第十五話:邯鄲之夢
訓練が終わった後のランチャーデッキに、美空の姿はあった。
「えーい、もう、めんどくちー」
冗談めかした独り言で気合を入れながら、ジャージに着替えた美空はアテナをモップで磨いていた。キャノピー周りの胴にモップを押し付ける。
海水で錆びるわけでもないが、塩水が付着したままだと白く浮いて汚くなる。と、アテナをランチャーデッキに戻したときに玲花に宣告され、しぶしぶモップを持ち出したのだ。
こすりながら、美空は横目で隣を見た。
ランチャーデッキは広く、”赤のアテナ”の他に、もう一機駐機されていた。それは戦闘機ではなく、真っ白な外装がきらめく小型ヘリコプターだ。見覚えのない形状に首を傾げる。
「あれ。美空さん?」
少年の色を残した声が爽やかに響く。ランチャーデッキにあがる扉の前に、階段を上がってきたらしい星斗がいた。珍しそうに美空を見ている。美空はモップを肩に、片手を上げた。
「や。こんにちは、星斗くん」
「こんにちは。アテナを清掃してるんだ、偉いね」
「いや、海の中を泳いだから、ちょっとやらないといけなくて」
「ああ、そっか。訓練したんだ。お疲れ様」
得心した星斗は苦笑して労う。やはり日常的な訓練として海中遊泳があるらしい。
「星斗くんって、よく空であんなに動けるよね。剣振ったり構えたり。特に切り結ぶなんて、とてもじゃないけど出来ないよ」
「そうかな? 美空さんのほうが、よっぽどよく動けてるよ」
「はははお上手」
美空は乾いた笑いで応じる。今しがたの訓練で、ぎこちない動きが露呈したばかりだ。
「っていうか、それが星斗くんの機体だっけ?」
ヘリのハッチを開けていた星斗は、ヘリに腰掛けて顎を引く。
「そうだよ。”白銀のヘルメス”は着装型のリインフォースデバイスなんだ」
「チャクソー?」
「ああ、えっとね。美空さんも詩緒奈も、搭乗型のリインフォースデバイスは実際に乗って、操縦して使うでしょ? けどこれは、武士の甲冑みたいに、外装としてまとって使うんだよ。……まあ、単に旧型のリインフォースデバイスってこと」
「へぇ。そういえば確かに、星斗くんの戦闘形態だけ少し違うもんね」
よくよく思い出してみれば、鎧武者の振り回す刀の基部はヘリの尾翼部分に酷似している。肩の装甲なども一部透明でシャレていると思っていたら、操縦席のガラス部分だ。
「搭乗型でも、”青藤のヘスティア”なんかは実験機に近くて、戦闘用の設計じゃない。武装らしいものは何一つないしね。その点”浅黄のアルテミス”は一番戦闘向きじゃないかな」
「そうなんだ。へえ、いろいろあるんだねぇ」
よどみない解説に納得してしきりにうなずく美空を、星斗は微笑ましそうに眺める。その笑顔を維持したまま星斗はさりげなく言った。
「”赤のアテナ”は、最近搭乗型に改修したから、最新型だよ」
「ほほー。そうだったんだ」
オリハルコンの技術も日進月歩しているらしい。
「じゃあ、蒸着、ってなんなの? クラストってその蒸着をやってるんでしょ?」
「ああ。うん、蒸着は強化だね。コントロールギアとリインフォースデバイスを、一体化させる技術のこと。ほら、搭乗型だと分かりやすいけど……コントロールギアとリインフォースデバイスは、完全に別物としてそれぞれ動いてるでしょ? 一つにすることで、それぞれの出力が遊ばないように、無駄を省くんだ。操縦桿を介するわけじゃないから制御もしやすい」
「へぇ。……じゃあ、分けておく意味って、ないんじゃない?」
「まあ、戦闘に限ってはそうだね。でも、たとえば人前に出るときコントロールギアだけならごり押せても、リインフォースデバイスの巨体と切り離せなかったら、大変だよ?」
「ああ、なるほど。そっち系の問題があるんだね」
「リインフォースデバイス自体、エネルギー指向性の対外制御システムを抜けば、変形するだけのロボットだ。単なる戦闘兵器にしないために、搭乗型とか、回りくどいことしてるんだよ。……だから負けちゃうんだけどね」
「そっか」
美空は目を伏せた。負けには負けなりの矜持と理由があったのだ。
ふと、美空は星斗を振り返る。
「星斗くんって、やっぱりここで戦って長いの?」
「うん、まあね。三年くらい」
「わほ。あれ、じゃあ詩緒奈と付き合う前からなんだ」
「そうだよ。詩緒奈には、いつも迷惑かけてばかりだ」
「二人って、そもそもどうやって知り合ったの? なんか、接点なさそうだけど」
「そんなことはないよ。僕の家は剣道の道場やってるんだけど、詩緒奈はその門下生の一人の妹だったんだ。……いや、ちょっと接点遠いかな? でもまあ、同い年だったからさ」
「なるほど、そういう繋がりかー。それで詩緒奈ったら学校の違う男の子捕まえたんだね」
捕まえられた星斗は何か言おうとして、笑って誤魔化した。星斗が告白された側であることを美空は知っている。抵抗は無意味だ。
潮をこそぎ取ったモップをバケツにつけて、じゃばじゃばと洗う。柄をかき回しながら、星斗に顔を向けた。
「じゃあ星斗くんは、玲花とも仲いいの? 玲花もずっと宇宙研究機構を手伝ってたんだよね」
