第202話 爆弾情報
「……一体、何の用ですか?」
「そんなに警戒しないでよ。私と貴女の仲じゃない」
声に警戒を滲ませながら、チヨに問いかける。
これまで幾度となく言葉も拳も交わした仲だが、今回は配信前……それも、悪魔の本拠地と目される山の麓での遭遇だ。
加えてチヨの纏う雰囲気も普段の仮面を被った様子ではなく、しかしこれまで見て来た仮面の裏側ともどこか違う。
今の彼女は……そう、妙に穏やかだった。
「ここまで来た貴女に伝えておこうと思ってさ。もしかしたら──少しの間、貴女と会う事も無くなるかもしれないし」
「それは、どういう意味ですか?」
「ま、行けば分かるよ。頂上、目指すんでしょ?」
チヨの確認に無言で頷きを返すと、彼女は「やっぱり」と言いたげな表情で続けた。
「今から伝えるのは、警告。……まぁ、貴女も薄々感づいてると思うんだけど──」
そこで言葉を区切ったチヨは周囲を警戒した素振りを見せた後、私の耳元で囁いた。
「──ヴィオレットちゃん。貴女、悪魔のリーダーに狙われてるよ」
「ッ!?」
……正直、前から考えていた事だった。
チヨが以前口を滑らせかけた時から、私の胸の内に薄っすらあるしこりのような感覚。
彼女達にとって、私と言う存在はただのダイバー以上の何らかの意味を持っている……
(外れて欲しい予感ではあったが、そうもいかないようだな)
「……私が狙われているという事について、具体的にどういう事か説明を求めます」
『狙われている』だけでは、それがどういう意味での発言かは分からない。
命を狙われているのか、身柄を狙われているのか……それとももっと、別の意味なのか。
こう見えて秘密主義のチヨの事、正直まともな返答は期待していなかったのだが──
「良いよ。私の知る限りは教えてあげる」
「!?」
チヨは意外にも私の言葉に頷いた。
「──と言っても、私も完全に把握できている訳じゃない。だから、もしかしたら間違った情報も混じってるかもって事は頭に留めておいて」
「……はい」
「あともう一つ──本当にまだ配信は開始してないんだよね?」
どうやら第三者に聞かれる事を警戒しているのだろう。
念入りな彼女の確認に頷くと、チヨは再び周囲に視線を巡らせた後……私にだけ聞こえるよう、小声で話し始めた。
「……先ず、悪魔のリーダーは貴女の事をずっと監視してる」
「!? 一体、どうやって……」
「──配信だよ。リーダーは配信で貴女をずっとマークしてた。多分、今日の配信もアイツは見る」
「な……っ!?」
チヨから齎された情報に息を飲むと同時に、何故彼女が私が配信前である事を念入りに確認したのか理解した。
身内の情報を売り渡すという明確な裏切り行為……当然、バレればチヨはタダでは済まない。
どういう理由からかは分からないが、今のチヨはそれ程のリスクを払って私に警告をしているのだ。
(それにしても、『アイツ』か……)
自分達のトップだというのに、チヨはその存在を憎々しげにそう呼称した。
その事から彼女がそのリーダーをどう思っているのかはひしひしと伝わって来るが、私はチヨがそんな感情を抱くに至った経緯よりも先に気になる事があった。
「『ずっと』と、言うのは一体いつから……?」
「言葉通り、ずっと──初配信の頃からだよ」
「なっ……! なんで、そんな最初から!?」
正直ゾッとしない話だ。
悪魔のリーダーは私が配信を始める前から、私の存在を知っていたというのか……
(く……っ、なんだ……? 頭が痛い……!)
私が思っているよりも強いストレスがかかったのだろうか。頭がズキズキと痛みを訴えて来る。
一方的に存在を知られている不気味さ、その上で何かしらの計画の中心に勝手に据えられている不愉快さ……様々な悪感情に苛まれながらも、私はそのリーダーの正体をチヨに尋ねた。
「一体誰ですか。その、悪魔のリーダーとやらは……」
「……今、彼女が何て名乗ってるのかは分からないけど、肩書は知ってる。彼女は──」
「──ダイバー協会の会長……!?」
ダイバー協会会長と言えば、地上でも国境を跨いで大きな発言力を持つ大人物だ。
そんな大物が悪魔に取って代わられていると言う衝撃に、思わず言葉が詰まる。
(……いや、違う。取って代わられたんじゃない! もしかして、彼女は──)
「悪魔のリーダーは、ずっと昔からダイバー協会のトップで堂々と活動していたんですか……?」
「うん。私も人間界の情報は最近まで知らなかったんだけど、話を聞く限り彼女が作り出したみたいなんだ。ダイバー協会は。……昔は『探索者協会』って名前だったらしいけどね」
詳しく聞いたところ、彼女もこの事実は最近知ったようだ。どうやら配信でリスナーから情報を得たり、ダイバーと絡んで人間界の事情を知る内、彼女の知る悪魔のリーダーの人間界の立場について理解したのだという。
その瞬間、配信前の段階から悪魔のリーダーが私を捕捉できた理由が分かった。
ダイバー登録の際の書類、そして腕輪によって計測されたステータスだ。数日程度だが、デビュー前の段階で私を捕捉する術は確かにあったのだ。
(──っ! 待てよ、ダイバー協会の会長が最初から悪魔だったのなら、まさか──ッ!?)
