第二十一話:不倶戴天
美空は頭が真っ白になった。
「詩緒奈あああ!」
機首を下げて詩緒奈に向けるだけで、破壊の流星群は距離の半分を縮めている。
すべての力を降り注いで、意識さえ置き去りにするような強烈な加速を加えている間に、さらに距離は半分になっている。
どうあがいても、距離は越えられない。美空は間に合わなかった。
雲が炸裂し、宇宙よりも深い闇を満たす夜の海が広がる。
白銀がその中心に浮いていた。
「……せ、星斗、くん?」
アルテミスを抱えて高度を落としていく”白銀のヘルメス”は、もはや骨しか残っていない。オリハルコンを機械的に組み合わせた構造になっていない着装型のリインフォースデバイスは、剥がれる。その弱点を克服することも含めて、義正たちはコントロールギアに蒸着させている。しかし、星斗は蒸着していなかった。
浮力を生み出している腰と足先と、背中のローター部分の残骸が、わずかに張り付いている。それでもなお、アルテミスごと抱える右手には、太刀が握り締められていた。
詩緒奈が感極まったように、顔を紅潮させて笑みを溢れさせる。
「星斗くん! ありが――」
「星斗ォ!」
義正は、荷物を抱えているような隙を、むざむざ見逃しはしなかった。
片腕しか残っていないハサミを振りかざし、隼のように空を駆け抜けて星斗を狙う。
そして星斗も、応じた。
詩緒奈に一声もかけることなく、邪魔者を突き飛ばすように放り捨てて。
「せい……」
破片を撒きながら落ちていく詩緒奈の声は、衝突の音に呑まれて消えた。
ぞん、と不気味な音と同時に、義正の背中からヘリの尾翼で作られた太刀が生える。
甲殻の頭が割れ、血の気の引いた義正の、薄ら笑う顔が覗く。
「へへ。これで、俺の一勝差は、守りきったぜ……」
星斗は咳き込む代わりに血の塊を吐きだした。
ハサミは星斗の肩をはさむように、左胸を刺し貫いている。腹の真ん中に太刀を突き刺された義正は、苦痛に顔をしかめさせて、それでも笑う。
「……一番弟子は、俺のもんだ。……ざまぁみろ」
「くそっ……守らなきゃ……まだ……兄、貴……」
呪うようにうめき、もがき、星斗の目は霞むように焦点が合わなくなっていく。こぼれていく赤い命と、冷えていく体に、ややも持たずに力尽きた。
樹上で腐った林檎が、枝から落ちるように。
二人は落下の気流に揉まれ、分かたれて、振り回されるように大きく離れていく。雲を抜け、空を通り抜けて、地上の輪郭を作る夜景の狭間に吸い込まれて消える。黒い床のような海面に打ち付けられ、水柱すら立つことなく、砕け散った。
金切り声が噴き上がる。詩緒奈だ。言葉になっていない声で、幾度も星斗の名前を、壊れたレコーダーのように繰り返し繰り返し繰り返す。悲痛を音に変えたような絶叫は夜闇を叩き、音一つ風一つ、返されるものはない。
その声を聞いても、美空は感電したように機首を落としたまま、身動き一つできなかった。
海面はぴたりと波間に凪いでいる。
詩緒奈は、星斗が最期に彼女の名を呼ばなかったことを、知らない。
「美空っ! なにしてるの!」
「――玲花?」
顔を上げた美空は、アテナが墜落しているかのように真っ逆さまに海面へ向かっていることを、今初めて気がついたことのように自覚した。機首を上げて上昇旋回する。ビル群の屋上を眼下に眺め、美空は空に引き返していく。
その眼前に、巨大な鉄塊が迫る。
「ううううううっ!」
「玲花!」
リインフォースデバイスの巨体は、美空より高い場所で落下を留めたにも関わらず、重量を支える推力の吹き降ろしは海面を叩き、押しのけて、その波が堤防を飛び越える。
「ほら、アルテミスも言ってたじゃないか。死ぬまで無駄に戦うこともないさ。諦めなよ」
竜人が、まるで悪魔が降臨するかのように、ゆっくりとその巨体を下ろしていく。遅く見えるのは大きいからで、アテナに一歩劣る程度に速い。
「そんなわけにも行かないでしょうが!」
空に投げ出されるように変形して、剣を構えながら飛ぶ。その美空を、ちょうど羽虫を振り払うように、腕でなぎ払った。べちん、とあっけないほどあっさりした音に吹き飛ばされて、アテナは軽々と空を飛び越えていく。
