第136話 人鬼戦争①
「おまたせ~! ごめん、遅れちゃった!」
渋谷の某所にて、若い女性が慌てた様子で待ち合わせのビルへと駆けていく。
彼女の声に気付いた待ち合わせ相手らしき同年代の女性は、視線をスマホから女性の方へと移して微笑むと明るい調子で返事をする。
「大丈夫だよー! なんかあったの?」
「そうなの、電車が遅れてて……」
「あ~……それは仕方ないね。切り替えてこ!」
「うん! ……あれ? なんかここ、今日は雰囲気違うね?」
少し乱れた息を整えていた女性が違和感に気付き、何事かと周囲を見回すと、待っていた方の女性が待ち合わせの目印にしていたビルの方を示して答えた。
「気付いた? なんか今日ここのビル閉まってんだよね。あたし初めて見たかも。ここにシャッター降りてんの」
「へぇ~……──あれ? ここってダンジョンもあるビルだったよね? 何かあったのかな……」
「まーあたし達とは無縁だし、そんな事は良いじゃん! 早く行かないと限定スイーツ売り切れちゃうよ!」
「あ、うん! そうだね!」
自身がダイバーではなく、またダイバーの配信にもあまり興味の無いこの女性達にとって、このビル──ダイバー協会本部は、都会の中でも目立つランドマークの一つでしかない。
抱いた違和感や疑問は直ぐに頭を離れ、彼女達は彼女達の日常を今日も謳歌する為に駆けていくのだった。
──自分達が居たそのシャッターと防音ガラスを隔てた先で、今まさに非日常の戦いが繰り広げられている事も知らずに……
◇
日常から区切られた密室と化した渋谷ダンジョンロビーにて、ゴブリン達とダイバー達の激戦が繰り広げられていた。
「──ギギッ!」
「飯テロ! そっち行ったで!」
「了解、引き受けた! 慧火-Fly-、左の一団任せて良いか!?」
「問題ない。アシスト頼む、火羅↑age↑」
「火羅↑age↑、いつもの魔法は使えないから気を付けろよ!」
「う、うん……!」
際限なくダンジョンから溢れて来るゴブリン達の勢いは衰える気配も無く、ダイバー達は圧倒的な数の差を前にそれでも連携を活かして何とか戦線を維持していた。
万が一このゴブリンの一体でも彼等の包囲を突破して街中に出てしまう様な事があれば、それだけで渋谷は大パニックに陥る事になるだろう。
もはや都心の平穏を守っていると言っても過言ではないこの戦いにおいて、現在最も貢献をしているのは、怒濤の勢いで押し寄せるゴブリンを蹴散らしながらダンジョンの入口へ一人切り込んでいる春葉アトだった。
「どいたどいたぁ! ──【スピンスラッシュ】!」
今回の地上戦において彼女に任せられた役割は、ダンジョンから溢れる魔物の数を抑える事。その為に戦線を他のダイバーに任せ、彼女は一人ダンジョンに飛び込む。そして──
「皆ぁ! そっちはよろしくね! ──【騎士の宣誓】!」
ダンジョンの中で彼女が発動したスキルによってゴブリン達のヘイトを一身に受ける事で、新しく外へと溢れ出すゴブリンの波は一気に減少した。
「! アトさんが宣誓スキルを使用した! 急いでこの場のゴブリンを殲滅して、応援に向かうぞ!」
「オォーーーッ!!」
この一連の流れは事前の打ち合わせでも決定されていた動きだった為、ダイバー達は迅速にこの状況の変化に対応出来たが、ゴブリン達はそうは行かない。突然絶たれた増援と、ダイバー達の劇的な動きの変化について行けずに動揺が広がっていく。
まさに一転攻勢と言わんばかりに、守る戦いから殲滅戦へと移行したダイバー達の勢いは凄まじく、増援が絶たれたゴブリン達には到底太刀打ちできるものではなかった。
際限のない増援で押していたゴブリン達の戦線は徐々に徐々にとダンジョンの方へ押し戻されていき──
「コイツで最後だ!」
「ギアァ……ッ!!」
それから1分も経たぬ内に地上に溢れたゴブリン達は掃討された。
周囲を油断なく見回したKatsu-首領-が、他のダイバー達に呼びかける。
「隠れているゴブリンはいないな!?」