「あの……もしかして、この『腕輪』を作ったのは……?」
「……うん、リーダーだよ。詳しい事は知らされてないけど、計画に必要だって言ってた」
──なんてことだ……!
最初の頃、私はこの腕輪の機能──特に『スキル』の効果に舌を巻いた。
最適な動きを装着者に瞬時に理解させ、理想的な動きを補助する為に各筋肉にピンポイントに作用する強化魔法……この繊細な術式をアイテムに埋め込むという常人離れした芸当も、悪魔によるものだというのであれば納得がいく。
どういう計画なのかは知らないが、この腕輪が世界に広がってどれくらいの年月が経っただろう。
今や世界各国のダイバーがこの腕輪を身につけ、ダンジョンに潜っている。
計画の内容によっては、この腕輪を着けている事自体がリスクだというのに……
(悪魔の計画を阻止するためには、リスクを承知で腕輪を着けていないと話にもならない……!)
そう。ダイバーが比較的安全にダンジョンを攻略できるのは、この腕輪あっての事だ。
私に限って言えばその限りでは無いが、それ以外のダイバーはこの腕輪が無ければ大幅に弱体化し、更にダンジョンに潜る際の命綱まで失う事になる。
悪魔の計画が人間社会の根底にあるダンジョン産業に絡んでいる以上、このジレンマは切り離せないのだ。
……しかし、一つだけ疑問が残る。
「何故、悪魔のリーダーは人間にわざわざダンジョンを攻略する力を与えたんですか……? ダンジョンが攻略されるなんて、悪魔側にとってメリットなんて無いでしょう?」
先程考えた通り、この腕輪はこの世界において人類文明の発展に大きな影響を与えた。
ダンジョンから多くのトレジャーが比較的安全に獲得できるようになり、それによってダイバーの装備や医療、建築技術にインフラ施設等、多くの分野で貢献して来たからこそダイバー協会は世界に対して大きな発言力を持つに至ったのだ。
人類にとって百利あって一害なし……そんな世紀の大発明こそが、この腕輪だった筈なのだ。
その事について尋ねると、チヨは難しい表情で答えた。
「……正直、それについては知らないんだ。腕輪が作られる過程も構造も知らないし、多分リーダー以外はその本当の存在理由も知らないと思う。だけど、アイツは人間が強くなる事を望んでて──」
そこで僅かに言葉を詰まらせたチヨの表情が、私は妙に気になった。
(──なんて、悲しそうな顔をするんだ……)
「……それは多分、全部あの方を──『魔王』を起こす為なんだと思う」
「ま、魔王……?」
唐突に飛び出したその言葉に、思わず呆気に取られる。
いや……主にゲームの中でしか聞かない名称ではあるが、魔物の、或いは悪魔の王と言う意味でならおかしくはない。しかし──
(何と言うか、急に眉唾な話になって来たような……)
とは言え、チヨの表情は真剣そのものだ。当然、冗談などではないのだろう。
私はひとまず、その魔王について確認する事にした。
「その魔王と言うのは、どういうものなんでしょうか……悪魔のリーダーとは違うんですか?」
悪魔にとってリーダー=王ではないのか。私にとっては、そんな簡単な考えからの問いかけだった。
……だが、事情はもっと複雑だったようだ。
チヨは何かを整理するように数秒程瞑目し、やがて恐ろしい事を口にした。
「……この魔窟の王、って言うのが昔の意味だったんだけど、今のあの方に求められているのはそんな役割じゃない。分かりやすく言えば……『爆弾』かな。自ら眠りに就いたあの方が目を覚ましてしまえば、その瞬間この世界は──人間の世界はひっくり返る。アイツはそれを望んでる」
それはまさに、文字通りの爆弾情報だった。




