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デイブレイク/アウタースペース  作者: ルト
第二章 同輩の条件
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第十七話:迷悟一如

 もたれそうな胃と一緒に、気分まで落ち込んでいくかのようだった。

 やけ食い気味に完食した美空は、重たい体を引きずるように電車に乗って帰路に就く。

 満腹で緩んだ頭はまるで回らず、眠たい顔で電車に揺られる美空は、傍目には遊びつかれた女子高生としか見えなかっただろう。

 しかし、その頭の中は、痺れたような衝撃と動揺を扱いかねていた。じれったいほど鈍い思考は、滑車の中で走っているかのように、出口どころか進んでいる実感さえもなかった。

 正義の味方。戦って、殺して、殺されて、また戦って。

 物騒な言葉が、地吹雪のように表層だけを撫でて転がっていく。

 理性では、義正の言葉を鵜呑みにするのは間違っている、と理解している。しかし、そうではない部分、経験と感覚が、ありえない話ではないと、むしろ合理的ですらあると叫んでいる。実際に老原たちは、あまりにも、正義の味方でありすぎる。

 詩緒奈は知っていたのかな。いや、そもそも、なぜ戦ってるんだろう。玲花はどうして、星斗くんはどうしてなんだろう。なにより、私はどうして、戦おうと思ったのだろう。

 やると決めたら前だけを見て、脇目も振らずに一直線に突き進んでいた。美空は今初めて、足元も後ろも暗闇に包まれていることに気づいた。気づいて、立ちすくんでしまっていた。

 どこをどう走っていたのか、これからも走り出していいのか、まるで見えない。

 気づけば、家の前に立っていた。部屋番号が振られたマンションの重い玄関扉が、美空の前にたたずんでいる。いつも通りの道を歩いてきたはずだが、考えに没頭していたせいで、どこをどう歩いたのか、霞がかったように覚えていない。

 やけに重い手をノブに乗せる。力をこめて、やっと開けた。細く狭く短い廊下にリビングの明かりが漏れて四角く光っている。

 リビングの扉が開けられて、暖かい空気が美空を素早く出迎える。リビングに入ると、いつもの美晴の笑顔がそこに待っていた。

「おかえりー。今日はやけに遅かったな。夕飯は食ったか?」

「……食べてきた」

「どうした、なにかあったのか?」

 美晴は一声で見破る。もっとも、美空の茫漠とした表情を見れば、少し親しいものならば誰でも分かったことだろう。

「なんでもない」

 言えるはずがない、と美空は呪った。なにがオリハルコンだ、御伽噺の中だけにしろ。

「なんでもなくはないだろ。言ったろ、何かあったら言えって」

 しかし美晴は常にない強引さで、美空を椅子に座らせた。肩を抱いて乱暴に頭を撫でてから、惜しむように手を離して向かいの椅子を引く。

 その手つき身振り、表情一つにまで心配が見える。それでいて、求められない手助けを戒めようという気持ちまで透けて見える。美空は表情に出ない程度に苦笑した。美晴は本当に立派で尊敬できて、まるでヒーローのように、憧れてしまう。

「なんかさ、私、なにがしたかったんだろう、って。分かんなくなっちゃって」

 肩をすくめて、おどけるように美空は言った。事実、まるで道化だ。

 守りたいと思っていた。本当に、何から何を守ろうとしていたのだろう。

 ところが。

「はっはーん。考えたな? 自分が今なにをやってるのかーとかそういうことを。下手の考え休むに似たり、ってことわざがあるだろ」

 美晴は笑った。声を上げて、嬉しそうに目を細めて。

 悩みを聞いてもらうときに、よもや笑われるとは露ほども思わず、美空は仰天した。

 愛娘のそんな表情さえ慈しむように、美晴は親身に口を開く。

「この世にはな、考えたって答えの出ないことは、いっぱいある。ほとんどそうだ。未来のことは分からないし、UFOとかUMAとか、未知のことはまだこの世にたくさんある。だいたい、なんだってやってみなくちゃ分からない、っていうけどなあ。あれ無責任だよな。実際、やってみたところで分からないことは死ぬほどある」

