第227話 希望と絶望
この先ちょっと微鬱注意かもです。
作者も鬱展開は苦手なので、慣れている方にとってはそこまでにはならないかも知れませんが……
迷宮にウチとヴィオレットの足音が響く。
ホンマなら早いところヴィオレットだけでも腕輪の機能で撤退させたいんやけど、ヴィオレットの絶叫を聞きつけて深層のミノタウロス共が集まって来とった所為かやたらと戦闘がかさんでタイミングがあらへん。
「──喰らえや!」
「グオオオォォッ!!」
回転させた旋風刃を片手で扱い、襲ってくるミノタウロス種を蹴散らしながらヴィオレットの手を引いて駆ける事数分。
ついにウチの視界にそれが見えた。
(──しめた! 扉や!)
深層の迷宮には所々に金属製の扉で仕切られた部屋がある。
悪魔と違って魔物の大半は扉の開け方を理解する程度の知能もない。つまり、ウチら二人であの扉の先に転がり込んでしまえば、落ち着いて安全にヴィオレットを逃がす事が出来るっちゅう訳や。
(今のヴィオレットは自分でつけとる腕輪の位置も分からんなっとる上に、ウチの言葉も届いとらんようやからな……やり取りもハンドシグナルでせなあかんし、流石に逃げながらは無理や。部屋が見つかって助かったわ)
そんな事を考えながら、扉に向かって一層勢いよく駆け出そうとしたその時だ。
その手前の十字路の角から、その異形は現れた。
「──!!」
(なんや、こいつ……! こないな魔物、見た事ないで!?)
「……ティガーさん?」
思わず足を止めたウチにヴィオレットが何事かと問いかけて来たけど、この状況を伝えられる適切なハンドシグナルが無い。
せめて少しでも安心させる為にヴィオレットの手を優しく、しかし力強く握り直す。
そんなウチの眼に最初に見えたのは、十字路の角から覗く蛇の尻尾を思わせる触手やった。
角の先から伸びて来たそれが壁面を掴むように吸い付き、その奥にある本体を引っ張るようにしなると──すぐに異形の全貌が明らかになる。
魔物の本体らしき球状の身体からは、さっきから見えとった触手が無数に生えとった。
どうやらその触手が壁や地面、はたまた天井にまで吸い付く事でここまで音も立てずに移動して来たらしい。
さらにそれら無数の触手の隙間を埋めるように、これまたびっしりと無数の眼が並び、絶えずぎょろぎょろと周囲を見回しとる。
そして……ウチの姿を見つけたんか、それらの視線が一斉にこっちに向けられた。
(ぶ、不気味な魔物やな……緊急時やし、こないな未知の敵は相手にしたないんやけど──)
一瞬引き返すっちゅう選択肢も脳裏に過ったけど、ここを突破してしまえば扉は目の前や。
逡巡の末に突破を決意したウチは、旋風刃を再び回転させる。そして……
(──先手必勝や!)
異形の魔物に向けて【投擲】した。
迷宮の通路を斜めに切り裂く角度で飛翔する旋風刃。回転の速度も十分なため、風の刃の長さは通路の対角線を埋める程の長さに達しとる。
見たところ動き自体はそこまで速くない魔物やし、これは避けられん筈や。
……ウチがそう思った直後、こっちを見る奴の眼ェが怪光線を発した。
(──ぅっ……!? 目晦ましか!?)
咄嗟に片目を瞑って光から守る。
両目とも瞑らんかったのは、光に乗じて攻撃してきた場合に最低限の回避行動を取るためや。
そして、その開いたままの片目でウチは見た。
ウチの【投擲】した旋風刃の刃が光によって霧散させられたのを。
……しかし、回転して飛翔する旋風刃そのものを止める力は無かったらしい。旋風刃は勢いを緩める事なく魔物の脇を通過し、異形の触手を数本斬り飛ばした。
「──ギキィィィーーーーッ!!」
(よっしゃ、怯んだ! 今の内や!)
