8.どうか、笑って。
これにて、第4章完結。
(*‘ω‘ *)
ティローは無言で、ひたすらに走り続けた。
深い森の中。自らの故郷であるエルフの村を目指して……。
今からもう、数十年も前のことだ。
一人の女性がいた。
彼女は朽ちていく村の象徴を見て、悲しんでいた。
ティローにとって、それはとても心が痛む姿。何故ならその女性の笑顔は、いつも村のみんなを幸せにしていたから。彼女の笑顔があったからこそ、この村の平穏は保たれていた。大袈裟かもしれないが、少なくとも彼にとっては真実だ。
そんな女性の笑顔が失われたのは、経典の修繕が失敗に終わってから。
古代エルフ文字の誤りによって溢れ出した呪いが、彼女の心を蝕んだのだ。そうして、その女性――エリザの顔から笑みは失われた。
それ以来、ティローを含めて。
エルフの村の人々が、心の底から笑っているのを見たことがない。
あるいは、誰もがそれを避けているのかもしれなかった。
あの子の悲しみをよそに、笑うなどできない。
呪いとは伝播するものである。
誰もが心に傷を抱えて、生きるようになってしまった。
◆
「あぁ、ティロー……戻ったのか?」
「ただいま戻りました。長老」
ティローを迎えたのは、一人の年老いたエルフだった。
彼は青年を見ると、まるで我が子を迎えるように抱きしめる。そしてふと、その腕に抱かれている一冊の本を見るのだった。
「おぉ……。そ、それは……!」
震える手で、それを受け取る。
長老はティローを見て、どこか緊張した面持ちでこう訊いた。
「今度こそ、信じてもよいのか……?」――と。
忌まわしき過去。
それを経験してもなお、人間を信じてよいのか。
ティローと心を同じくしていたのだろう。だからこそ――。
「長老。私は――」
他の村人たちが集まってくる。
それを見てから、ティローは深呼吸一つ。口を開いた。
「私はいま一度、信じたいと思っております」――と。
◆
自分のせいだと、エリザは己を呪う。
家の中に引きこもり、食事もろくに摂らず。エルフ故の緩やかな時の流れに、身を任せて死を待ち続けていた。それこそが、自分には相応しい末路だと信じて。
「あぁ、どなたでしょう……?」
そんな変り映えのしない日々の中。
いつ以来だろうか、玄関のドアを叩く者があった。それは、
「エリザさん。お久しぶりです、ティローです」
ずいぶんと、懐かしい名前だ。
彼は中に入ることなく、扉越しにエリザに語りかける。
「少しでもいい、窓の外を見ていてほしい。そして、出来ることならば大樹を真っすぐに、目を離さずに見続けていてほしい」――と。
その言葉に、エリザは息を呑んだ。
この青年はなんと、酷い提案をするのだろうか、と。
思わず耳を塞ぎそうになった。だが、それより先に彼は言った。
「これは、貴方から教えていただいたことです。エリザさん」
「え……?」
静かに。しかし、どこか笑っているような声で。
「誰かを信じることは、きっと美しい。そして――」
昔の彼女に、思いを馳せるようにして。
「それはおそらく、生きとし生けるものが繋がるための、唯一の手段です」
そして最後に、ドアの隙間から一枚の紙が差し込まれた。
ティローはその場を後にしたのだろうか。
エリザはおもむろに立ち上がり、その紙を拾い上げた。
すると、そこにあったのは――。
「ローンド……さん?」
あの修繕師から、彼女へのメッセージだった。
『エリザ様。
あれから、長い時が流れました。
あの当時の私はとかく、不勉強で、己を過信した未熟者でした。
それ故に、貴女を深く悲しませてしまった。その後悔は、年老いて死を待つ身になった今なお、心に残り続けています。
ある者から、私の修繕が失敗だったと聞かされました。
おそらくは貴女を想う少年だったかと。
その日以来、私は償うためには何をすればいいか、それを考え抜いた。
しかし時の流れとは、残酷です。進むことはあっても、戻ることはない。
だけど、唯一それに逆らえる手段がありました。
そしてそれは、私たち修繕師にしかできないことだと、確信したのです。
幸いなことに、私などよりも優秀な子がいます。
いつかきっと彼が、私の遺志を継いでくれると信じています。
だから、どうか――』
その時だった。
「………………!」
窓の外から、眩い輝きが差し込んだのは。
エリザは慌ててカーテンを開き、そして目を見張るのだ。
彼女の手から、ローンドの手紙が落ちる。
そこに書かれていた最後の言葉。
それはきっと、あの青年修繕師が生涯に渡って願ったこと。
『どうか――いつかのように、花のような笑顔を見せてください』
エルフの村。
その中央にある大樹の枝という枝に、桃色の花が咲き乱れていた。
まるで、今までの悪い出来事を洗い流すかのように。
美しかった。
それ以上の言葉が、思い浮かばなかった。
「エリザさん……!」
大樹に見惚れる彼女に、遠くから声をかけるティロー。
晴れやかな笑顔が浮かんでいた。
それを見て、エリザは――。
「…………あぁ」
小さく息をついて。
熱く込み上げるものを抑えることなどなく。
ただ、以前のように。
咲き誇る桃色の花びらの美しさに負けない、満開の笑顔を浮かべたのだった。
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