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10.雪はとけて、春へと向かう。

次回から、エピローグ予定。









 ボクの顔を見て、父さんは少し唖然としている様子だった。

 おそらく、まったくの想定外だったのだろう。口を中途半端に開いたままこちらを見つめるばかりで、何も言葉を発することができないでいた。

 そんな彼に、ボクはこう訊ねる。



「近くに、行っても良いかな?」

「あ……あぁ、構わない」



 すると父は呆気にとられつつも、そう答えた。

 答えを聞いて、ボクはベッドの向かいに置かれていた椅子へと腰かける。それでちょうど、父さんと真正面から向き合う形だ。相手はどこか逡巡している様子だが、逃げはしない。

 そのままの位置で、しかし目は合わせられないのか。

 ほんの微かにうつむいてしまった。



「……体調は、大丈夫?」



 ボクは何も言わない父に、そう訊ねる。

 すると、とてもか細い声が聞こえた。



「…………は、大丈夫なのか」

「え……?」



 上手く聞き取れなかったので、小首を傾げる。

 そうしていると、父さんはちらりとこちらに視線をやりながら言った。



「ミラから、聞いた。……お前も、倒れたと」

「…………あぁ、そのことか」



 必死に絞り出した声。

 その内容に、ボクはしばし考えてから苦笑した。

 どうやらボクの近況については、母さんから少しだけ聞いているらしい。それはまぁ、息子が倒れたとなったら、言わないわけにはいかなかっただろう。


 ただ、いまここで思う。

 父さんは決して、ボク自身のことが嫌いなわけではないのだ、と。

 もし嫌っているのだとしたら、部屋に入ることを許しはしない。まして体調を訊ねることもなかったはず。だとしたら、きっと――。



「うん、ボクは大丈夫。……ねぇ、父さん?」

「………………ん?」



 ボクは慎重に言葉を選びながら、こう続けた。




「ボクね、色々な『家族の形』に触れてきたんだ」――と。




 それは、修繕師の仕事を通して知った人々のことだった。



「どんな家族にも、その家族なりの問題があってさ。ある女の子は危篤のお母さんのため、ある父親は大切な娘のため、そして新しく家族になる二人は互いのために。亡き息子さんとの絆を確かめることもあれば、感謝を伝えることの大切さや、素直になることの素晴らしさも知ったよ」



 ボクはゆっくりと、相手が聞きやすいリズムを心がけて。

 一つ、そこで言葉を切った。



「…………ライル……?」



 すると父さんは、不思議そうにこちらを見る。

 そんな彼に向ってボクは、ずっと伝えなければならなかった言葉を口にした。



「ねぇ、父さん。あのね――」



 緊張する。きっと、初めての修繕の依頼を請け負った時よりも。

 それでもボクは、しっかりとこう告げたのだ。




「――ずっと。今までずっと、ありがとう」

「え……?」




 その『想い』とは、感謝に他ならない。

 声にして、伝えなければ意味のないもの。そして、ボクはそれを怠ってきた。そう考えたら自分は、なんという親不孝者なのだろうか。

 子の心親知らずなら、きっと逆もまた然り。

 だったら、なおのこと言葉にして伝えなければ意味がなかった。



「父さんはボクのことを自分なりに考えて、育ててくれていた。それなのにボクは反発してばかりで、ちっとも耳を傾けようともしなかった。父さんの気持ちに、寄り添おうともしなかったんだ」



 そして自然、次にでてきたのは反省の弁。

 自分がいかに馬鹿だったのか、と。そう考え、口にすると――。



「……いいや。それはたぶん、私もだ」

「父さん……?」



 父がその言葉の間に、割って入ってきた。

 ボクは意外に思って口を噤む。そして、しばらくの間を置いてから、



「私の方こそ、ライルの気持ちを理解していなかった。自分の中にある父への感情をお前に押し付けて、自分の思い通りにしようとして、それが正しいと信じて疑わなかった」

「………………」



 とつとつと、彼は静かに語り始めた。



「だけど、違う。ライルにはライルの人生がある。私にとってもそうだったように、きっとあの人――父にとっても、そうだったに違いなかった。私はそれを理解していたのに、その理解から目を背けて、ずっと拒絶をし続けた。そのことに、自分の仕事を終えてから気付いたんだ」



 まるで、何者かに救いを求めるように。

 声も拳を震わせて、少しずつ呼吸を乱しながら。



「そして、怒りの矛先を『修繕師』という生業に向けた。修繕師という仕事を馬鹿にして、下に見ることで心の安寧を保とうとした。でもそれは歪んでいて、倒錯していて、何よりも私が本来抱いていた『憧れ』とは程遠い感情で……だけど、憎くて仕方なかった。私は……!」



 そうやって早口でまくし立てた父さんは最後、すべてを吐き出すように言った。





「父親を『修繕に取られた』気がして、仕方なかったんだ……!」――と。





 それが、きっと父さんのずっと抱えてきた本当の声。

 でもそれはきっと、まだ一端に過ぎない。

 だからボクは、こう訊ねた。




「父さん。父さんはいったい、本当は何がほしかったの?」




 それはきっと、アーシャがボクに向けたような言葉で。

 ボクの問いかけに父はハッとした表情を浮かべ、大粒の涙を流し始めた。






「私は――」






 そして、口にしたのは……。







「私はただ一緒に、家族みんなで一緒に過ごしていたかった」

「……………………っ!?」








 あまりに、愛おしい願い。

 それを耳にした瞬間、ボクは泣きじゃくる父を抱きしめていた。

 ずいぶん痩せ細ってしまった身体をぎゅっと、自身の震える腕で包み込むのだ。すると自然に涙が込み上げてきて、ボクは父さんにもたれ掛かるように両膝をついた。

 そうして今度は、彼の胸に顔を埋めて。

 幼少期にもしたことがないような形になって、泣きじゃくった。




「ごめん、父さん……本当に、ごめん……!」




 繰り返す謝罪の言葉。

 それを聞いた父さんは息を呑んで、しかしすぐに――。





「いや、私の方こそ……すまなかった。ライル、本当に――」






 同じように、そっくりな声になって。

 互いに子供なのだろうが、そのことを気にする余裕もないほどで。




 ただ、その言葉だけはしっかりと口にしていた。








「……ありがとう…………!」――と。







 


同じ『想い』と二つの道。

遠回りの末に、たどり着いた一つの道。




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