第239話 騎士
【騎士の宣誓】。それは騎士系ジョブの多くが早い段階で習得できるスキルであり、その効果は一定時間周囲の魔物を引き付けるという物である。
春葉アトを始めとした多くのダイバーが身に着けてはいるものの、それが一体どういう原理で魔物を引き付けているのかについては誰も知らないスキルだった。
しかし、今回恐らくこの世界で初めてそれを『受ける側』となったティガーは、【騎士の宣誓】の効果を正しく理解しつつあった。
(鱗の悪魔の気配が濃過ぎるんや! 常に意識せんと、他の魔物の存在すら忘れてまう程に……!)
『存在感』という言葉がある。
例えば世界的に有名な大スターが渋谷を歩いているのを見つけてしまった場合、一度目にしたそれを頭の中から消す事は出来ない。
定期的にチラチラと視線を向けてしまったり、それまでの思考がその人の事で上書きされてしまったり……興味の程度にはよるが、少なからず影響を受けてしまうものだろう。
【騎士の宣誓】とは、その強烈な存在感をさらに増幅して、『特定の印象』を周囲の敵に植え付けるような物なのだ。
『この敵を先ず確実に倒さなくてはならない』『この敵から決して目を離してはならない』……自身の印象をそう変質させる。それが【騎士の宣誓】を魔術の観点で見た場合の正しい効果なのである。
「──えっと、つまりどう言う事ですか!? 鱗の悪魔を先に倒せばいいんでしょうか!?」
「いや、魔物の数を減らすんが最優先や! 奴はああやって空を飛びまわってウチらの注意を散漫にさせとる! その隙を魔物に突かれるんが一番アカン!」
確かに鱗の悪魔を倒せばこの問題は解決するだろう。しかし当の鱗の悪魔は、飛翔によって直接攻撃が届かない距離を常に維持している。
敵の狙いが分かっている以上、その狙いの上をいかなければ敗北は必至なのだ。
そう言葉を交わし、情報を共有しながら、リザードマンとクロコレオンの殲滅を優先し始めたティガーとクリム。
ダイバーとしての戦闘経験が豊富なティガーの言葉を真剣に受け止め、クリムもまたそれに従おうとするのだが──
「! 分かりました! けど……っ、コレを一切気にせずに戦うのも結構難しいですよ!?」
そう言ってクリムが焔魔槍で切り払ったのは、遠距離から飛んできた炎の弾だ。
魔物の群れと戦う二人の視界の隅に、先程からチラチラと意図的に入り込んでは自らに意識を向けさせようとする鱗の悪魔の妨害。
手に持ったサーベルで斬りかかって来ないのは、ティガーやクリムの間合いに入れば反撃を受ける可能性があるからだろう。あくまでも直接戦うのは部下の魔物で、自身は安全圏からサポートに徹している。
(鬱陶しい奴やな……! かと言って、この挑発に乗ったらそれこそ思う壺や。我慢せんと……!)
もし一度意識を鱗の悪魔に向けてしまえば、その時視界に入っていない魔物の存在を一瞬で忘れさせられてしまうだろう。
しかし一切見なければ、飛んできた炎弾によってダメージを受けてしまう。
『しっかり見ろ』『しかし意識するな』──ティガーとクリムは魔物と戦う間、常にこの理不尽な二律背反に苛まれ続ける事となった。
「──ぐ……ッ!」
ティガーの脇腹を、背後から伸ばされたクロコレオンの舌槍が掠めた。
彼女が身に着けるWD製の防具の隙間を的確に狙った一撃が彼女のインナーを切り裂き、その地肌に赤い線を刻んでいた。
「ティガーさん!」
「掠り傷や! けど、ちょいキツイなァ……! 思ぉとったより、数が多いで……こいつら……!」
注意を常に逸らされ続け、さらにその状態で複数の魔物を相手にし続けた事で、流石のティガーも限界が近づきつつあったのだ。
加えてこれは二人も薄々気付いている事だが……──魔物の数がいつの間にか増えていた。
ティガーとクリムは、既に二十体以上の魔物を切り伏せている。
しかし今も彼女達の周囲を取り囲む魔物の数は、最初からそれほど減ったようには見えない。
この仕掛けは単純な事で、最初に鱗の悪魔の号令で姿を現したクロコレオンの他にも、やはりこの部屋に潜んでいたというだけの話だ。
(アイツが大ウソつきやなんて、はなっから分かっとったやないか……! 何でウチはそれを織り込むのも忘れとったんや……!)