旋風刃の風の刃が散らされた理屈は気になるけど、今は後回しや。
この好機に一気に魔物の脇を駆け抜けたろ。そう思た次の瞬間、ウチの背後から異音が聞こえた。
『ミシ……ッ、ギギィ……──バキン!』
それはまるで金属の棒を力任せにへし折ったような音。そして直後、『ガシャン! ガラガラ……』と、これまた大小様々な金属が地面に落ちたような音まで聞こえてきた。
何事かとパッと振り返ったウチが見たんは──
「今のは、いったい……?」
ヴィオレットと繋いでいた筈の手を握る、ヴィオレットによぉ似た悪魔の姿やった。
◇
私の手を引く女性の背中に、遠い記憶が蘇る。
彼女とは異世界で私が旅をしていた時に出会った。
街から街への根無し草……そんな旅も、ある意味自由で悪くない。そんな風に思い始めていた時だ。
私はとある商隊の護衛に混じって次の街に向かっていた。
『冒険者』……それが当時の私の肩書きだ。
彼女も同じ依頼を受けた同業者で、それまでは会った事もない相手だったが……気さくな人柄で人との関係を拒む私にも良く話しかけてきてくれた。
──そんな折、商隊は突然現れた魔物の群れに囲まれた。
非常に運の悪い事に、付近の未発見ダンジョンの成長周期とかち合ってしまったのだろう。ダンジョンから溢れ出した魔物がこの商隊を襲って来たのだ。
冒険者や元々商人が雇っていた護衛が総出で馬車を守っていたものの、ダンジョンの成長に伴って溢れ出す魔物の量は膨大だ。到底その場に居合わせた人数だけで対処するのは無理だった。
商人は積み荷の中から特に価値あるマジックアイテムだけを手早く纏めると、馬車を放棄する決意をした。
雇われた冒険者は皆、その殿を任されたのだ。『生き残ったのなら馬車の積み荷を好きにしていい』と言う条件で。
『ついてないね~……これ、生還したら特別手当て出るかな?』
『馬車の積み荷がその手当てでしょ? ケチな商人の割には太っ腹なんじゃない?』
『あはは! それなら何が何でも生き残らなきゃね!』
そんな気やすいやりとりも出来るくらい、彼女と私は旅の中で打ち解けていた。
……いや、打ち解けられたと思っていた。
『嫌! こっちに来ないで!! これもアンタの罠だったんでしょ!?』
『違っ……! 私は──』
『誰か! 魔族に殺される!!』
『あ……』
私達を囲む魔物の中に、少々特殊な魔物が紛れていたのだ。その所為で私の【変身魔法】は解除され、私は魔族の姿を彼女に見られてしまった。
……その瞬間、彼女は蒼白な顔で逃げ出した。
それまで聞いてくれていた私の言葉も無視して、預け合っていた背中は一方的に離れて行った。
どれ程親しくなったとしても、どれ程気さくな人物でも、私の正体を見ればこうして離れて行ってしまう。それが当たり前……異世界での常識だった。
(──何か、奇妙な気分だ)
今、私はその女性に手を引かれて走っていた。
私から逃げ出した背中が、私を救い出す為に全力で多くの敵を倒してくれている。
勿論彼女の姿は悪魔の術式で見せられた錯覚で、実際にはティガーなのだと言う事は理解している。
だけど、どうしても考えてしまうのだ。私がもう少し上手くやっていれば、向こうでもこんな関係になれたのかな……と。
(……それにしても、この光景はなんなんだろう?)
駆けながら周囲を見回す。
私の視界はあの悪魔の拘束から助け出された後も刻一刻と変化を続けており、草原や森、山道から谷底と様々に移り変わった果てに到達したのがこの場所だった。
周囲を見回してもそこに地面は無く、見上げても空は無い。
いや、そもそも上下や左右という概念があるのか……そこはただただ不思議な光と闇ばかりが漂う空間だった。
(──あれ? そう言えば、ここ……前にも見た事がある様な?)
