第230話 新しいトラウマ
両親が運転する自動車に揺られる事、約二時間。
「──着いたぞ」
車から降りた私の前には、都心から離れた閑静な住宅街に建つ一軒家があった。
特に何の変哲もないその二階建て住宅は、私の記憶の奥底に確かに存在する物とほぼ変わらない。
そう、ここは……
(私の……──『俺』の家だ……)
「──ただいま……で、いいのか? この場合」
「斗真の家でもあるのよ? そう言って貰わないと寂しいわ」
「お前の部屋は掃除こそしてあるがそのままだ。今日はそこに泊っていくと良い」
「分かった。──ほら、紫織も遠慮するな」
玄関の扉を開けた父さんが『俺』にそう伝えると、頷いた『俺』は私に振り返り、家に上がるように促した。
「……えっと、お邪魔します」
「あら、『ただいま』でも良いのよ? 紫織ちゃんって、なんか他人って気がしないもの」
「あ……でも、私は──」
母さんの言葉に嬉しい気持ちが一瞬湧くが、やはり躊躇してしまう。
私はもう人間ではないのだから。……その姿を、両親も知っているのだから。
しかし、母さんは私の腰に手を添えると、私の眼を見て言ってくれた。
「斗真も言ったでしょ? 遠慮せず、自分の家だと思って。ね?」
「は、はい。その……た、ただいま……」
「ええ、おかえり!」
母さんのその言葉に少しこそばゆい気持ちになりながら、私は再び『蒼木家』へと帰って来たのだった。
「二人とも、もう風呂には入ったのか?」
「ああ。向こうでもう済ませたよ。……あの連中があんな配信をしなければ、後は寝るだけだったんだがな」
父さんの問いかけにそう答えた『俺』は、そのままリビングのソファにやや苛立った様子で腰掛けた。
恐らくあの迷惑系ダイバーの事を思い出しているのだろう。眉間に皺が寄っているが──
「こーら、斗真! 女の子がそんなに脚を開いて座らないの!」
「いや男だよ!? 母さんも知ってんだろ!? 確かに今こんな見た目だけど!」
と、現在の彼は私の【変身魔法】で女性の姿になっており、その態度を母さんに注意されてしまった。
まぁ、母さんのちょっとした冗談だろう。注意しながらも表情が少しニヤニヤしているし。
そんな母さんに一言ツッコミを入れた俺は小さくため息を一つ零した後、私に向き直るとこう持ち掛けた。
「……なあ、流石にもう解除しても良いんじゃないか?」
「えぇ~? もうちょっと良いんじゃない?」
「この状態に違和感が無くなって来たのが怖いんだよ……変な趣味が目覚めたらたまったもんじゃない」
そう複雑な表情で母さんとやり取りを交わす『俺』。
しかし、彼には悪いが私としてはまだ魔法を解除する訳にもいかないのだ。というのも……
「──あの、先ずは服を脱いでください。そのまま魔法を解除すると、私の服が……」
「あ、ああ、そうだったな。悪い……」
そう。【変身魔法】では複雑な現代の女性服を再現するのは難しい為、今の彼は私の持っていた服から母さんがノリノリで選んだ服を着ているのだ。
流石に『スカートは嫌だ!』との抵抗もあってパンツルックだし、中に履いているのもボクサーパンツだが、それでも『上』は身に付けないとシルエットに違和感が出てしまうので仕方なく付けている。
このまま魔法を解除してしまえば……悲劇は免れない。
「……私はもう一度シャワーを浴びて来よう。運転で少し汗をかいたからな」
女性の姿のまま『俺』が服を脱ぐ流れになったからか、父さんはややわざとらしくそう告げると風呂場の方へと歩いて行った。
「──はぁ、やっぱ元の身体の方が落ち着くな……」
「そう言う物なの?」
「そうですね。ずっと変身してると、身体全体が凝ってくる感じがします」
「へぇ~」
元の姿に戻り、ソファーでくつろぐ『俺』を尻目に母さんとそんな会話をしていると、風呂から上がった父さんが戻って来た。
彼は元の姿に戻った『俺』を一瞥すると、その隣に腰掛けた。
そして、やや間をおいてから私達に話題を切り出した。
「……二人とも、こんな時に聞くのは辛いかも知れないが敢えて確認したい。この後どうするか、二人は決めているのか?」
「あの、えっと……」
父さんの問いかけに、スッと言葉が出てこない。
この後どうするか……そんなもの、決まっている訳もないのだ。魔族の姿が配信された事で、全ての想定が粉々に砕け散ってしまったから。
そんな私に代わって、『俺』が父さんの問いに答えた。
「そうだな……大学も丁度夏休みだし、帰省だと思ってしばらくはのんびりするよ。……紫織もそうしよう。な?」
「……はい」
平時であれば私は明日辺りダイバーとして再び渋谷ダンジョンの深層に向かっただろうが、今はそんな精神状態ではない。
もちろん配信せずともダンジョンには潜れるが、それでもやはり今の私ではあの悪魔と戦う事は難しいだろう。
