第六話:幻想宇宙
美空が考える宇宙のイメージといえば、極寒で宇宙線とデブリがびゅんびゅん飛び交っていて、外に出ればすぐ死んでしまうような、大気の揺りかごに包まれて育った人類には到底住み得ない場所だ、という程度のものでしかなかった。
宇宙を永世中立地域とする国際協定が結ばれて以来、宇宙は未知のフロンティアとして夢とロマンと地球の史料を提供し続けてきた。あまりに過酷な環境に、かつてのSFに描かれたような宇宙植民はコストに釣り合わないと忘れられたものの、いよいよ実現計画が動き出した軌道エレベータの影響で俄かに再興の兆しを見せている。すべてニュースの情報だ。
しかし、実際に宇宙で生まれた人間の存在は、未だかつて報じられたことはない。
「宇宙生まれって……」
美空は言葉に迷うように顔を曇らせて、途切れた言葉を補うように、口を動かす。
「国籍、どこになるの?」
玲花は困った顔をした。生真面目に首をひねって考え込む。
「宇宙は、どこの国にも属さない決まりだから……宇宙人?」
「……いや、普通は親に帰属すると思うんだけど」
詩緒奈のツッコミに二人が手を打ち、同時に上昇をやめたエレベータがティロンと鳴いた。
エレベータの向こうには、複合パネルの大型スクリーンがでかでかと張られていて、ひな壇状の斜面に個人コンソールと管制官が配置されている。美空の位置からはそれぞれの通路やコンソールの画面が邪魔になって、何人どれほどそこに詰めているか、よく見下ろせない。
どうやら司令室らしい。
美空は詩緒奈に促されるようにして、展望台のようなエレベータホールに出た。司令室を一望する。傾斜で分かりにくいが、学校の教室より広い。ちょっとした講演を行えそうな空間だ。エレベータより一段下、背もたれの大きい一番偉そうな席がゆったりと振り返る。白髪を後ろに流し、目尻に微笑の皺を刻む老人が椅子に埋もれるように座っていた。
「よく来たね、榛木美空くん。ようこそ、宇宙研究機関へ」
「はあ」
落ち着いた渋い声だ。優しいお爺さんといった趣きがある。生返事をした美空だが、ようやく彼の言葉を理解した。
「はい!? 宇宙研究機関っ!?」
大声に、驚いたように目を見開いた老人が、声を上げて笑う。
宇宙研究機関といえば、NASAやJAXAと協力しながら独自に宇宙の研究開発を続けている、無国籍独立組織だ。スペースデブリ除去の五十年計画や大規模なスペースコロニーの実験施設など、大胆な活動で成果を上げている組織として、しばしばニュースを賑わせている。
「え、あれ? もしかしてこの秘密基地って」
「我々の日本支部だよ。もっとも、今はほとんど独立して活動しているけどね」
老人はなぞなぞの答えを解説するような、優しく可笑しそうな口調で語る。
まさかニュースでよく見る名前をここで目の当たりにするとは思わず、美空はもう何度目とも知れない現実感の失調を味わっていた。だんだん驚くのが面倒くさくなってきている。
「私はここの所長で、オリハルコン研究主任の老原だ。今はコントロールギアを使った対クラスト戦闘の総指揮を取っている」
「クラスト?」
「我々を襲ってきた、彼らのことさ。甲殻、crustをまとっているようだろう?」
なるほど、と美空は手を打つ。ハサミ怪人は、海老蟹甲殻類怪人でもあった。しかも、その連中に負けまくっている。総指揮官と名乗るのも情けない話だ。
少しずつ状況を呑み込めてきた美空は、疑問が次のステップに進む。
「何度か単語を聞きましたけど……オリハルコンって、何ですか?」
「その話が、我々の核心だよ」
老原は笑って、半分振り返ってコンソールを操作した。よく見るプレゼンテーションソフトが立ち上がり、大きなスクリーンに現れる。ああ、ここでもあのオフィスソフト使ってるのか、と美空は変なところで珍妙な現実感に打ちひしがれる。
画面が切り替わり、写真画像が現れた。白にも近い金色に輝く金属塊が、慎重に台に置かれている。その画像を、何か遠いものを見るように老原は眺めた。
「オリハルコンは、未知の金属鉱物だ。六十年前、地核に程近い溶岩の中で発見された」
「ろく、六十年……?」
「はは。私が君たちほども若かったころだよ。古い話だ。それから研究してすぐに、オリハルコンの極めて特異な特徴が二つ。発見された」
老原はスクリーンから顔を逸らして、美空を見上げた。弛む皺が被る小さく深い瞳は、興奮と確信をにじませた、老いとは無縁の強さを持っている。
「決して砕けず折れず歪まない、しなやかな強さのある金属であること。そして、莫大なエネルギーを蓄積・放射する性質を持っていることだ」
「強くて、エネルギーを、溜める?」
「とはいえ、それを制御することはなかなか出来なかったのだが……まあ、難しい話は置いておこう。親指ほどのオリハルコン一つで、丸一日、日本の電力すべてをまかなうことが出来る。しかし、その電圧や電流を制御することは出来なかった。そういう、特殊な物質なんだ」
