委員長との接触
その日は、修行のために手伝いを始めたメリーヌさんも一緒に、四人での夕食となりました。
夕食までの時間、メイサちゃんの勉強を見てあげていたのですが、算数が苦手なようで頭から湯気が出そうになっています。
「きぃぃぃ……算術きらいぃぃぃ……ケントのくせに簡単に問題解いちゃうなんて、絶対におかしい!」
「はっはっはっ、あの程度の問題で苦労しているようでは、メイサちゃんもまだまだよのぉ……はっはっはっ」
「きぃぃぃ……ケントのくせに、ケントのくせに、ケントのくせにぃぃぃ!」
メイサちゃんは、僕よりも三つほど年下なので、日本でいうなら小学五年生になるはずですが、計算の問題はもっと簡単なものでした。
日本にいた頃は、落ちこぼれレベルの僕でしたが、この程度の問題ならば解けてあたりまえですよ。
「まったく……計算が出来なかったら、おつりを間違えたりして商売やっていけないんだよ。 仕入れは少しでも良い品物を、少しでも安く仕入れなきゃ店を続けてなんかいけないんだからね、しっかり勉強すんだよ」
「うぅぅ……分かってるよ……」
メイサちゃんが、アマンダさんの後を継いで食堂をやり繰りするには、まだまだ勉強が必要なようですね。
「でも、ケントが、算術が得意とは、意外だったねぇ……」
「そうでしょう、お母さんもそう思うよねぇ……」
「ぐぅ……そんな出来が悪そうな僕よりも出来ないようだと、メイサちゃんの将来が不安ですよねぇ……」
「本当だ、メリーヌが手伝ってくれるようになったから、メイサにはうんと勉強させないとだね」
「きぃぃぃ……ケントのくせにぃぃぃ……」
ふふん、今夜ばかりはメイサちゃんには負けるつもりはありませんよ。
「まぁまぁ、デザートに私の持ってきたジブーラでも食べませんか?」
「食べる、食べる! ねぇ、良いでしょ? お母さん」
「はいはい、分かったよ、ホントにジブーラには目が無いんだから」
修行をさせてもらう挨拶として、メリーヌさんが持ってきたジブーラは、皮が紫色をした少し細長いスイカのような果物です。
香りや味は、柑橘系の甘酸っぱさなのですが、歯触りがスイカです。
「僕の住んでいた国では見ない果物ですけど、もっと暑い時期に採れるように見えるんですけど……」
「ケントの国にはジブーラは無いのかい、そうだよ、採れるのはもっと暑い時期だけど、水に漬けて苦味が取れるのを待ってから食べるんだ」
「へぇ……水に漬けると苦味が取れるんですか……」
「あぁ、水って言っても、ただの水じゃなくて、水属性の魔法で治癒の効果を掛けた水じゃないと駄目だよ」
アマンダさんによると、ジブーラは収穫のタイミング、漬けておく水の良し悪し、それと水から上げるタイミングが重要なんだとか。
収穫のタイミングを逃すと歯触りが悪くなるし、水が悪いと苦味が残る、漬け込みが足りなくても苦味が残って味わいが悪くなるんだそうです。
「これは、歯触りも良いですし、全然苦味も無いから、良いものなんですよね?」
「あぁ、これは良い出来だね、メリーヌ、高かったんじゃないのかい?」
「いえ、これは父が食堂をやってた頃からの仕入先で買ってきたので、高くはないんですよ」
「そうかい、そうした繋がりは大切にするんだよ、あんたが店を再開する時には、また世話になるんだからね」
「はい、いつもとても良くしていただいてるので、折を見て顔を出すようにしています」
僕らが話しこんでいる間も、メイサちゃんはジブーラを咀嚼しています。
普段はちょっと喧しいですが、シャクシャクと夢中で食べている姿はウサギっぽくて可愛らしいですね。
「メイサちゃん、僕の半分食べて良いよ」
「ホントに? ありがとう!」
おぅ……小鬼が天使に化けましたね。
メイサちゃんは、メリーヌさんからも貰って、心行くまでジブーラを堪能したようです。
メリーヌさんが帰宅して、僕も部屋へと戻り、さあ、ここからが忙しくなります。
明日、魔の森での実戦を利用して、同級生を救出しなければなりません。
そのための準備を整えておく必要があります。
