第235話 蘇る記憶
今回ちょっと説明が多めになるかもです。
『ドッペルゲンガー』と呼ばれる怪異がある。
曰く、それは自分と同じ姿をしており、その『もう一人の自分』を見た者は近く死んでしまうとか。
(今、私の目の前にいるのが『それ』なのか……? いや──)
一瞬脳裏に浮かんだその可能性を、私の中の何かが即座に否定する。
……強烈な既視感があった。目の前の悪魔に──いや、魔族に。
(──私は、コイツを知っている……? っ、頭が……ッ!)
ニヤニヤと笑みを浮かべるもう一人の私……その姿が、この路地裏の薄暗さが、私の中に封じられていた何かを呼び起こす。
溢れ出した記憶の奔流が、一瞬私の意識を揺るがした。
◇
──ドロリと肌に纏わりつくような空気。ザザ、ザザとさざ波にうねる地面の岩肌。漂う無数のオーブ。
【聖域】と化した霊峰の頂にて、興奮を胸に私は数百年抱き続けた願いを口にした。
「さぁ【聖域】よ、私を──嘗て生きた世界へ、あの日の日本へ連れて行ってくれ!」
世界も時間も越えて、千年前のあの世界へ帰りたい。
異世界で拒絶された私が縋る最後の希望……それを【聖域】が聞き届けたのだろう。
足元の地面が渦を巻き、私の身体は地面に沈んでいく。そして──世界が変わった。
「──ここは……いったい……?」
周囲を見回せばそこにはただただ不思議な光と闇ばかりが漂っている。
光は【聖域】でみた無数のオーブと同じ光を放っており、この周囲にも濃密な魔力が満ちている事が見てとれた。
不思議な光景に事欠かない異世界を長い事旅したが、そんな私でも見た事のないような別世界。
しかし、ここが『世界の狭間』なのだと言う事が何故か分かった。そして、霧のような闇の隙間に浮かぶシャボン玉のような泡のような物の一つ一つが『世界』なのだと唐突に理解した。
(不思議な気分だ。見た事が無い筈なのに、一目でそれが何か分かる……生まれる前から知っていたように、それが当たり前であるかのように……)
だからわかる。
今の私は間違いなく、願った通りの世界に向かっているのだと。
私の身体を運ぶ『流れ』は、【聖域】の変化した形なのだと。
そして、向かう先に浮かんだ一際綺麗なシャボン玉こそが──
(あぁ……あれが、私が生まれた世界……)
「──おめでとう、良くここまで辿り着いたわね」
(ッ!?)
一瞬、その声が誰の物か……どこから聞こえて来たのか分からなかった。
──いや、違う。分からなかったというより、『理解の範疇を超えていた』。
(──私の口が、勝手にしゃべった……!?)
私の意思と関係なく、口が弧を描き笑みを浮かべる。
続いて私を襲ったのは、更なる未知の感覚だった。
自分の身体がブレるような、奪われるような喪失感。一瞬のその感覚に戸惑う暇もなく、私の身体は……──増えた。
「っはぁ~……やっと自由になれたわ。これもあなたが自分からここまで来てくれたおかげね。全く、本当に長い千年間だったわ……」
「あ……っ、あなたは、いったい……!?」
解らない。先程まであった全能感も吹っ飛ぶ程の衝撃。
自分の身体から、もう一人の自分が生えて来て……それが完全に分離した。
それが今、目の前で動き、喋っている。何が何だかわからなかった。
(やっと自由になった……? 長い千年間……? なんだ……何を言っている……?)