老原がコンソールを操作する。スクリーンに現れたのは、発電能力比率のグラフだ。ちびっとした風力発電、地熱発電、燃料電池、太陽光発電。火力発電。それらを大きく引き離して原子力発電。そして、原子力発電の百倍近い塔がグラフに突き立てられた。オリハルコンだ。
「そりゃまた、すごい」
「我々は直ちに、世界中に軍事利用を禁ずる国際条約を求めた。ダイナマイトや原子力と同じ……それ以上の悲劇を生みかねない、発見だからね」
グラフを見るだけで、確かにそれはそうだろう、と理解できた。こんなずば抜けたものが、親指大の一欠けらだというのだ。
ましてや、美空はつい先ごろ、それが悪用された実例を目にした。
クラスト、甲殻。ハサミ怪人は光の玉のようなものでビルを易々と打ち砕き、蹴り飛ばした自動車は軽々と宙を舞った。あんなものが世界中で暴れる情景を想像して、背筋が冷える。
美空はちらりと自分の体を見下ろした。未だに軽鎧をまとったままだ。腕輪に走る赤いラインを、グローブをはめた指でなぞる。硬質な手触りはほんのり冷たい。
「オリハルコンはエネルギーを蓄積する。衝撃を与えれば、そのしなやかな性質で衝撃を減じてエネルギーを奪う。熱しても表面温度はほんの千分の一にしか変わらないし、逆に冷やしても同じ程度にしか変化せず、熱を逃がさない」
次にスクリーンに映されたものは、動画だった。二〇〇〇度の加熱実験、マイナス二七三度までの冷却実験の連続再生。映像の中のオルハリコンに変化は見られない。まるで大昔のスーパーロボットの素材となった超合金だ。
美空は腕輪から手を離した。さすがに険しい顔で老原を見る。
「そんな物質が、あり得るんですか?」
「我々の誰もがそう思って、何度も実験を重ねたんだよ」
口をつぐむ。詩緒奈は肩をすくめ、玲花はうなずいた。
コンソールを操作しながら、老原は話を続ける。
「エネルギーを蓄積するというのは、実は便宜的な表現だ。物質由来の性質としては、オリハルコンはエネルギーの放射しかできない。ただそれが、物質の内側へと放射されているだけだ。蓄積と呼んでいる現象は、絶えず放射・反復され続けるエネルギーの総量が、オリハルコン内部において維持されていることからの結果に過ぎない。オリハルコンというのは、金属の塊に見えて塊ではないんだよ。凍った湖面のように、外面だけが凝固した、流動変移し続ける高エネルギー流体なんだ」
「あー、えっと?」
焼きプリンの断面図のような、外はカリカリ中はモッチリなイラストから目を逸らして、美空は額に指を添える。一気に情報を整理する頭がオーバーヒートしたのか、頭痛がしていた。
「そんなすごいオリハルコンが、なんでこんな戦いに使われてるんですか?」
「ふふ。もう少しだよ。頑張って聞いてくれたまえ」
老原は苦笑して、画像を進めた。
星屑を散らした闇に花びらが浮かぶかのように、太陽光パネルを大きく広げた巨大な宇宙ステーションだ。ニュースで見たことある、と美空は思った。宇宙研究機構のスペースコロニー。
「オリハルコンを扱うために、我々は宇宙に場所を移した。強大なエネルギーを扱うには、危険な事故がつき物だからね。地球上で行うわけにはいかなかった。我々の代表的な実績の一つとされる宇宙ステーションは、その補助的な施設に過ぎないよ」
またひとつ、さらりと常識を破壊する事実をもたらし、スクリーンの映像は進む。
「宇宙実験施設アマツマラにおいて、度重なる制御実験の末に……一つの答えが明示された。それがなんだか、予想がつくかね?」
「えっと。この、コントロールギアですか?」
「正解だ。正確には、その前身だがね」
老原は皺の深い目を細めた。
話を受け、美空は腕を掲げて、改めて腕輪をためつすがめつ眺める。
今現在身に着けて、なぜか馴染んでいる奇矯な装備。これがそのオリハルコンで出来ていて、そんな不可解な力を持っているという。
美空は黙って口を尖らせ、首を傾げる。唐突な話に、どう対応していいのか分からなかった。
スクリーンの画面が変わり、大きな腕輪をつけた青年の姿が映し出されている。
老原は悲しげに目を閉じて、玲花が顔を伏せる。奇妙な沈黙が間を作った。
訝る美空を他所に、老原は説明を再開する。
「オリハルコンは微細な電流を介し、人が直接操ることで容易に制御することができたんだ。そのカラクリは、オリハルコンのエネルギーの内部放射に関係する。その膨大で高速なエネルギーの循環は、擬似的な情報処理を実現したんだ」
「情報処理?」
「ビリヤードの玉が、全く勢いを減らさずに反射し続けるビリヤード台をイメージしてくれ。玉の動きが大きく変化すれば、何かが起こった、とは分かるだろう? その程度ではあるが、高速で大量に行われていた結果、情報処理と呼べるものがオリハルコンのなかで行われた」
要するに、と話を区切って、はっきりと言った。
「オリハルコンは、思考する金属なんだ」
「思、考……?」
ぞくり、と美空の背筋が震えた。その背中を、プロテクタがしっかりと覆っている。