「おう! 一匹残らず始末したったわ!」
「私も確認しましたが、問題ありませんでした! 行きましょう!」
「良し! 陣形を維持しつつ、前衛から突入だ!」
「オォーーーッ!」
ダンジョンに突入する前の最終確認として、魔力による探査で討ち漏らしが無い事を確認したヴィオレットがゴーサインを出し、Katsu-首領-の号令で一斉にダンジョンへと突入した。
足を踏み入れたダンジョンの入り口付近には魔物は居なかった。
恐らく周囲のゴブリン達を殲滅した春葉アトが【ノブレス・オブリージュ】の効果時間を無駄にしない為に、そのまま戦線をダンジョンの奥へと押し戻しているのだろう。遠くの方からゴブリンの絶叫と、時折スパークの様な光が瞬いているのが見えた。
先にダンジョンに突入した前衛組は互いに目配せをして頷き合うと、ランプを腰に取りつけてからその音と光の元へと駆けていく。
「──お? 来たね皆。地上はもう大丈夫?」
「アンタ、春葉アト言うたか? 噂には聞いとったけど、流石に頭一つ抜けとんなぁ! この数一人でここまで押し戻したんか!」
「これでも一時は『最強』なんて呼ばれてたからね~! カッコ悪いとこ見せらんないでしょ? ──【フルスイング】! からの……──【レイ】!」
「「「「「ギャアァァーーーッ!!」」」」」
追いついたティガーの評価にそう返事をしながら、春葉アトは右手一本で振るうハルバートの連撃でゴブリンの戦線を吹っ飛ばす。
そして追撃に左手から貫通力の高い光魔法を放ち、通路に犇めくゴブリン達を纏めて薙ぎ払った。
恐らくバフの影響を受けているのだろう。本来であれば指先程度の細い光線を放つ光魔法である【レイ】だが、彼女の放つそれは手のひら程の太さのレーザーに変化していた。
明らかに威力も大きく向上しているそれを見て、同じ光魔法を持つダイバーをクランの仲間に持つダイバーが感嘆のため息を漏らす。
「高性能のバフスキルに加え、物理と魔法の複合戦闘……それが最強と名高い『パラディン』の力ですか。確か回復魔法も扱えるとか……」
「はぁ~……そら関西でも真似しようとする奴が出る訳や。一人で何でもできるやん」
「自分で言うのもなんだけど、バフがかかってる時は負ける気しないかなぁ? そんな訳で悪いんだけど、このバフが切れるまではあたしが戦線を押し戻すって事で! ──【レイ】!」
「「「ゥギィィーー!!」」」
真っ直ぐに洞窟の奥へと突き進むレーザー状の光魔法がゴブリンの群れを蹴散らし、波を割るように一本の道を拓く。
すると春葉アトは周囲の返事も聞かずに全力でその道へと身体を滑り込ませ、洞窟の奥を目指して一人駆けだした。
「ギギッ!?」
脇をすり抜けられたゴブリン達が一瞬呆気に取られた後、春葉アトの向かった先を目で追うが……既に遠くなっていたその背中を確認すると、直ぐに追撃を諦めて視線を目の前の標的へと戻した。
「ググギ……? ──ギッヒッヒ……!」
「おぉん? 何やその眼ェ……まさか、ウチらならやれるとでも言いたいんか?」
どこか嘲る様な視線と神経を逆なでるような不快な笑みを向けられたダイバー『ティガー』は、内心の怒りを隠す事もせずに自身の相棒──サーベルタイガーの牙を思わせる、白く反り返った双剣を抜き放つ。
そして、同年代の女性と比べてもなお小柄な体躯を更に屈めて四足獣の様な低い姿勢になると、抜き放った双剣を下段に持つと、まるでクラウチングスタートの様な独特の構えを見せる。
傍に並び立つダイバー達も各々の武器を構え、彼女同様に臨戦態勢を取っていたが、ティガーのそれは並みいるダイバー達の中にあって一際異彩を放っていた。
「私達も急ぎましょう! アトさんを追うんです!」
「そんなん言われんでもわかっとるわ! 『ナニワの大牙』ティガーがアイツに劣ってない事、トーキョーもんにもしっかり見せつけたる!」
オーマ=ヴィオレットの呼びかけに荒っぽく答えたティガーは、次の瞬間ゴブリン達の腰よりも低い姿勢で、矢のように飛び出した。




