第十六話:晴天霹靂
基地の連絡ビルを出て、駅まで歩いていく帰り道。行きは真っ直ぐに向かった道を、たわむように回りこんで、美空は遠回りの道を選んだ。
美空が崩落事故に巻き込まれた通りは、瓦礫の撤収が終わり、舗装工事を行っている。交通整理の赤い棒が、車道の強い街灯に照らされて暗く濁っていた。
それを見つめて、美空は胸に握り拳を添える。
それは失った日常への懐古か、飛び込んでしまった非日常への懐疑か、己の決意への激励か、あるいは冷笑か。拳を重ねているものの正体は、美空には分からなかった。
そのとき、鞄の外付けポケットに放り込んである美空の携帯が音を立てて震える。電話だ。
取り出して平べったい画面を見る。知らない番号が表示されている。首を傾げ、騒がしい道路から脇道に避難しながら通話に出た。
「はい、美空です。どなたですか?」
「ああ俺? ヨシマサ」
誰だよ。美空は内心で突っ込んだ。聞いたこともない。
いや、ヨシマサ、という名前は、どこかで聞いたかもしれない。脳裏のどこかに触っている。
電話の主は男性の声を続けて発し、記憶の片鱗は触れた衝撃で奥に滑り落ちる。
「お前は連中に騙されてる。悪いことは言わねぇから、そのブレスレット今すぐ捨てろ」
「……あんた、誰?」
男は無視した。
「お前だっておかしいとは思っただろ? 連中、あまりにも正義の味方すぎる」
美空は口をつぐむ。
街灯が減って急に暗くなる道を、足を止めずに歩き続ける。同時に、騒音で聞き漏らさないように通話のボリュームを上げた。
男は言葉を続ける。
「実際、正義ぶってるのは隠れ蓑だ。連中はお前を騙して、自分たちの都合のいいように捨て駒にするつもりだ。嘘じゃねぇぜ。俺の尊敬してた人が、お前らのところで――殺された」
思いがけず物騒な言葉。しかし、その言葉はつい最近、耳にしたことだ。
自覚はある。
美空は、事情をよく理解しているわけではない。
「会って話をしよう。お前がどんなことを吹き込まれたのか知らないが、それを含めて、俺が知っていることを全部教えてやる。駅前のマックだ、あそこなら騒がしくてちょうどいい」
「待って! あんた、何者なの?」
通話を切られる気配を察して、美空は声を上げた。混乱と困惑が胸に渦巻いている。
「……早く来い。あんまり待たせると帰るぞ」
男は電話を切った。
美空は顔をしかめて携帯を見下ろす。電話番号を通知して連絡する、正体不明の男。
まったく意味が分からない。美空は首を左右に振った。
はっと顔を上げる。あまり待たせると帰るという。それがどれだけの時間を言っているかは分からないが、あれだけ事情を知っている相手を放置するわけにはいかなかった。
顔をめぐらせて現在地を確かめ、体を翻して大通りに戻る。駅までの道を走っていく。走りながら携帯を持ち直して、電話帳画面を開いた。詩緒奈に電話をかける。
発信音、発信音、発信音。通話に出ない。
諦めてメールを打つ。事情を知らせるのが最優先だ。走りながら、前に気をつけながら、という状況でメールを打つのは難しいうえ、大変危険だ。事故現場というものになにか感じるものがあるのか、歩行者がやけに少なかったのが幸いだった。
結局打てたのは、端折った「怪しい電話きた、オリハル知ってる、駅前マック、向かう」と、なにかダイイングメッセージ並みに要領を得ない暗号になってしまった。送信と同時に、日曜日に詩緒奈と待ち合わせた駅前広場に出る。
駅前のマックはビルのひとつにある、三階層も使った大きな店だ。入り口に入ってすぐ首をめぐらせる。夕飯時とあってか人の入りは多く、席はほとんど埋まっていた。
「おい赤いの」
声を掛けられて、美空は振り返る。でかい少年が目の前に立っていた。背は一八〇は超えていて、彼の持つプレートが美空の顔の高さにある。肩幅もがっしりしていて、金髪を逆立てたガラの悪い容貌は不良というよりも、喧嘩屋というような印象がある。
そこで初めて、美空を”赤”と呼ぶ要件に気づく。目の前の少年は、美空が”赤のアテナ”に乗ることを知っているのだ。電話の主は、こいつに間違いなかった。
少年は美空の隣にあったゴミ箱に、丸めた包み紙を放り込んでプレートを片付ける。
「行くぞ」
「行くって、どこに」
「別に遠くまで行きゃしねーよ。隣のモスに行くだけだ。それともお前には、この店でなきゃいけない理由があんのか?」
