第236話 交渉と決別
「──思い出した……! お前、お前は……ッ!」
「あら……? 記憶の封印はとっくに解けていたから、既に思い出してると思ったのだけれど……少し早まったかしら……」
顎に指を添えて何やらぶつぶつと呟いている魔族だが、今の私にとってその内容はさして気にもならなかった。
それよりも心の奥底から溢れ出す、激しい怒りが先行した。
「よくも……! よくも世界に穴を……! 許さない……お前は、お前だけは絶対に!」
こちらの世界に来た時は何も思わなかったダンジョンの存在……それが魔族の侵略の証明だと思い出した今、もうコイツの存在を許せる訳がなかった。
掴まれたままの腕を振り回して暴れる。しかし──
「思い出したのなら分かるでしょう? 貴女はもう私に勝つ事は出来ない……──絶対に」
「っ!」
図星を突かれ、息が詰まる。
そうだ。『世界の狭間』で戦った時、私はこの魔族に一方的に負けたのだ。
能力を縛る事なく、私が扱える全ての力を使ったのに……その上で、惨敗した。
しかも、今の私は当時と比べても弱体化しているのだ。
……思い出したばかりだからこそ鮮烈に浮かび上がる敗北の経験が、私から抵抗の意思を奪っていく。
そんな私に追い打ちをかけるように、魔族は更にネタバラシを続けた。
「ねぇ、どうして貴女があっちの世界で人間に近付かなかったか分かる? ──私が貴女の中に居たからよ」
「あ……っ!」
魔族の言葉には心当たりがあった。
確かに私の身体が人間に近付き始めたのは、こちらの世界に来てからだ。私は向こうでも魔物は倒していたのに、当時その魔力をいくら取り込んでも魔族のままだったのは……この魔族の意思が、理想像が、私の身体の中で生きていたからだったのだ。
「私は貴女と違って人間になるなんてごめんだった。だから貴女は向こうでいくら魔物を倒そうが、魔族から人間に変質していく事はなかったのよ。でももう違う……貴女には自分の弱体化を抑える方法はない。私と貴女の差は勝手に開いていく一方なのよ」
決定的な事実を知らされた。
絶望的な未来を幻視し、腕から力が抜ける。
そんな私を満足げに見た魔族は、あの時と同じ表情を──まるで自分の子を見るような微笑みを浮かべ、同じ言葉を投げかけた。
「これで分かったでしょ? ……無駄な抵抗はやめて、あなたも私達の仲間になりましょう? こっちの世界の人間にも拒絶された今の貴女が、彼等に肩入れする理由なんてないでしょう?」
「……」
勧誘に対する沈黙を肯定と受け取ったのか、魔族は続ける。
「それに、よく考えてみて。今の貴女が生きてるのは、私がこっちの世界にダンジョンを作ったからなのよ? そのおかげでこの世界にも最低限の魔力が流れ込んで、貴女はその身体を維持できた。そう考えると、私は貴女にとって恩人とも言えるんじゃないかしら?」
「あなたが、ダンジョンを……」
この言葉を信じるのであれば、この魔族は少なくとも渋谷ダンジョンが生まれたとされる千年前にはこちらの世界に来ていた事になる。
きっと狭間とこの世界では時間の法則そのものが違うのだろう。【聖域】によって確実にこの時代に到達する私に先行して世界に降り立った魔族は、とんだタイムスリップを果たしていたようだ。
(──この世界で『俺』が生きていたのも、その過去改変が原因か……)
ダンジョンがあり、魔力があり、レベルアップと言う現象が医療にも転用される様に発展した世界。だからこそ、『俺』の死因である先天性の免疫疾患が治療できた。
……正直、その一件に関しては個人的には悪い事ばかりではないという感情もある。
『俺』の生前、リモートで会話した両親はいつもこちらに気を使っていて、明るい笑顔なんて見たのは数える程度だった。
彼等はきっと『俺』を丈夫な身体に産めなかった事を気にしていたのだろうけど、それは俺も同じだった。『俺』が丈夫に産まれる事が出来なかった為に、両親を縛っている……その事実が時に辛かった。
──だけど、こっちの世界では二人とも楽しそうに笑っているのだ。両親の実家に住むようになって数日程度だが、それが良く分かった。