一瞬考えて、気付く。
(ああ、そうだ。確か少し前にこんな夢を見た気がする)
あれは悪魔に撃ち込まれた術式を解呪しようとした夜の事だ。
私はこの上下も左右も無いこの空間を、ただただ漂うという夢を確かに見た。
(……待てよ? どうして私は夢を追体験なんてしているんだ?)
ティガーと言う助けが来た事で、少しばかり冷静になれた頭で考える。
あの悪魔は言っていた。ここは私の『トラウマの世界』だと。
そんな世界に夢で見ただけの光景が映り込むだろうか……
(まさか……ただの夢じゃないのか?)
そう思いながら様々な景色が閉じ込められた泡を見ていると、何かを思い出しそうな気がしてくる。
まるで封じられていた記憶の蓋が開いていくような感覚。
もう少しで何かを思い出せそう……そんな時、私の手を引いて走っていた女性──ティガーが足を止めた。
「……ティガーさん?」
何かあったのか、と確認の意図を込めて尋ねると、彼女は私の手を力強く握り直してくれた。
『守ってやる』。そう言われたような気がして、不思議と心強い気持ちが湧き上がる。
しかし、その力強さの中にある僅かな緊張が、何らかの異常事態を告げるものであるのは明らかだ。彼女の睨む先に私も視線を向けると……そこには一つの人影が佇んでいた。
(──誰かが正面に来たのか……まさか悪魔に回り込まれてしまったのか? いや、それでもティガーなら迅速に判断して動けるはずだ。まさか、新種の魔物でも現れたのか……?)
今の私の視界で得られる情報は『そこに何かがいるかどうか』だけだ。
あの人影だって何らかの魔物か悪魔がそう見えているだけで、実際には人間でもないだろう。その証拠に、ティガーは手に持っていた何らかの武器を人影に向けて投擲した。
それと同時に視界を光が埋め尽くし──
(ぐっ!? 何だ……? 身体が、締め付けられる……!?)
光に目が眩んだ中で、ギシギシと全身を苛む圧迫感と痛みに襲われる。
私が半ば条件反射で全身に力を込めて抗うと、『ミシ……ッ、ギギィ……──バキン!』と金属がひしゃげ、破壊されたような音と共にその苦痛から解放された。
「今のは、いったい……?」
光に眩んでいた視界が戻り始める。
やがて私の目に映ったのは──
「ヴィオレット……? お前、ヴィオレットやんな……?」
と、呆然と尋ねて来るティガーの姿。
「? はい。そうですけど……──え……?」
『何故、彼女の顔が正しく認識出来ている?』『認識阻害が解けたのか?』『何故?』。そんな疑問が頭を一瞬駆け巡ったが……次の瞬間、私は今の自分がとんでもない状態である事に気付いてしまった。
──ティガーが掴んでいる私の腕が、青白い魔族の物だったのだ。
「え……この、腕……? えっ……?」
身体を確認すると、そこには今にもはちきれそうなインナー。
足元を見れば、急激に身体が大きくなった影響で破壊されたドレスアーマー。
どちらも、私の【変身魔法】が解除されてしまった結果だろう。
……そして、驚愕するティガーの姿の奥にはそれを引き起こした魔物の姿があった。
「ゲイザー……ッ!」
それにより全てを察した。
ゲイザーは異世界でも存在を確認されていた魔物で、球体の全身に無数に存在する触手と眼が特徴だ。
そして最も脅威とされるのは、奴の無数の眼から四方八方に放たれる怪光線。
触れたものに対して異常を引き起こす怪光線は三種類が確認されており、それが『魅了の魔眼』、『気絶』、そして──『あらゆる魔法の強制解除』だ。
「また……っ! またお前か……ッ!!」
ティガーの顔が、既に悪魔の術式から解放されたにもかかわらず『彼女』と重なった。
あの時もそうだった。商隊を襲った魔物の中に紛れていたゲイザーによって、私の【変身魔法】は解除され、私は……私は──
「──【エンチャント・ダーク】! 消えろオオォォッ!!」
「グギキィアァーーーーッ!!」
──怒りと絶望の一閃が、ゲイザーを両断した。




