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8.どうか、笑って。

これにて、第4章完結。

(*‘ω‘ *)









 ティローは無言で、ひたすらに走り続けた。

 深い森の中。自らの故郷であるエルフの村を目指して……。






 今からもう、数十年も前のことだ。

 一人の女性がいた。



 彼女は朽ちていく村の象徴を見て、悲しんでいた。

 ティローにとって、それはとても心が痛む姿。何故ならその女性の笑顔は、いつも村のみんなを幸せにしていたから。彼女の笑顔があったからこそ、この村の平穏は保たれていた。大袈裟かもしれないが、少なくとも彼にとっては真実だ。



 そんな女性の笑顔が失われたのは、経典の修繕が失敗に終わってから。

 古代エルフ文字の誤りによって溢れ出した呪いが、彼女の心を蝕んだのだ。そうして、その女性――エリザの顔から笑みは失われた。


 それ以来、ティローを含めて。

 エルフの村の人々が、心の底から笑っているのを見たことがない。


 あるいは、誰もがそれを避けているのかもしれなかった。

 あの子の悲しみをよそに、笑うなどできない。


 呪いとは伝播するものである。

 誰もが心に傷を抱えて、生きるようになってしまった。







「あぁ、ティロー……戻ったのか?」

「ただいま戻りました。長老」



 ティローを迎えたのは、一人の年老いたエルフだった。

 彼は青年を見ると、まるで我が子を迎えるように抱きしめる。そしてふと、その腕に抱かれている一冊の本を見るのだった。



「おぉ……。そ、それは……!」



 震える手で、それを受け取る。

 長老はティローを見て、どこか緊張した面持ちでこう訊いた。



「今度こそ、信じてもよいのか……?」――と。



 忌まわしき過去。

 それを経験してもなお、人間を信じてよいのか。

 ティローと心を同じくしていたのだろう。だからこそ――。



「長老。私は――」




 他の村人たちが集まってくる。

 それを見てから、ティローは深呼吸一つ。口を開いた。




「私はいま一度、信じたいと思っております」――と。












 自分のせいだと、エリザは己を呪う。

 家の中に引きこもり、食事もろくに摂らず。エルフ故の緩やかな時の流れに、身を任せて死を待ち続けていた。それこそが、自分には相応しい末路だと信じて。



「あぁ、どなたでしょう……?」



 そんな変り映えのしない日々の中。

 いつ以来だろうか、玄関のドアを叩く者があった。それは、



「エリザさん。お久しぶりです、ティローです」



 ずいぶんと、懐かしい名前だ。

 彼は中に入ることなく、扉越しにエリザに語りかける。



「少しでもいい、窓の外を見ていてほしい。そして、出来ることならば大樹を真っすぐに、目を離さずに見続けていてほしい」――と。



 その言葉に、エリザは息を呑んだ。

 この青年はなんと、酷い提案をするのだろうか、と。

 思わず耳を塞ぎそうになった。だが、それより先に彼は言った。



「これは、貴方から教えていただいたことです。エリザさん」

「え……?」



 静かに。しかし、どこか笑っているような声で。



「誰かを信じることは、きっと美しい。そして――」



 昔の彼女に、思いを馳せるようにして。




「それはおそらく、生きとし生けるものが繋がるための、唯一の手段です」




 そして最後に、ドアの隙間から一枚の紙が差し込まれた。

 ティローはその場を後にしたのだろうか。


 エリザはおもむろに立ち上がり、その紙を拾い上げた。

 すると、そこにあったのは――。




「ローンド……さん?」




 あの修繕師から、彼女へのメッセージだった。




『エリザ様。


 あれから、長い時が流れました。

 あの当時の私はとかく、不勉強で、己を過信した未熟者でした。

 それ故に、貴女を深く悲しませてしまった。その後悔は、年老いて死を待つ身になった今なお、心に残り続けています。


 ある者から、私の修繕が失敗だったと聞かされました。

 おそらくは貴女を想う少年だったかと。


 その日以来、私は償うためには何をすればいいか、それを考え抜いた。

 しかし時の流れとは、残酷です。進むことはあっても、戻ることはない。


 だけど、唯一それに逆らえる手段がありました。

 そしてそれは、私たち修繕師にしかできないことだと、確信したのです。


 幸いなことに、私などよりも優秀な子がいます。

 いつかきっと彼が、私の遺志を継いでくれると信じています。



 だから、どうか――』





 その時だった。




「………………!」




 窓の外から、眩い輝きが差し込んだのは。

 エリザは慌ててカーテンを開き、そして目を見張るのだ。



 彼女の手から、ローンドの手紙が落ちる。

 そこに書かれていた最後の言葉。



 それはきっと、あの青年修繕師が生涯に渡って願ったこと。




『どうか――いつかのように、花のような笑顔を見せてください』




 エルフの村。

 その中央にある大樹の枝という枝に、桃色の花が咲き乱れていた。

 まるで、今までの悪い出来事を洗い流すかのように。



 美しかった。

 それ以上の言葉が、思い浮かばなかった。




「エリザさん……!」




 大樹に見惚れる彼女に、遠くから声をかけるティロー。

 晴れやかな笑顔が浮かんでいた。



 それを見て、エリザは――。




「…………あぁ」




 小さく息をついて。

 熱く込み上げるものを抑えることなどなく。






 ただ、以前のように。

 咲き誇る桃色の花びらの美しさに負けない、満開の笑顔を浮かべたのだった。





 


https://book1.adouzi.eu.org/n8617gv/

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― 新着の感想 ―
[良い点] 更新お疲れ様です(◍•ᴗ•◍) [一言] さ、桜だぁぁぁぁぁっ!(ぶっちゃけ前回の「満開の」の辺りで日本人的感性と大樹に花が咲くという発想で予測できてた) この流れから次の話ハードル上が…
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