美空は押し黙る。この店だとしか連絡できなかった。走ってきたせいで、詩緒奈が気づいて後を追うとしても、時間が掛かるだろう。己の失策を悟る。
「来い。呼びつけた詫びだ、好きなの奢ってやるよ」
少年は美空を振り返って、皮肉に口の端を吊り上げた。
隣のモスに移るまでの短い間に、少年は赤津義正と名乗った。赤はこいつのほうだ。
駅前だけあって、どの店も状況はさして変わらない。たっぷり並んだ果てに、美空は奢りだからとこれ見よがしにセットを三つも頼んでやった。しかし義正は平気な顔で、今しがた食べていたにも関わらず、美空の倍も注文する。
図々しくも四人掛けの席に着いて、美空はまずコーラに口をつけた。頼んだのがセットなので、あとウーロン茶とレモンティーが残っている。美空は己の失策を感じていた。
気を取り直して、目の前でいきなりポテトを一掴みに平らげている義正に目を向ける。
「で、あんた何者なわけ?」
「元正義の味方だ、っていえば面白いか?」
「傑作」
どちらもピクリとも笑わずに言った。義正は口をつけたと思ったら、もう飲み終わったウーロン茶のグラスをテーブルに置く。
「さて、どっから話したもんかな。お前は、連中になにを聞いてる?」
「いろいろ。オリハルコンのこととか、クラストと戦ってることとか」
「クラスト? ああ、老原はそんなふうに呼んでるんだっけな。あとは? いつから、どうして戦ってるのかとかは?」
「具体的にいつってのは……あの、コントロールギアを最初に身につけてた人がその、殺されてから、って。でも、オリハルコンを加工する機械を守るために戦ってるんでしょ。オリハルコンが、なんかすごい力を持ってるから。原発の何倍とかって」
「ふん、まあ間違いじゃねえな」
義正はあっさりと肯定した。
その態度に不審の目を向ける美空に気づいて、義正は肩をすくめて見せる。
「言っただろ? 俺は自分の知ってることを洗いざらい話すって。できるかぎり、贔屓も偏見もない事実を教えるつもりだ。まあ、連中が大嫌いだから、多少入るかもしれねぇけどさ」
「……その事実って、なに」
「そうだなぁ。どこから話すか。まあ、俺たちの側から順を追って話せばいいか」
あまり説明上手というわけではないようで、もどかしく首を傾げて、考えることに慣れなさそうな顔で頭をかいている。
「まず、な。オリハルコンの制御装置をつけたまま殺された老原の息子さんだが、殺した犯人は分かってない。ただオリハルコンが実用化されちゃ困る、ってやつは、お前が思ってるよりはるかに多く存在する」
「ま、待って待って待って。いきなりおかしい。老原さんの息子さん?」
「聞いてないか? 老原の息子さん、清志さんはオリハルコン研究の主任だった。直々に制御実験を行って、マウスを使った実験にほとんど重ねる勢いで、長期臨床実験に取り組んだんだ。そうしたら、ある日清志さんの車に爆薬が仕込まれて、キーを回した途端に」
ぱっと握った手を開く。
すらすらと語る義正の言葉に、美空は愕然としていた。殺されたといっても、そんな壮絶な最期だったとは思いもしない。
ようやく出来上がったバーガーが、引きつった笑顔の店員によって届けられた。
ざっと九つのセットで、四人掛けのテーブルが隙間なく埋まる。同じく笑みが引きつる美空を他所に、義正は早速包みを開けて一口で半分食べてしまった。
「オリハルコンの存在は公表していないから、整備不良の事故として処理された。ただ、首脳部の間じゃあ真っ先にオリハルコンの制御装置が疑われていた。まあ当然だよな。追跡調査で原因はまったく別の、エンジン部が細工されて燃料に引火しただけだって判明した。しかしオリハルコンに関わる重大事故として、マイナスイメージはしっかりと刻み付けられたわけだ」
「は、はぁ。なるほど」
「オリハルコンは軍事利用ができない。その条約のために宇宙研究機構も、オリハルコンに関わる研究成果と研究内容を逐次すべて各機関に渡している。オリハルコンが、どれだけ有効で強力であるかはもう知ってるよな。核の抑止力をぶっ壊すような存在だ。そんなもんの実体が判明するにつれて、すべての国は歯噛みするわけさ。たとえオリハルコン鉱の採掘に成功しても、加工・制御する技術を保有するのは、宇宙研究機構だけだから」
「ん、んん……っ?」
立て続けの講釈に、美空は顔をゆがめて首をひねった。理解が追いつかず、バーガーに手をつける頭の余裕がない。
早くもバーガー二つを平らげている義正は、言葉を考えて言い換える。