元・ダイバーとなった事で両親ともに若々しく、特に見た目が二十代でも通用する母さんは今でも色々なファッションを楽しんでいる。
父さんも表情にはあまり出にくいタイプのようだが、そんな母さんと出かける時は心なしか足取りも軽い。……きっと、そんな家庭がこの世界には溢れているのだろう。
ダンジョンが──魔力がある事による恩恵は、間違いなく存在するのだ。
だけど──
「……あなた達の侵略が完了したら、この世界はどうなるんですか……?」
「侵略が進めば、ダンジョンの外……地上の魔力の濃度が高まり、いずれはあっちの世界のように魔物や魔族が地上に直接現出できるようになるわ。こっちの世界は向こうとは違って『腕輪』無しには魔法も使えない人間ばかりだから、そうなった時点で地上の制圧はほぼ成功したも同然ね」
「……」
認めたくないが、魔族の想定は当たるだろう。
ダイバーとなっていない人間に戦闘能力が無いのは当然だが、『腕輪』と言う便利な道具を手にして戦う事に慣れてしまったダイバーもまた、地上に於いて戦力になるとは言い難い。
『腕輪』の機能が、地上では極端に制限される為だ。
そんな無力化された状態で魔物との連戦を強いられれば、待つのは当然──
「分かるでしょう? そうなれば、この世界は私達の物……貴女が帰りたかった街も、行きたかった場所も全部ね。今の内に私達の仲間になれば、貴女もいずれ正体を隠さずとも大手を振って歩けるようになるわ。貴女にとっても、悪くない話だと思わない?」
そう言って私の目を真っ直ぐに見つめる魔族。
彼女の計画は、このまま進めば実現する確率は非常に高いと言わざるを得ない。
……だからこそ、解せない。
彼女の計画が長い年月をかけて秘密裏に、しかし順調にここまで進んでいるからこそ、私は彼女の言葉に矛盾を感じた。
「何故……何故そうまでして──計画の内容を伝えてまで、私をスカウトするんですか……」
私に計画の内容を伝えさえしなければ、彼女の計画は今後も誰に気取られる事もなく順調に進められたはずだ。
しかし、今私は彼女の計画を知ってしまった。彼女自身の発言によって。そこに違和感がある。
言外にそう伝えると、彼女はそこで一瞬考えて口を開いた。
「──前にも言ったでしょう? 貴女に愛着が湧いたからよ」
(──嘘だ)
そう、咄嗟に感じた。
彼女と私の魂の繋がりから、何となくそれが伝わってくるのだ。
それによって確信する。今回彼女が私の前に姿を現したのも、計画の内容を伝えてまで私を勧誘するのも……
(──私が計画に必要なんだ……!)
それならばまだ間に合う。
私の何が彼女の計画に必要なのかは分からない。しかし、私が彼女の誘いに乗らなければ、協力しなければ計画は崩れる筈だ。
「……折角ですが、お断りしますッ!」
「ッ!」
掴まれた腕を思いっきり引っ張り、反動も利用して全力の蹴りを魔族の腹に叩き込む。
そうして辛うじて拘束から解放された腕を、雨どいの金属製パイプへと伸ばす。そして──
(──【変身魔法】!)
掴んだパイプを【変身魔法】で簡素な剣の形に作り変えて正眼に構えると、決別の意思を込めて鋭く睨む。
その姿を見た魔族はめんどくさそうに『ふぅ……』とため息を吐くと、かぶりを振った。
「交渉決裂、ね……」
「例え身体は魔族になっても、私は人間です。貴女達の仲間になるつもりはありません」
「──戦って負ける気はしないけれど、今人間に見つかっても都合が悪いわね。……いいわ、今日は引き下がりましょう。でも……貴女があくまでも私達に協力しないつもりなら、私にも考えがある。それは覚えておきなさい」
そう吐き捨てると、魔族の姿は路地裏の薄闇に溶けるように消えた。
転送魔法だ。恐らく、ダンジョンに帰ったのだろう。
(あの精度の転送魔法を一瞬で……やはり、魔法の扱いでは私に勝ち目はない……か)
手に持った剣を【変身魔法】で元のパイプに戻した後、私は何事もなかったように路地裏から繁華街の日の下に引き返した。
──強い決意を胸に滾らせながら。