戸惑うばかりで言葉も続かない私に、もう一人の私は告げた。
「まったく……人間に私の身体を奪われるなんて、魔族として永遠の屈辱だわ」
「身体を奪った……私が? 私は魔族に転生したんじゃ……」
「違うわよ。死んで、世界の狭間に迷い込んだあなたの魂が、あの世界を攻めようと作った私の身体に入って来たの」
それは普通なら全く理解の出来ない説明だったが……今いる『世界の狭間』の性質なのか、その言葉の意味が何故か今の私には分かった。
彼女達『魔族』は本来、意思を持った魔力そのもの……言ってみれば『精神生命体』だ。
世界の狭間に存在する上位種族で、狭間に浮かぶ世界の侵略を目的として活動している。
侵略の方法はシンプル。
侵略先の世界に顕現し、世界を守っている泡のような膜を内側から破壊する。
あの泡は見た目から想像できない程頑丈で、外からはまるで傷を付けられない。だから内側から破壊する必要があるのだ。
そしてその世界に顕現する為には『対象の世界に術式を飛ばし、その世界の物質で構築した自分の身体に入って活動する必要がある』。言ってみれば、その世界に馴染む為に必要な儀式のような物だ。
目の前の魔族が言うには、どうやら私の魂はあの異世界を攻める為に彼女が作った身体に偶然入り込んでしまったのだという。
「しかもたかが人間の魂に身体の主導権まで奪われちゃって、すっごく退屈だったわ。千年間よ? 千年間!」
「う……それは、すみません……」
気迫に圧されてつい謝ってしまったが……言うほど私が悪いのだろうか、とも思う。
だって侵略しようとしたのは彼女で、そもそもそんな事をしようとしなければ私に身体を奪われる事もなかっただろうに……
「──ま、過ぎた事は良いわ。だって、あなたのおかげでもっと良い世界に行けそうなんだもの」
「! それって……まさか!?」
「勿論──あなたの生まれた世界よ。今のあなたなら分かるでしょ? どうしてあなたの世界が魔族から侵略を受けて来なかったか」
「あの世界に……魔力が、全く無かったから」
魔族は世界に馴染む為に『その世界の物質で作った身体に入らなければならない』。しかし、元々魔力が無い私の世界では、その為に撃ち込んだ術式がそもそも起動しないのだ。
だから魔族は私の世界に来れなかった。だから私の世界のシャボン玉はあんなにも綺麗に見えるのだ。
私の答えに満足気な笑みを浮かべた魔族は、続いてもう一つの問いを投げかけて来た。
「正解。そして、どうして今なら侵略が出来るのか……それも分かるでしょ?」
「……! 【聖域】の魔力……!」
【聖域】はあらゆる不条理を覆す純粋な魔力だ。
私の『生まれた世界に帰りたい』と言う願いを叶えるべく、【聖域】はこの『流れ』に──通り道になってしまっている。
それはつまり、通り道の終着点には魔力が流れ込んでいると言う事だ。
その事実に思い至った瞬間、ぞわりと背中に鳥肌が立った。
(私の所為で、世界が危機に陥っている……!)
【聖域】の道は既に開通してしまった。
私の願いが叶うまでは、少なくともあの世界に魔力が存在してしまう。だったら……
「──させない! あの世界を侵略なんて許さない!」
「……戦うと言うの? 私と? あなたが?」
拳を構え、翼を広げる。
地面が無いこの場所で戦うには、翼による飛翔がものを言う。元が人間とは言え、同じ千年間を過ごしたとはいえ、この翼を使い続けて来たのは私だ。
同じ身体でも、慣れているのは私の筈だ。そういう勝算があった。
「──ハァッ!」
全力の飛翔で一瞬の内に背後に回り込んだ私の拳が、魔族の背中を狙う。
先ずは翼だ。それさえ破壊してしまえば、この空間ではしばらくの間まともに身動きも出来なくなる。しかし──
「あまりガッカリさせないで頂戴」
「な……!」
魔族はそんな私の更に背後に回り込んでいた。
(──動きが、追えなかった!)
「っ、シッ! ダアッ!!」
焦燥に駆られながら後ろ回し蹴りを放ち、すかさず翳した右手から純粋な攻性魔力の大砲を撃つ。
だが、蹴りも大砲も最小限の動きで躱され、大砲を撃つ為に翳した右手は掴まれてしまった。
「無駄な足搔きはみっともないわよ? 『その姿』で無様を晒さないで頂戴」
「ぐ……ッ!」
腕を振り払おうともがいても、魔族の力が強すぎて叶わない。
恐らく魔法で強化しているのだろう。私も同様に身体を強化しているのだが、魔族の場合その精度が桁違いに高いのだ。
(駄目だ……勝てない……!)