いつの間にか、ティガーの頭の中から『撤退』の選択肢が消えていた。
今なら分かる。それも【騎士の宣誓】の影響によるものだったのだと。
クリムが加勢に来てくれた時点で、多少の無茶をしてでも撤退を選択するべきだったのだと。
「はぁ……はぁ……」
(流石に疲れて来たなァ……傷も負ってもぉたし、こっからはパフォーマンスは更に下がる。……折角助けに来てくれたのに、クリムには申し訳ない事してもぉたなァ……)
【騎士の宣誓】の効果を受けていたとはいえ、自分の間違った判断にクリムを巻き込んでしまった事を後悔するティガー。やがて彼女は一つの決断をすると、右手に持った旋風刃を回転させながら一歩前に出る。そして──
「クリム……お前だけでも逃げェ。その隙くらいはウチが作ったる……!」
「っ!? 駄目です、ティガーさん! そんな事したら──」
「ウチの判断ミスや、責任はウチがとる。今回の一戦で少なくとも敵の手の内は知れた。お前はそれを活かして、次の機会に備えるんや。こっちも数を揃えさえすれば、こんな敵なんてことないやろ」
「だったら猶更、二人で帰りましょう! 一人でも多く、強いダイバーを集めなければならないんですから!」
『鋼糸蜘蛛の焔魔槍』の穂先を燃やしながら、強い意志の籠った目でティガーを見るクリム。
こういう時に頑固なのは、彼女が憧れたダイバーがそうだったからなのだろうか。
そんな事を一瞬考えるティガーだったが、しかしこのままでは共倒れだ。それだけは避けなければならない。
「ギギ……ッ! ギィ!」
「カロロロロロ……クカカッ!」
(こいつら全員を同時に怯ませて、二人揃って脱出か……。そら理想はそうやけど、現実的にはどう考えても無理やろ、そんなん……)
しかし、この無理を通さなければクリムは納得しないだろう。
どうすれば良い。今度こそ間違った判断は許されない。
戦いながら更に難しい判断を迫られるティガー……もしも自分が強引にクリムの逃げる隙を作れば、彼女はそれにいやいやながらも従ってくれるだろうか。自分の決意をくみ取ってくれるだろうか。
独りよがりかも知れない。ただの自己犠牲かも知れない。しかし……
(それでも、クリムだけでも生き残るには……!)
ティガーが人知れず覚悟を決めた。その時──
「「「──【騎士の宣誓】!!!」」」
「ギィッ……!?」
「!?」
周囲にそんな声が響き渡ると、魔物達が一斉に視線を上空へ向けた。
先程まで絶えず鳴っていた剣戟の音は止み、一瞬水を打ったように静寂がその場を支配する。
(この声……まさか──ッ!)
「春葉アト……!? いや……──『ラウンズ』か!?」
魔物達の視線を追って振り向いたティガーが、確信を持ってその名を口にした次の瞬間──天井に開いた大穴から次々に騎士甲冑姿のダイバー達がガチャン、ガチャンという着地音を立てて部屋へと飛び降りて来る。
総勢十数名。装備をWD製で統一した白銀の騎士達が陣形を組み、最後に彼女達のリーダーが──一人のパラディンが降り立った。
「もう大丈夫だよ、二人とも。──あたし達が来たからね」
肩に担いだハルバートの穂先から吹くそよ風に赤いマントを靡かせて、春葉アトがそう告げた。