あの悪魔は私のトラウマを使って攻撃してくる。
リスナーから拒絶された今の私にとって、それは天敵とさえ呼べる存在だった。
「そうか。……紫織は、寝室は斗真と同じで良いか?」
「あ、はい。私は大丈夫ですけど……──その、お二人は良いのですか? 私の本当の姿、見たでしょう?」
「……私は配信以外でキミの事をあまり知らないから何とも言えんが……少なくともそれを知っている斗真は、あの配信の後もキミと数日住んでいた。私がキミを信じる理由としては十分だ」
「あ……」
思わず視界が滲む。
私の姿が全世界に配信されたあの日、私はてっきり世界中から拒絶をされてしまったとばかり思いこんでしまった。
あの配信には数十万単位でリスナーが居たし、きっと多くの切り抜き動画が作られて拡散された事だろう。あれから怖くてエゴサも出来ていないが、作られない筈がない。
きっと遅かれ早かれ、世界中が敵になる……そんな絶望の暗雲から、一筋の光が覗いた気分だった。
(──この二人なら……)
彼等が信じたのは『自分達の息子の判断』なのかもしれない。
私自身の事は未だに信じ切れていないのかもしれない。だけど……それでも、間接的だったとしても私を家に招いてくれたこの二人なら、信頼しても良いのかもしれない。
それに、何よりも……
(今日、この二人は私の正体を知ってなお、私を助けに来てくれた。……これ以上この二人に──両親に隠し事をするのは……嫌だな……)
私自身がそう思ったのだ。
「──あの、二人に打ち明けたい事があります。その……とても信じられない事だと思いますが、聞いてくれますか……?」
「紫織……良いのか?」
「はい……」
「……どうやら、斗真は既に知っている事のようだな。──聞かせてくれ」
父さんは私を見極めるような、或いは気遣うような真剣な顔で私に向き合ってくれた。
私の隣に座る母さんも、私を勇気づけるように肩に手を添えてくれている。
そんな二人と本当の意味で信頼し合える関係になれるよう、私は話し始めた。
『自分が蒼木斗真の転生後の姿である事』『異世界で魔族として千年間生きた事』『その間に受けた拒絶と迫害』『孤独に耐えかねて地球に帰る計画を実行した事』『生活の為に正体を隠してダイバーになった事』……全てを打ち明けたあと、両親の反応は──
「──そう言う事だったか」
「大変だったのね、紫織ちゃん……──いえ、斗真ちゃん」
「おふくろ、その呼び方は止めてくれ。俺までなんかムズムズする。……というか、信じてくれるのか? 二人とも……」
あっさり信じてくれた両親の様子に、かえって動揺してしまう『俺』。
私ももう少し証拠だとかを求められると考えていただけに、少し拍子抜けだ。
「信じるもなにも……お前も今の話を信じたから、同じ部屋に住んでいたのではないのか?」
「そ、そうだけどさ……こうして改めて聞くと、かなり荒唐無稽だぞ? なぁ?」
「え、えぇ。特に異世界とか、並行世界とか……何の冗談だと怒られるくらいは覚悟してました」
確認するようにこちらを見る『俺』に、私も頷きを返す。
いくらダンジョンがある現代日本とは言え、異世界の存在なんて確認できていないだろう。
しかも並行世界の同一人物なんて、信じる根拠がそもそも無い話だ。
「ああ、その事なんだが……二人は気付いてなかったかもしれんが、お前達の振る舞いはよく似ているからな。話を聞いて、むしろ『なるほど』と思える部分もあったほどだ」
「に……似てるか……? リスナーからは兄妹にしては似てないって言われてたぞ?」
「見た目の事じゃないわよ。癖とか雰囲気とか、特に性格なんて昔の斗真そっくりよ? 最初に見た時、斗真が二人になったみたいって感じてたけど……本当に増えてたのね」
両親の言葉に思わず顔を見合わせる『俺』と私。
「そ、そんなに似てるのか? 俺達……」
「だからリスナーもお前達が兄妹だと信じたのだろうな」
「そうだったのか……」
「そんなに似てたんですね。私達……」
私はてっきり自分の作戦が上手く嵌まった結果、兄妹だと信じられているとばかり思っていたけど……なんやかんやで私達の事も見られていたのだろうか。
魔族になっても、千年間生きても、結局私は私だったんだなとしみじみ噛みしめる。
(……──ん?)
と、その時。私は気付いていけない事に気付いてしまった。
「……あの、母さん? さっき『昔の斗真そっくり』って……」
「? そうね。ちょっとムキになり易かったり、頭よりも体が先に動いたり、中学生の頃の斗真もそうだったなぁって懐かしかったわ」
……
「あの……私、千年生きた結果が中学生なんですか……?」
ちょっと新しいトラウマが出来てしまったかもしれない。