 ふっと美晴は自嘲して、目を伏せた。

「あたしの場合だってそうだよ。今でも、あたし一人で美空を育てたことが正しい選択だったのか、わかりゃしない。もしちゃんとした家庭で育ててやれたら、もっとちゃんと、美空を幸せにしてやれたのかな、ってさ」

 顔をうつむけて話を聞く美空は、泣きそうになって目を閉じる。憧れる美晴は、美空のまるで手の届かないようなところから、とんでもない理想を見つめている。これ以上の”これ以上”を、どうして求められるのだろう。

 思いを馳せた”もしも”の景色を見るように、美晴はそっと目を開く。

 そこには美空しかいない。それだけでも充分以上だ、と表情に描くように、美晴は微笑む。

「考えなくていいわけじゃない。でも考えなきゃいけないときは、考えようと思うはずだ。ただ単に迷うだけのときは、それは見えてる答えを自分で消したときだけだ」

 何も悩む必要はない、と励ますように、美晴は強い笑顔を娘に向ける。思いを届けるように。

「考えなくていい。やるべきだ、って思うことは、美空がやるべきだと感じることだけだ。迷う必要はないんだよ。美空がやるべきかどうかを見分ける価値観は、絶対、正しい。だって、美空はあたしの自慢の娘なんだから」

「……………くそう」

 美空はうなった。

「お母さん、ほんっとカッコいいなあ」

 顔を上げる美空は、力の抜けた笑顔を浮かべている。

 安心したように相好を緩めて、美晴もやはり、笑顔を見せた。

「カッコだけでもそれくらいでなきゃ、美空の母親に釣り合わないだろ」

「どれだけ買いかぶられてるの私」

「まあ、日本一の娘は固いな」

「重っ! さらっと日本背負わされたよ!?」

 はっはっは、と聞いていて気持ちよくなるほど豪快に、美晴は笑う。

 その笑顔を見ながら、美空は自分の勘違いを悟っていた。

 老原たちの仲間として戦っているような気がしていたのだ。老原が美空の望むような人でなかったとして、そのために、美空がやりたくないことをやらされるのではないか、と恐れた。

「もし、もしも、目指すところが違って、裏切ることになったら……恨まれるかな」

「そんときは、仕方ない。人それぞれ違うんだから、初めから目指すところが違ってる人とは、いずれ必ずそういうのは起こる。ぶつかるべきならやるしかないし、引くべきなら引けばいい」

「……きついね、そういうのって」

「でも、わだかまりを抱え続けて、憎んじまうより、よっぽどいい。あたしはそう思った」

 美空は苦い表情を落として顔を上げた。美晴は笑みを抑えて窓に眼を向けている。彼女の見つめる遠い景色に、目を引くようなものは何もない。

 視線の先、夜景の向こうからにじみ出たように、突然警報が鳴り響いた。

「な、なに?」

「分からん。なんだ?」

 美晴は腰を上げて、からりと戸を開けてベランダに出る。美空も後を追って、夜風の冷たさに肩を震わせた。マンションの住民は、何人もが同じようにベランダに出ている。

 警報は夜中を駆け回ってあらゆる家を叩くように、暗闇に朗々と響き渡る。声が告げた。

 廃衛星が再突入、落下予測地点のため、緊急避難してください。

 クラストだ。美空は電撃のように理解した。

 美空の脳裏に、日曜日の景色が蘇る。混乱する人々。焦らすように何も起こらず、不吉なほどなんの変哲もない景色。歪に煽られる不安と恐怖心。砕けて落下する瓦礫。

 そして、守らなければ、という思い。

「行かなきゃ」

 美晴が信じられないものを聞いたような顔で、美空を振り返る。

「なに?」

「え? あ、いや、詩緒奈が今日一人らしくて。ちょ、ちょっと行ってくる! お母さんは先に避難してて!」

「おい待て美空っ!?」

「あ、先にこれだけは言っておかなきゃ」

 廊下に走りかけた美空は、美晴を振り返って、微笑む。

「私、お母さんの娘だってことほど、誇ってることはないんだ。お母さんが私のお母さんで、本当に幸せだって思ってる。だから、お母さんがしてきたことは、絶対に間違ってないよ」

 それは、最高の笑顔だった。もし男が見ていたら間違いなく結婚を申し込んだだろう。

 美晴が心棒を叩かれたように絶句している間に、美空は背中を見せて走り出す。


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