フレッドとバステンにも戻って来てもらいました。
『じゃあ、フレッド、明日の事で分かった事を教えて』
『了解……魔の森での実戦に行かされるのは五人……引率の兵士は三名』
『五人は少ないけど、引率が三人も居るのは、ちょっと面倒だね』
『大丈夫……そのうち二名は森の入口までしか行かない……』
フレッドが調べたところによると、引率を務める三名の騎士のうち、二名は馬車の御者役と監視役だそうです。
駐屯地から五人を馬車で魔の森の入口まで運び、そこで馬車は駐屯地に戻ってしまうのだとか。
『ちょっと待ってよ、それじゃあ最初から五人は、魔の森で見せしめのために殺すつもりじゃないの?』
『それに近い……死にたくなければ自分で歩いて戻れ……らしい』
魔物が出ると知っているし、一人ではなく五人、そして、中途半端だけど一応訓練も受けている。
たった一人で、魔物が出る事すら知らされずに放り出された僕に較べれば、まだ生き残れる確率は高いだろうけど、それでも命懸けの行軍をさせられる事に代わりはないよね。
『ケント様、心配は要りませんぞ。 引率の騎士が一人という事は、危険な魔物の襲来は想定しない、つまりは森の奥までは行かないはずですから、救出前に危険な魔物と遭遇する確率は低いでしょう』
『なるほど、一人じゃロックオーガが何匹も……なんて事になったら守りきれないもんね』
『いえ、ケント様、恐らくその騎士には守るつもりなど無いはずですぞ』
『あっ……そうか、自分が無事に逃げる事しか考えていないのか……』
生かして連れて戻す気があるならば、馬車にいた騎士達も護衛として残すはずだよね。
『それと、魔の森でどんな結末を迎えるのか見届ける役なのかもしれませんな』
実戦に放り込まれる人数が五人と少ないのは、全滅しても痛くない人数なのかもしれません。
それならば、僕らはそれを逆手にとって、五人を死んだことにして救出させていただきましょう。
そして、五人ならば、ヴォルザードまでの護衛も楽になるはずです。
『ケント様、ひとまずドノバン殿への報告、そして聖女様との接触を済ませてしまいましょう』
『そうだね、じゃあ、先にドノバンさんから……』
僕は下宿の部屋から影に潜り、ギルドへと移動しました。
ギルドの営業時間は既に終了していて、人が居るのは併設された酒場だけ……と思いきや、カウンターの奥の部屋で、ドノバンさんが一人残って仕事をしています。
明かりの魔道具で手元を照らし、何やら資料を読んでいるようです。
いきなり姿を現したら、問答無用で致命的な一撃を食らいそうな気がするので、声を掛けてから、影の外に出ることにします。
「こんばんは、ドノバンさん、ケントです」
「むっ……実戦は明日なのか?」
「ど、どうしてそれを……」
「こんな時間に、そんな所から姿を現すならば……」
机の影から表に出た僕を見て、ドノバンさんは、ニヤリと笑いました。
「あぁ……確かにそうですよね。 はい、ヴォルザードには二、三日で到着出来るはずです」
「人数は?」
「そうでした、人数は五人だそうです」
「ちっ……本当に見せしめにするつもりか」
「だとしても、先回りして救い出してみせますよ」
「そうだ、敵の先を行け、後手に回るな、受け入れの態勢は作っておいてやる、こっちは気にせずにやって来い」
「はい、ありがとうございます」
「ケント、その影を使った移動は、距離は関係無く出来るのか?」
「はい、一度行った事がある場所なら、距離は無視して移動出来ます」
「ならば、救出が終わった時点で連絡をよこせ」
「分かりました、では受け入れ準備、よろしくお願いします」
ドノバンさんとガッチリ握手を交わして、下宿へと戻りました。
次は、ラストックに居る委員長と連絡を取らないといけません。
委員長との連絡は、手紙を使う予定でしたが、もう手紙を書いている時間がないので、何とか一人の時間を狙って、直接話をするしかありません。
影移動でラストックの駐屯地へ行くと、委員長は既に同級生達の治療を終えて、自分の宿舎へと戻っていました。
