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デイブレイク/アウタースペース  作者: ルト
第二章 同輩の条件
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第二十三話:灰心喪気

 美空は、本当に立派だった。

 親戚に連絡を済ませ、部屋を片付け、遺体の安置をきちんとこなした。葬儀社の申し込みや寺院への連絡もこなし、駆けつけた叔母、美晴の妹と相談しながら葬儀の手筈を整える。通夜の挨拶も自分でこなし、喪主としてすべて勤め上げた。

 もちろん、叔母が喪主を買って出たのだが、美空はそれを断ったのだ。

「これは、私がやるべきことなんです」

 その一点張りで、言葉通り、やり遂げた。香典の管理から死亡届の手続きまで、すべて。

 白木の飾りや献花の色が目にちらつくようで、美空は目をしばたいた。焼香の匂いがわずかに染み付いたブレザーに、夕焼け空の暗い影が色濃く落ちている。

 つい先ほどまで何をやっていたのか、ふと思い出せなくて、美空は夕焼け空の雲を数える。火葬を終えて骨上げを済ませて、今し方、心配して泊まろうという叔母を断って見送ったところだ。彼女は明日から仕事に戻らなければならない。

 遺骨は祖父母が引き取って、墓地に納めることになっている。美空がするべきことも、今できることも、もう何もない。

 美空は公園の入り口に立てられた、車両進入防止の鉄パイプに腰掛けている。

 なにもかもが電撃のように過ぎ去って、急に空に投げ出されたような空虚な焦燥感だけが、美空の胸を満たしていた。感情の分布にぽっかりと穴が開いているかのように、母を失った悲しみはどこにも見当たらない。ただ、何もかもに対して、途方に暮れているだけだ。

「美空。平気?」

 隣に腰掛けて、玲花が心配そうな目で美空を見る。ぎこちない微笑みを返して、美空は疲れたように頭を下げた。

「……玲花。ありがとう、わざわざ火葬まで手伝ってくれて」

「私はいい、けど。美空、無理してる。悲しいときは、ちゃんと悲しまなきゃ」

「うん。分かってる、大丈夫だよ」

 美空は苦笑した。今朝も洗面台の前に立った途端、突発的に大泣きしていた。泊まっていた叔母にばれないように声を殺すのに苦労したことが、他人事のように思い出される。

 ぼんやりと顔を上げて空を仰ぐ。

 詩緒奈は結局顔を見せなかった。当然だろう。美晴と同じように、星斗が死んだのだから。

 そもそも星斗が死んだ夜、詩緒奈は茫然自失して海に沈みかけていた。それを助けたのは、玲花だ。星斗と義正のオリハルコンも同じく回収したらしい。

「私は、薄情かな」

 すべてをたった一人でこなした玲花は、顔をうつむける。

 そんな生真面目な玲花に微笑し、美空は玲花の肩を撫でる。

「玲花は正しいことをしたと思うよ。放っておくほうが、よっぽど薄情だと思う」

 そうであれば、薄情なのは私のほうだ。美空は自嘲した。

 何もかもをなげうって、アテナを海に突っ込ませて瓦礫の中から美晴を探した。ほどなく見つけ出すことができたのは奇跡と言う外ないが、それを奇跡と呼ぶほど皮肉な言葉もない。

 美晴を連れ戻すべく追いかけてきた二人組みの警察官が、ずぶ濡れで亡き骸を抱えたまま、骸骨のように呆然と座り込んでいる美空を見つけて、なんともいえない顔で見合わせた。

 駆けつけたのは一握りしかいない封鎖を指揮する側の警官……事情を正しく知る警官だった。彼らは煩雑な事情で美晴の弔いに支障を来さないよう、事故として美晴の死を処理してくれた。どちらにせよ、オリハルコンのことは守秘義務により一般に公開されない。

 四ドアセダンが目の前の道路を走り抜けていく。濃紺だった。玲花はそっと口を開く。

「美空。明日、空いてる? 話があるの」

「明日? 今でもいいよ?」

「あ、今は、ダメ。持ってきてないから」

 玲花は少し慌てたように両手を持ち上げて、言葉を継ぎ足す。なにを、と尋ねようとした美空は、玲花の慌て方がおかしくて小さく笑った。

「分かった。いいよ、明日ね」

「じゃあ、バイクで行くから。ついたら電話する」

「……そう? いや、いいけどさ」

 なんだろうこのカッコいい誘い方、と美空は思って苦笑する。玲花は玲花で、その苦笑を誤解して事実に関する説明責任を果たす。

「大丈夫。一年経ってるから、二人乗りできる。タンデムシートは狭いけど」

「あ、そうなんだ」

 美空が含み笑いをこぼして、玲花は不安そうに首を傾げる。

 そんな会話を終えて、美空は玲花と別れた。日はほとんど暮れて、群青色に染まっている。

 駅前のスーパーで惣菜の柔らかな揚げ物の匂いを嗅ぎながら巡り、レジで財布の小銭を覗き込み、ロゴ入りのビニール袋を提げてマンションやビルの立ち並ぶ住宅地を歩いていく。

 そんないつも通りが、どうして、こんなにも空しいのだろう。

 今日の夜はずいぶんと冷え込んだ。階段を上り切って、黒い玄関の鍵を開けて、重たい扉を引く。ほとんど自動化されたように、美空は扉をかわして体を滑り込ませ、口を開いていた。

「ただいまー」

 言ってから、その無為な言葉に気がつく。しんと空気が冷え切ったように、答えはない。

 家の中は、真っ暗ではなかった。

 開け放したリビングの扉の向こうで、今朝カーテンを開けたままの窓から、夜景の明かりが漏れて床を青く照らしている。バタバタしていたこの二日で、うっすらと床に積もった埃が、冷たく夜光に輝いた。冷たいフローリングの平行線がいつも通りに迎え、冷めきったピンクのマットが玄関に投げ出されている。

 誰もいない。

 ばきり、と心の芯が折れる音を、美空は聞いた。

 ああ、自分は挫けたのだ。そう思ってしまった途端、立っていられなかった。

 膝が折れて手をつく。底冷えするフローリングが、這い上がるような寒気を体に忍ばせる。芯に染みこむような寒さが肩をつかんで、震わせた。

 二度と暖まることはない。

 どんなに遅く帰っても、美晴が迎えてくれることは、もう二度とない。暖かいストーブも美晴の笑顔も、美空を見放して置き去りにしてしまった。美空は体を抱きしめて、ぞくぞくとした冷え込みに怯える。寒かった。凍えた。

 これが喪失の痛みだ。

 土間で孤独にうずくまる美空を、凍りついたような電球だけが、冷然と見下ろしている。 


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