第229話 炎、揺らめいて
オーマ=ヴィオレットの魔族の姿が明るみになって、数日が経った。
あれからというもの彼女は一切表に姿を現しておらず、これまでとは違う意味でオーマ=ヴィオレットは注目を集めていた。
SNSを見れば『オーマ=ヴィオレットは皆を騙していた悪魔で、人間の敵だ』とするアンチ派と、『オーマ=ヴィオレットのこれまでの活動を信じる』という擁護派が日夜論争を繰り広げており、トレンドはほぼ『オーマ=ヴィオレット』『悪魔』『裏切り』等の言葉が締めていた。
『オーマ=ヴィオレット本人の言葉を待つ』という静観派も多いのだが、当の本人の配信どころかSNSの更新もストップしてしまっている為、その数は少しずつではあるが減少傾向にあるようだ。
(──こう言う時、勝手な憶測が現実味を帯びてしまう前に一言でも本人の意見を発信しておいた方が良い気もするんだが……)
そう思いつつ、スマホから視線を部屋の一角に移す。
そこにはいつもの『オーマ=ヴィオレット』とは違う少女の姿に変身した彼女──紫織が、暗い表情で座っていた。
『──助けてください! 私、私……!』
怯えた様子で帰って来た時の彼女と比べれば大分落ち着いた方だと思うのだが、それでも表情から普段の明るさは感じられず、縮こまったその姿からはあの悪魔チヨと互角に渡り合える実力者の気迫も感じられない。
(そう言えば、ダイバーになったばかりの頃言っていたな。リスナーが増えるのは嬉しい反面、プレッシャーでもあるって。俺にもその感覚は何となく分かる気はするが──アイツの場合、それが俺の想像を遥かに超えたものだったんだろうな……)
今の紫織はまるで既に世界全てに拒絶されてしまったかのような雰囲気だが、実際には違う。今まで『オーマ=ヴィオレット』として活動して来た彼女を見て来たリスナーの中には、彼女個人の性格やキャラクターを愛してくれた者も多いのだ。
『人間の敵ならアセンダーロードを倒したりしない』『ヴィオレットちゃんのおかげで強くなったダイバーがどんだけいると思ってんだ』『あの脳筋がそんな器用な訳ないだろ!』等、彼女を擁護・応援する声もSNSには少なくない。
……しかし、今の紫織はそう言った『人間の声』を見聞きする事を極端に恐れてしまっている。
異世界でついてしまったある種の逃げ癖が、ここに来て顕著に出てしまっているようだ。
「──紫織。コーヒーを淹れたんだが、飲むか?」
「あ……はい、いただきます」
今は多分、もう少し落ち着ける時間が必要な時期だ。
開いたばかりの傷口を無理に閉じようと押さえても、無駄に痛むだけ……もう少し癒えてから、タイミングを見て切り出そう。
それが出来るのは多分……──『並行世界の同一人物』である俺だけなのだから。
(それに何より……俺は紫織の『家族』で『兄』だからな)
実際は紫織の方がずっと年上だが、知った事か。
俺の事を最初に『兄さん』と呼んだのはコイツの方なんだからな。
『絶対に守ってやるさ』──俺がそう決意を新たにした時、俺のスマホが着信を知らせるアラームを鳴らした。
「!」
「っと、悪いな。驚かせて……」
小さな音にもビクッと過剰な反応を返す紫織にスマホをチラリと見せて、俺は相手の名前を確認する。
最初は大学とか知人からのメッセージだと思ったのだが……
(──親父から? 珍しいな……)
時刻を見れば、もう直ぐ午後の十時。
親父から電話と言うのも珍しいが、厳格な親父がこんな時間にかけて来るともなればただ事とは思えない。
「もしもし、親父? どうしたんだ、こんな時間に………………──ッ、はぁっ!? 何だと!?」
何かあったのだろうかと訝しみつつ、着信に応答した俺は……そこでとんでもない事を聞かされたのだった。
◇
「イエーイ! リスナーの皆、見てるゥ~? 今日は趣向を変えて、ダンジョン外から配信してま~す!」
「「イェ~!」」
夜も更けた時刻。ある数人のダイバーが走行中の自動車の中から配信を開始した。
見るからにガラの悪いチンピラのような風体の彼等は、同じクランに所属する仲間だった。
「ったく、オメェが遅刻すっから配信も遅れたじゃねぇかよぉ~!」
「るっせぇな昨日飲み過ぎたっつったろぉ?」
「何時間寝てんだっつ~の!」
ゲラゲラと笑いながら運転する彼等の様子を映す配信のコメント欄は、普段とは異なり多くのリスナーのコメントが流れていた。
〔お前ら正気かよ〕
〔イカれてる〕
〔マジで迷惑系〇ね〕
ただし、その内容はいずれも彼等を非難する物だった。
これは彼等が元々迷惑系と呼ばれるタイプのダイバーである事も理由の一つではあったのだが、それ以上に今回の配信の内容が原因だ。
「お? 湧いてんねぇ人類の敵ども~」
「悪魔の手先がこんなにいたなんてなぁ~!」