委員長の部屋は、『魔眼の水晶』で魔力強と判定された者達が集められている宿舎にあります。
三階建ての宿舎の一階に数名の同級生の個室があり、二階はイケメン野郎の占有フロア、そして、三階が委員長のためのフロアとなっていました。
広いリビングに、豪華なベッドルーム、専用のバスルームにトイレ、そして、世話役のエルナが滞在するための部屋という作りです。
警備は、階段を上がって来た場所に女性騎士が常駐しています。
何か異変があれば、警報を鳴らして知らせるようになっていて、宿舎の一階には複数の騎士が常駐しているそうです。
委員長は、既に夕食を終え、入浴も終えて、ベッドに入る支度を整えていました。
「聖女様、他に御用は御座いませんか?」
世話役のエルナが尋ねても、委員長は言葉どころか視線も向けようとしません。
かつて診察室で手を取り合って喜んでいた二人とは思えない、寒々とした空気が漂っていますね。
「それでは、明朝もいつもの時間に起こしに参ります、おやすみなさいませ」
エルナが深々と頭を下げても、委員長はあらぬ方向を見やっているだけで、反応を返す事はありませんでした。
エルナが滞在する部屋は、委員長の部屋に行くにはリビングを通らなければなりませんが、位置としては壁を一枚挟んだだけです。
しかも、委員長が休むベッドと、エルナが眠るベッドが丁度壁を挟んで並べられています。
この状況で委員長と話をすれば、壁越しに筒抜けになってしまうおそれがありますね。
『ケント様……もう少しでチャンスが来る……』
フレッドの話では、この後エルナは、カミラの下へ報告に出向くそうです。
これは、船山の死後、委員長とエルナの関係が冷え込んで以来の習慣なのだとか。
いずれにしても、僕にとっては好都合です。
『フレッドは、エルナがカミラにどんな報告をしてるか聞いて来て、それと、こっちに戻って来る時には知らせてね』
『了解……』
委員長は、エルナが部屋を出て行ってからも、少しの間表情を緩めずにいましたが、ふーっと大きな溜息を洩らすと、ベッドに腰掛けて両手で顔を覆いました。
「うっ……うぅぅ……」
委員長は声を押し殺して涙を流し、それをドアの向こう側から、エルナが聞き耳を立てていました。
やがてエルナは、足音を立てずにドアの前を離れると、リビングを抜けて、部屋の外へと出ていきました。
どうやら、これからカミラの下へと向かうようです。
『じゃあ、フレッド、そっちはよろしくね』
『了解……』
エルナの監視をフレッドに頼み、ベッドルームへと戻ると、委員長は涙をぬぐって、ベッドに入るところでした。
「委員長……委員長……」
「えっ……誰っ!」
「しーっ、委員長、静かに……」
「……誰? どこにいるの……?」
一瞬驚いて声が大きくなった委員長だけど、すぐに声を潜めてキョロキョロと周囲を窺い始めました。
「最初に言っておくけど、僕は幽霊じゃないからね」
「幽霊じゃない……? はっ、もしかして……国分君?」
「うん、そうだよ、闇属性の魔法が使えるようになって、影の世界を伝って移動できるようになったんだ、今から表に出るけど、良いかな?」
「うん、勿論、大丈夫よ」
委員長から見えるように、月明かりの差し込む窓辺に、ヌルリと影から姿を現しました。
「こんばんは……委員……わぷぅ!」
「良かった……無事で良かった……うぅぅ……」
表に出た途端、委員長に抱きつかれちゃいました。
と言うか、委員長、む、胸がふにゅんって当たってるんですけどぉぉぉ……。
「良かった……カミラが、助かるはずが無いって……生きたまま魔物に食われたって……良かったぁ……」
いや、一度生きたままゴブリンには食われたんだけど、それは言わない方が良いよね。
ようやく落ち着いた委員長に誘われるまま、ベッドに腰掛けて話すことにしました。
それは良いのですが、委員長は薄手の寝巻き一枚です。
「委員長、風邪引くといけないから、何か羽織った方が……」
「うん、そうだね……」
って、委員長、毛布を羽織るのは良いけど、どうして僕まで一緒に包もうとしてるのかな?
