを返していないにもかかわらず、僅かな反応からそれを確信する春葉アト。
彼女の言葉に込められた『圧』に怯みそうになる鱗の悪魔だが、悪魔としてのプライドが最後の防波堤となりそれを食い止めていた。
「……そういう事は、私を倒してから聞く事だ!!」
サーベルの速度が増す。纏う炎の熱量が更に上昇し、漆黒の鱗に守られた悪魔の肌にまでチリチリとした熱を感じる。
それ程の猛攻に晒されながら、春葉アトは涼しい顔で立っていた。
「分かったよ……私が答えを聞く前に死なないでね。──【ウェポン・ガード】」
「な──ッ!?」
春葉アトの構えたハルバートにそよ風が集まり、一瞬限りの盾を形成する。
そして、鱗の悪魔のサーベルがその盾に防がれたその時、凄まじい暴風が鱗の悪魔の全身を飲み込んだ。
「──グァッ!?」
暴風を伴うノックバックを受け、部屋の壁に叩きつけられた鱗の悪魔。
激しい戦いに今まで近寄る事も出来なかったリザードマン達が数体、悪魔のピンチに割り込む形で春葉アトの前に立ちはだかる。しかし──
「邪魔ッ!」
その一言と同時に振るわれた薙ぎ払いの一閃により、数体のリザードマン達の尽くが両断。一撃で塵に還った。
部下であるリザードマン達が盾となって稼いだ一瞬の内に、何とか体勢を立て直そうとする鱗の悪魔だったが……
「ぐ、ふ……ッ!」
直後、春葉アトが追撃に放ったタックルが鱗の悪魔の全身を打ち据え、その身体が更に壁に深く減り込む事となった。
その威力によって壁に亀裂が走る。それにより等間隔で並ぶ金属製の燭台の一つが壁から外れ、ガシャンと音を立てて地面に落ち、灯が消えた。
「──さぁ、これであたしの勝ちだ。答えて貰うよ? ユキの居場所について」
壁に固定された鱗の悪魔の首に、風を纏うハルバートの穂先が付きつけられる。
誰が見ても完全な決着。しかし──まだ鱗の悪魔は諦めていなかった。
「ッ……グゥッ!?」
「……あまり抵抗はしないで欲しいな。敵を甚振るってのは、あたしの目指す騎士の姿じゃないんだ」
奇襲をかけようと僅かに動かした尻尾の先端付近をWD製のグリーヴで踏み抜かれ、苦悶の声を漏らす鱗の悪魔。
それでも抵抗を続ける鱗の悪魔は、右手に握ったままのサーベルの切っ先を春葉アトの背後に回し──
「ァ……ッ!」
その凶刃が春葉アトの背を斬りつけるより先に、鱗の悪魔の首が断ち切られていた。
ここまで受けたダメージが大き過ぎたのだろう。そのままその全身が塵へと還って行き──
「……」
最期に満足そうに口端を上げ、『ざまぁみろ』とでも言いたげな表情で鱗の悪魔は消滅した。
後に残されたのは彼女の武器だった炎のサーベルとバックラー、中身が抜けてはらりと舞い落ちる軍服。そして──それを内側から僅かに盛り上げる、小さく凝縮された紅い魔石だけだった。