『【突撃インタビュー】今話題のダイバー?に取材してみた【オーマ=ヴィオレット】』──それがこの配信のタイトルだった。
昼にSNSで告知した内容もタイトルそのままで、『悪魔の正体がバレて逃げ帰ったオーマ=ヴィオレットに今の気分を取材する』と言ったもの。
ソーマの昔の配信からアパートを特定した彼等は今、まさにその住所へ向けて車を走らせているところだったのだ。
当然そんな配信をヴィオレットのファンが応援する筈も無く、こうしてコメント欄は罵詈雑言の文字が羅列するありさまとなった。
しかし元々が『悪名は無名に勝る』と言う建前で無茶苦茶な配信を繰り返してきた彼等だ。この状況を思惑通りとほくそ笑み、テンションはヒートアップするばかり。
そうこうしている内に車は目的の建物の前に到着。
「はぁ~い、着きましたよ皆さ~ん!」
意気揚々とアパートを背景に挨拶を開始した。
「配信から姿を消して今日で三日目! 皆さんのあのダイバーを見たいという声にお応えして、いざ──」
「おい、待て。一般人が来る。通報されたら面倒だ、一旦声落とせ」
「え、まじ? しゃーねーな…」
『間が悪ぃなぁ』とため息混じりに彼が振り返った先からは、彼等の居る駐車場に向かって歩いてくる三人の女性の姿。
最も年上の女性から順番に二十代後半、二十歳前後、十五歳前後。
いずれも美女・美少女と言って差し支えなく、どこか似た顔立ちをしている事から恐らくは姉妹だろうと当りをつけたダイバーの男性は、そこに取れ高の匂いを感じ取るとマイク代わりに丸めた雑誌を片手に近付いていく。
「おねぇさん方、美人だね~! 姉妹かな?」
軽薄な足取りで近付いたダイバーは、近くに寄った事でその女性達の一人──次女らしき美女の腕に見慣れた腕輪を発見すると、自分の腕にも同じ物があるぞとアピールを始めた。
「──お? 次女のキミもダイバーなんだ? 俺もホレ、このと~りダイバーなんだけどさぁ、今度コラボしない? エスコートするよ~!?」
と、本来の目的も忘れて下手なナンパを続けるダイバー。
しかし……
「ッ! ──ふぅ……結構です。お……私、一人で下層も潜れますので」
「そう言う訳なので、またねぇ~?」
「あ、はぁ~い。また……」
と、にべもなく断られてすごすごと引き下がる。
見るからに不機嫌になった次女の頭を撫でて落ち着かせた長女が穏やかに、しかし強い口調で別れを告げると、ダイバーは車に乗り込む彼女達の背中を見送る事しか出来なかった。
「……いやぁ、フラれちったぁ~!」
「お前絶対ビビってたろ!」
「はぁ? ビビってねぇし! それよりも、次はいよいよ本命のオーマ=ヴィオレットに突撃するぜ~!」
一瞬向けられた本気の殺気に震える脚を抑え、ダイバーは安アパートの階段を上り始める。
今しがたの屈辱をぶつける相手の部屋を目指して──
◇
「──戻ったか。……ん? その二人は?」
今しがた迷惑系ダイバーに絡まれてしまった女性達が乗り込んだ自動車では、一人の男性が運転席で彼女達を待っていた。
しかし、実際に乗り込んで来た顔触れをミラーで確認した男性は、後部座席を振り返るとその内の一人に問いかける。
質問を投げかけられた女性──先ほどの迷惑系ダイバーが三姉妹の長女と判断した女性は、ニコニコとした笑顔で答えた。
「ビックリでしょ? この美人さん、斗真なのよ~! こっちの娘はヴィオレットちゃん!」
そう言って迷惑系ダイバー曰く『次女』の両肩をぽんぽんと軽く叩く。
次女──蒼木斗真が『近いって、おふくろ』と軽く抵抗すると、『は~い』と素直に手を離す『長女』もとい、母の蒼木真。
そのやり取りで見知らぬ女性二人が息子達だと確認できた男性──蒼木征士郎は珍しくポカンと口を開けて固まった。
「何……? ──いや……そうか。そう言えば、ヴィオレットは魔法で姿を変えられるのだったか。……ではこれで全員揃った訳だな。早速車を出すから、シートベルトを締めてくれ」
「は~い」
最後に所在無さげに座るヴィオレットを心配そうに一瞥した征士郎は、視線を正面に戻すとそう促すとエンジンをかけた。
彼ら家族を乗せた自動車は静かに道路に出ると、斗真とヴィオレットの住み慣れたアパートから離れていく。
「……なぁ、紫織。【変身魔法】はもう解除しても良いんじゃないか? なんか落ち着かなくてさ……」
「え~? 家に着くまではこのままの方が良いわよ。窓から顔見られたらバレるかもしれないんだから」
「あの……そう言う事なので、すみません……」
「……仕方ないか。──ったく、何が悲しくてあんなチンピラにナンパされなきゃならねぇんだ……」
こうして若干一名に被害は出たものの、蒼木斗真とヴィオレットは間一髪で彼等の配信を躱す事が出来たのだった。