そ、そんなに密着されたら、余計に意識しちゃうよ。
「うふっ、国分君、温かい……」
ふぉぉぉぉぉ、委員長からは石鹸の良い香りがして、小首を傾げて見詰めて来る仕草が目茶苦茶可愛くてヤバいです。
「それで、国分君はどうやって助かったの」
「ゴブリンに襲われた時に、無意識に闇属性の魔法を使ってスケルトンを召喚して、彼らに助けてもらったんだ」
「そうなんだ、それからどうしてたの?」
「うん、順番に説明するね」
一人で魔の森へと追いやられてから、今日までの事を委員長に順を追って説明していきました。
闇属性の魔法が使える事、強力なスケルトンを味方にして魔の森を踏破した事、魔の森の向こうは別の国だった事、ヴォルザードに入り込み、下宿に住んで、ギルドで仕事を探して働いている事、領主のクラウスさんに話をして、みんなを受け入れてもらえる約束を取り付けた事などを話しました。
「凄い……国分君一人で、そんな準備までしてくれてたんだ……」
「ううん、僕一人じゃないよ、ラインハルト達が協力してくれたからだよ」
「でも凄いよ、私なんて何にも出来なかった……私がもっと上手く魔法を使えていれば、船山君だって……」
「違う! 委員長のせいじゃないよ、僕だって船山を助けられなかったし、そもそも、あれはカミラ達の責任であって、委員長のせいじゃないよ」
「国分君……ありがとう」
「委員長、それで、今後の事なんだけど……」
闇属性の影移動は救出作戦には使えない事、魔の森での実戦を利用して救出する事、魔の森を踏破する為に、みんなにも強くなってもらいたい事などを伝えました。
「救出作戦を進めるのに、僕は死んだ事になっていた方が都合が良いと思うんだ」
「そうね、カミラ達は、国分君が救出作戦を立てているなんて思っていないものね」
「そう、だから、明日の救出作戦も行われていないと思って演技してね」
「えっ? 明日の救出作戦って……?」
「あれっ? あっ、そうか、委員長は、明日魔の森で実戦が行われるって聞いていないのかな?」
「えぇぇぇ! 明日、実戦が行われるの?」
やはり委員長は実戦の事を聞かされていなかったようで、驚きの声を上げました。
「しーっ! 委員長、声が大きい……」
「ご、ごめんなさい、でも、実戦って……」
「うん、見せしめのために五人選んで実戦に送り込むみたい」
「そんな……まだ実戦なんて無理よ」
委員長の顔から血の気が引いて、腕に震えが伝わってきます。
「大丈夫、心配しないで、必ず五人は助けて、先にヴォルザードに連れていくから」
「ホントに? ホントに大丈夫なの?」
「うん、僕に力を貸してくれている三体のスケルトンは、めちゃくちゃ強いし、僕と同様に影を使った移動が出来るから、全員無事に保護してみせるから任せておいて」
「国分君……良かった……国分君が居てくれて、本当に良かった……」
はうあぁぁぁ……委員長に腕を抱きしめられて、肩に頭をもたれ掛けられちゃって、もう密着度がヤバヤバです。
『ケント様……エルナが戻ってくる……』
『わ、分かった……』
もう、何てタイミングで戻ってくるんだよぉ……
「委員長、エルナが戻って来るみたいだから僕は戻るね。 明日、五人は死んだように偽装して連れて行くから、カミラ達にバレないように上手く演技してね」
「うん、分かった、国分君も気をつけてね」
「うん、じゃあ、また連絡に来るから」
「うん、待ってるね……」
そんなにギューってハグされちゃったら、帰りたくなくなっちゃうよ。
『ケント様……戻って……』
「う、うん……じゃあ……」
フレッドに足を引っ張られるようにして、影の世界へと戻って来ると同時に、部屋の扉がノックされました。
「聖女様、お休みのところ失礼いたします……」
エルナは、委員長の返事も待たずにベッドルームに入って来ました。
委員長は、今まで眠っていたように装いつつ、不機嫌そうな視線をエルナに向けました。
「お休みのところ申し訳ありません、どうしても急いでお知らせしておかなけばならない事が……」
「まさか、また誰かが……」
「いいえ、そうではございません、ございませんが……」
「何なのよ、さっさと言いなさいよ」
おぅ、委員長なかなかの役者ぶりじゃないですか。
いや、ここまでは演技抜きなのかな。
「実は……明日、魔の森で実戦が行われます、人数は五人です」
「そんな! いきなりの実戦なんて、まさか今度は五人も殺す気なの?」
「いえ、決してそんな事は……」
「大体、それを知ったところで私に何が出来るのよ。 何も出来ないって私に思い込ませて、言いなりにさせようって気なんでしょ? そうよ、どうせ私は何も出来ないわよ、笑いたければ笑えばいいじゃないの」
「そんな……私はそんなつもりで知らせたんじゃ……」
「出て行って! 不愉快だから出て行ってよ!」
委員長に枕をぶつけられたエルナは、そっと枕をベッドの端に戻すと、一礼して部屋から出て行きました。
「どうしてよ、何で私たちがこんな目に遭わなきゃいけないのよ……うぅ……うぅぅぅ……」
委員長は、喚き散らした後で、顔を覆って咽び泣いた……ような振りをして、ペロっと舌を出してみせると、機嫌良くベッドへと入りました。
うーん……委員長、かなりの演技派です。 これなら心配無いでしょう。
それでも、委員長の精神的、肉体的な負担は大きいですから、時折ケアをしつつも早めに救出しないといけませんよね。
それにはまず、明日の救出作戦を成功させないといけません。
気合い入れて頑張りますよ。