絶対的な力の差があった。同じ身体を使っているというのに、魔力の使い方一つでここまで差が出るものなのかと思い知らされた。
このまま私はこの魔族に殺されてしまうのだろうか。そして、私が帰りたかった世界は、私の所為で滅ぶのか……
そんな無力感と罪悪感に、私の抵抗の意思は削がれてしまった。悔しさに涙すら滲んで来た。
しかし、そんな私を見て嘲るかと思った魔族は、私の腕をぐいと引いて顔を近付けると──妙な表情を浮かべた。
「ねぇ……抵抗はやめて、あなたも私達の仲間にならない?」
「──は……? 仲……間……?」
「同じ千年間を過ごしたから知ってるわ。辛かったでしょ? 人間に拒絶され続けて。人間に裏切られ続けて。ただ、魔族の身体を持っただけだというのに……」
「何を……!」
それは元々お前達魔族の所為だろう。
魔族が世界の侵略なんてしてるから、その身体を持ってしまった私まで同じ扱いを受け続けた。
拒絶されたのも、裏切られたのも、全部元は魔族の行動が原因だったのに……
「今のあなたと私は似た存在よ。本当は魂だけのあなた、本当は魔力だけの私……千年間、あなたの足掻きをみていて、正直あなたに愛着が湧いたのよ。これは本心……あなたにもわかるでしょう?」
「……っ!」
受け入れがたい事に、彼女の言うとおりだった。
今の私には、彼女のこの言葉が本心だという事が何となく分かってしまう。
千年間を同じ身体で過ごした所為だ。私と彼女の魂の間には、奇妙なパスが出来てしまっていた。
しかし──
「それなら、あなたにも分かるでしょう! 私があの世界に賭けている希望がどれ程の物か! あの世界なら、私はもう一度人間として過ごせるかもしれない! 人間として、人間達の中で平穏に……!」
「それはもう無理よ。今のあなたは私達魔族と同じ。魔法で作った身体に入っていなければ散ってしまうような、脆弱な存在なの。あんな魔力の無い世界では【聖域】によって降り立つ事は出来ても、直ぐに身体を維持できずに消滅してしまうわ」
「く……っ、ぅうっ!!」
突きつけられる事実。
それは世界の狭間に来て、初めて知った無情な現実だった。
このままでは私は死ぬのだ。例え願いが叶っても。
だけど、それでも、世界が魔族に侵略されてしまうくらいなら……
「──残念。交渉決裂ってわけね」
「っ!」
私の内心が伝わったのだろう。魔族はため息を吐くと、私に向かって手を翳した。
そして無慈悲に告げる。彼女の計画を。
「あなたがあの世界に辿り着くまでは、あの世界の何処かに聖域の魔力が残る。私はあなたよりも先にあの世界に降り立ち、そこに留まって世界に穴を穿つわ。あなたも異世界で見たでしょ? ──ダンジョンってやつよ」
「!」
ダンジョン。異世界では魔物が湧く洞窟程度の認識だったそれの正体が、今の私には分かる。
あれは世界の膜に開いた小さな亀裂だったのだ。
シャボン玉の表面に開いた極小の穴……しかし、その内部構造が人間には迷宮に見えるだけ。
洞窟も迷宮も、『世界の狭間』から沁み込んだ魔力によって変質したひび割れだ。
そして最奥に──『世界の狭間』に近付く毎に魔力が濃くなる。例え完璧に開通せずとも、薄くなった膜から世界に沁み込む魔力は少しずつ、だけど確実に世界に浸透していくことになるだろう。
──そうなれば、おしまいだ。
一定量を超えた魔力が世界に満ちれば、魔族の本格的な侵攻が始まる。例え【聖域】の魔力が無くなったとしても、私の世界は絶えず魔族の侵略を受け続ける事になる……
「喜びなさい。あなたが来るまでの間に、あの世界をあなたが生きられるように改造してあげる」
「やめ──っ!」
「だから今は眠っておきなさいな」
翳された魔族の手から、膨大な魔力の塊が放たれた。
私の纏っていた闇色のローブドレスが襤褸切れのように裂けてしまうような、恐ろしい威力の砲撃を前に、私は一瞬で敗北を喫した。
薄れゆく意識の中、魔族の声が木霊する。
「──ここでの記憶は封印させて貰うわね。いつかあなたと向こうの世界であったら、もう一度あなたを勧誘するわ。……その時は、良い返事を期待してるわよ」
「待……って……、おね、がい……だから……」
私が最後に見たものは、翼を広げて私の世界へと向かう魔族の背中と……
──そして、曇り一つなかった世界の幕に、小さな……しかし、決定的な亀裂が入った絶望の瞬間だった。
今回の出来事は『第1話』の空白部分です。ヴィオレットは最後に魔族に記憶を封印された所為で、この辺の事全部忘れてました。
文章量を抑える過程で分かりにくくなっている部分があるかもしれませんが、感想欄で聞いていただければ答えられる範囲(今後のネタバレにならない範囲)でなるべく答えようと思います。
もし矛盾が見つかったら本文をちょっと書き直すかも……