「つまり、スゲー技術を自分たちが持てないなら、他人にも持たせるな、って考えたわけだ」
「えー」
「な? えー、って感じだろ?」
義正は勢い込んで美空の感想に同意する。大柄の弾むような反応に驚いて身を引いて、ようやく美空は自分がまだバーガーに手をつけていないことに気がついた。食べる。
食べながらに構う様子もなく、三つめに手をつける義正は話を続ける。
「それだけじゃない。オリハルコンが安定的に供給されて、完全に制御されるようになったら困るってやつは、まだいるんだ。つまり現行のエネルギーを管理するグループだな。あと軍事もオリハルコンにいい顔はしないだろう。まず軍事研究された技術が民間に下っていく、って流れは多いからな」
「ははあ」
政治的な話に美空はついていけない。
その間隙に義正はポテトをスナック菓子のように口に放り込んで少し噛み、また喋りだす。咀嚼という概念を知らないのかもしれない。
「不可能を可能にするオリハルコンは世界を変える。それが自分の損になるから気に入らない、ってやつが、この世界には多いんだ」
「へえ……えっと、それで、何の話だっけ?」
「だから、お前の言うクラストが、エネルギーバランスが牛耳る今の世界を変えようとした。それを邪魔したのが老原なんだよ」
「はぇ?」
間の抜けた声が出た。
四つめを平らげた義正は、三杯目のコップを空にして息をついた。その間を置いて、告げる。
「クラストは宇宙研究機構オリハルコン研究室だ。老原は主任でありながら、ほんの数人のシンパを連れて逃げ出した、裏切り者なんだよ」
ぱかり、と美空の顎が落ちた。唖然をこれほど見事に表現した表情もない。
「外部からの定型制御と恒常運転がオリハルコンに必要で、その基底手法を応用した総合装置がリインフォースデバイスだ。それを開発した老原が悪用して、ヘファイストス……オリハルコンを加工するためのオリハルコンを奪って、地上に逃げ出した。管理してた仲間を殺してな」
美空の声は吐息にしかならなかった。震える呼吸が、肩を震えさせる。
サラダという存在が霞むほどのポテト推しで揃えたサイドメニューを、義正はぺろりというよりゴクリと胃に収めていく。年齢を差し引いてもかなりの健啖ぶりだった。コップを煽り、止まることなくバーガーの四つめに手をつけている。
「老原を信じてついていったうちの一人ってのが、星斗の兄貴で、俺に剣道を教えてくれた道場の先輩で……お前が使っている”赤のアテナ”の前任者、市井竜斗だ。三ヶ月前、死んだ」
「は」
心が砕けた。
衝撃的なことには慣れた、と思っていたが、とんでもなかった。”赤のアテナ”に前任者がいたことも、それが死んだことも、美空は知らされなかった。
四つめを、苦々しくかみ締めるように嚥下して、義正は口を開く。
「竜斗さんは老原の命令で、クラストの基地に特攻を仕掛けた。オリハルコン研究室、アマツマラが最初に地上航路を開こうとしたときの防衛戦だ。リインフォースデバイスの一つを潰して、その代償に竜斗さんが死んだ。無茶な特攻で、ほとんど殺されたようなもんだったよ」
負けまくった、という詩緒奈の言葉を思い出していた。
犠牲を払ってもなお、最終的には目的の達成を許した。なるほど、それはまさに大敗だ。
コップを飲み干し、義正はテーブルに投げるように置く。
「そもそもお前や星斗みたいな子どもを戦闘の矢面に立たせてんのは、他に立たせられるやつをすべて使い潰したからだ。それでも使えるやつを、老原は血眼になって探している。よく知りもしないお前を縁故採用したのは、手っ取り早く”赤”の空席を補充するためだろうさ」
美空を見据えて、吐き捨てるように言い放った。
「お前が守ろうとしたものを、本当に守ろうとしているのは、どっちなのか。考えとけ」
その言葉が、記憶を呼び起こす。
竜人が吐き捨てた言葉。何から何を守っているつもりだ。その通りだ。美空の目には、何も見えていなかったのかもしれない。
いつの間にか、目の前のテーブルには空になった皿が積み重ねられている。美空のものだけが机に取り残された。
「ま、俺が言いたいのはそれだけだ。ゆっくり食え」
義正は語調を和らげ、残った最後のバーガーを掴んでいそいそと持って帰っていく。
それを見送る気力もない。
美空は、やると決めたことが、自分の中で激しく揺らいでいることを感じていた。
湯気が消えてゆっくりと冷めていくバーガーが、じっと皿の上にうずくまっている。