「があぅ!」
観覧車に激突し、ゴンドラを吹き飛ばして鉄骨に絡まる。
頑丈であるはずの中心軸が折れて落下し、脚の部分にこすらせながら転がった。半ばを海に沈め、大きく仰ぐように半回転していく。運河に渡された橋に倒れこみ、折れた鉄骨が路面と中央分離帯に突き刺さる。
力場に組み伏せられていたため、コックピットを美空の体が跳ね回ることは防がれた。ふらつく頭で、いよいよ地上にまで押し込まれた危機感を嗅ぎ取る。
落雷が鉄板を跳ね飛ばしたような轟音が、湾岸のビルを突き崩した。剣に殴り飛ばされた玲花がビルに抱きつくようにして倒れこみ、完全に崩壊させてしまっている。
「あ、ああ、ダメ! 街が!」
壁の塊が、避難のために乗り捨てられた車を、アルミ缶よりもたやすく踏み潰す。
ひしゃげた燃料タンクに金属の折れた火花が触れて、爆発を起こした。その爆発は、たわみきったビルが取りこぼす瓦礫と土砂に圧殺される。失敗したジェンガのように、崩れ去ったビルは周囲を巻き込みながら噴煙を立ち上らせていく。
絶句する美空と、膝を突いたまま呆然と止まっている玲花を他所に、竜人は平然と剣を海に突き立てた。基地を正確に破壊している。
「やれやれ。ヘファイストスひとつのために、秘密兵器の暴露と、ギアとリインフォースとシンカー一人、か。まったく、ずいぶん高い代償だよ」
砕けたコンクリートで海が濁っていく。無造作に漁る竜人の腕から、異音が鳴った。
声帯をチェーンで作った機械仕掛けのカラスの断末魔のような、甲高い音。いや、回転ノコギリが断ち切る音だ。音の出所を探るより早く音が駆け抜け、同時に竜人の腕が、折れた。
竜人は即座に左手に光の粒子を収束させて、剣を組み上げながら、振り返りざま薙ぎ払う。その剣が火花を散らして、へし折れた。
まるで動揺を見せないまま、隻腕の竜人は肩をすくめて見せる。
「……老原か、あがくねえ。すると、それがヘファイストスかな」
「やはり見破られたか。まあ、腕一本なら緒戦としては上々だろう」
老原が、海の上に浮いていた。
老いぼれた細い体にコントロールギアを身につけている。乗り物のたぐいは用いていない。リインフォースギアのない、むき出しの状態だ。
枯れ枝のような指に、黒曜石を削りだして作ったナイフのような金色の石を握っている。
「……ヘファイストスはオリハルコンを原形のまま利用した、一種のカンダクトデバイスだ。でかいだけが能のお前さんに、遅れは取らんよ」
「は。老いぼれがよく言う」
一声で嘲弄して、竜人は剣尖で海面を薙いだ。切り離された海面が、水の壁のように高く反り上がって、空気に砕けていく。その壁を蹴るように、コントロールギアをまとう老人は俊敏に動き、竜人目掛けて飛んでいく。
どん、と海面に隕石が落ちたように破裂して、竜人は機敏にその身をかわした。空に残される老原に向けて、剣を振り上げる。その光の剣は濡れた紙よりもたやすく、老原の一振りで切り裂かれた。オリハルコンさえ加工する、ヘファイストスの力の片鱗だ。
「さすがは、一号デバイスだ。触れればただでは済まないね」
「引き上げるなら今のうちだぞ」
「冗談だろう? 勝てる勝負に逃げるバカはいない」
左腕を差し向けて、その手から無数の光の球が打ち出された。詩緒奈を襲い、星斗を傷つけた、あの散弾だ。老原はかわそうとして、追尾する球に足を叩かれる。バランスを崩した体に、砲弾のひとつが直撃した。
紙飛行機のように飛んでいく老原は、埠頭をなぎ倒すように削って倒される。
「ご、ふ……っ! げはっ、がはっ」
埃が喉に張り付いたかのように、老原は激しく咳き込んでいる。そのたびに老体が折れそうなほど体が曲がる。肉体的に、戦闘は限界だった。
竜人は左腕を下ろしながら、鼻で笑う。
「リインフォースデバイスがないから、光弾に対応することはできない。結果なんて、最初から分かりきっていただろうに。……もっとも、それで引き下がれる人間じゃない、か」
泰然と竜人は老原に向かう。ヘファイストスを奪うために、死守する老原を殺すために。




