4.兄弟の終着点。
「ノア様、春になったとはいえまだ冷えます。……今日はこのくらいに」
「いやいや。まだ、もう少しだけ頼む」
「……分かりました。仕方ありませんね」
亡き妻の残した庭園を眺め、ノアは穏やかに微笑んだ。
臣下の者も、そう言われては仕方ないと苦笑する。そして数歩下がった場所から、幸福な思い出に浸る主の姿を見守っていた。
ノアには、もう妻も息子もいない。
それでも彼の周りには、彼を慕う人々が大勢いる。
「今年は、どのような花が咲くだろうか。楽しみだ」
庭園に育つ花々はまだ、蕾のままだった。
もうじき開いてくれるのではないか。そう考えて眺めるのが、数年前から春先の日課になっていた。穏やかな風に吹かれて、草木が揺れる。
そんな光景を見て、ふとノアは王都にいた頃を思い出した。
「あぁ……兄上とはよく一緒に、庭先で駆け回ったな」
袂を分かたれたあの日から、いくつの季節を巡っただろう。
自分と兄は春になると、決まって王城の庭を走った。運動神経についてはノアの方が優れており、たびたびに現陛下を涙目にさせていたように思う。
だが、もうあの頃のように走ることはできなくなった。
兄弟の再会もまた、叶うことがないのだろう。
そう、思った。
「……ふむ。その当時とは比べられぬほど、老いぼれたようだな」
「その声は……?」
その時だ。
しわがれてこそいるものの、懐かしい温もりを思わせる声がしたのは。
ノアは驚きながらも、ゆっくりと立ち上がって振り返った。すると、そこには――。
「兄上、なのですか……?」
「互いにずいぶん、老け込んだものだな。ノアよ」
想像もしていなかった兄の姿。
数名の護衛を連れ立って、国王は柔和な笑みを浮かべていた。そこにあるのは、間違いなく幼き日々を共に過ごした悪戯っぽい少年の面影。
驚きから、次第に確信へと変わるにつれて歓喜が込み上げてくる。
ノアは思わず目頭を熱くして、手でそれを覆うのだった。
「おぉ、これではまるで昔と逆だな。歳を取って涙腺が緩んだか」
「はははは……間違いない。その嫌味な口振りは、間違いなく兄上です」
国王は優しく弟の頭を撫でる。
そして、ふと手入れの行き届いた庭に目をやって……。
「あぁ、なんと素晴らしい」
そこには嫌味などなく、あるのは純粋な敬意。
彼は微笑み、ノアに告げるのだった。
「きっと心の美しい者によって、作られた場所に違いないな」――と。
それはノアの亡き妻への賛辞。
屈託なく、無垢なまま、思い出に刻まれた彼女への称賛だった。
「えぇ、もちろんです。……私が愛した女性ですから」
「なるほど。それは、当然だな」
ようやく訪れた時間。
老爺二人が庭先で、そう言って笑い合う。
そんな彼らを誰かが木陰から、見守っているようにも思えた。