「そうだけど、それほど親しいとはちょっと言えないかな。あまり喋らない子だし、それに外回りで防衛してた僕と違って、雛菊さんは研究の手伝いしてたから」
美空は妙に納得した顔で、潮を洗ったモップを持ち上げる。白く濁った水を、ローラーをあわせたような絞り器でモップから絞り落としていく。
がちゃり、と扉の開く控えめな音がした。絞ったモップを浅く持ち替えながら目を向けた美空は、平べったい菓子缶と数冊の冊子を抱えた玲花の姿をそこに見る。
「玲花? ……あ、それもしかして」
「写真。持ってきた」
「おーっけ! 見る見る、見せて!」
「なに、どうしたの?」
「玲花に写真見せてもらうって約束してたの。星斗くんもおいでよ」
「おいで。おいで? ……どうぞ」
玲花は鸚鵡返しに繰り返して、しっくり来なかったのか言い換える。
ランチャーデッキの隅っこで丸くなって、アルバムを受け取った美空は胡坐をかいて座る。ジャージだからとお構いなしだ。ぱらぱらとアルバムをめくる。
「あ、これ赤レンガ倉庫だ。バイクで行ったの?」
「うん」
「やーっぱり。路肩で停めてるアングルだなって思ったんだ。あれ、基本的にみんなそう?」
「そう。バイクって言っても”青藤のヘスティア”だけど」
「へす? あ、あのデッカイやつか。え、あれ公道走れるの?」
「車検通したし、走るときはナンバープレートつけるから」
「ナンバープレートもあるんだ……うわぁシュール」
カルチャーショックで愕然としている美空を他所に、玲花は缶を開けて、中に詰まっている写真を手に取っている。アルバムは分類されたもので、缶に収められているのは未分類の新しい写真のようだった。それを覗き込んだ星斗は、あ、と声を上げる。
「これ美空さん?」
「え? どれ? うっわちょ、なん、こんな姿勢のを現像したのか玲花あんたっ」
星斗が手に取った一枚は、初めて美空がこの基地に来たときの、中途半端な中腰で車から降りかけている気の抜け切った不意打ちの一枚だった。玲花はこともなげにうなずく。
「美空がここに来た記念。ファーストショット」
いかにもメモリアルな言い方をされて、美空は閉口する。ファーストショットがこれというのは実になかなか度し難い。星斗は他人事だと思って、素直に笑っている。
しかし、美空の写真はさておき、アルバムに缶にと、ずいぶん大量に写真が取ってあった。
「よくこんなに集めたね。ほんとに写真好きなんだ」
めくった写真を見て、美空は思わず微笑んだ。駐車してある車の陰で丸くなっていた猫が、顔を上げて間近に迫ったカメラを見上げている。
「うん。時間があったら撮りに行ってる」
「へぇ。写真撮るのって、やっぱり楽しい? いや私、あんまりカメラとか持ち歩かないから、ちょっとわっかんなくて」
まあこんなに撮っているなら楽しいのだろうな、と聞いておいて美空は思った。
しかし、その問いに不自然なほどの間が置かれた。缶を見下ろしてアルバムを閉じて、玲花は首を傾げている。何かを取り落とすまいとしているかのように、慎重に口を開いた。
「楽しい、かどうかは、よく分からない。ボタン押すだけだから」
「……そうなの?」
意外な答えに、美空はパチクリと目を瞬かせる。
玲花は港を撮った写真を取って、ファインダーを覗いたときの景色を思い出そうとするかのように、さびしそうに目の高さまで持ち上げる。
「ただ、少しでもたくさん、私が見たものを残したいって。時間とか、事故とか……私が見た風景は、どんどん変わっちゃうから」
「思い出を、形にしたいってこと?」
美空の言葉に、玲花は小さく首を傾げた。写真を缶に戻す。
構図を探すように、親指と人差し指を交互に差して作った長方形で、玲花は美空を覗き込む。
「残して、形にして……だから安心して、新しい景色にカメラを向けられる。今は、次だって」
美空は嬉しそうに笑って、頬にピースサインを添えた。カメラに向けてポーズを取るように。
そのおどけた冗談に、ずっと無表情だった玲花が口元を緩める。
「ね、玲花。今度、カメラの使い方教えてよ。私も写真やってみたくなっちゃった」
「うん、いいよ」
玲花は快くうなずく。
何気なく美空が手に取ったアルバムは、どうやら基地内編らしかった。開いた一枚目に老原のしわくちゃな笑顔があり、次に仲睦まじそうな笑顔で星斗と詩緒奈のツーショットがある。
それを星斗に見せようとして、ランチャーデッキの金属扉がまた鳴った。
「星斗くん? あれ、みんな。こんなところで……ひどーい! 私だけ除け者にしてたんだ!」
詩緒奈が悲鳴のような声を上げる。
恋人の悲嘆に星斗は一溜まりもなく動揺して、わたわたと手を振った。
「い、いや、除け者にしてたわけじゃなくて、自然に」
「詩緒奈もおいでよ! 玲花の写真、いっぱいあるよ!」
美空がアルバムごと手を振って、詩緒奈に笑う。駆け足でやってくる詩緒奈を迎える。
その手元でページがめくれ、赤い戦闘機を背景に笑う男性の写真が開く。
詩緒奈を輪に加えるときにアルバムを閉じて、美空がその写真を見ることはなかった。詩緒奈は一番大きなアルバムを開いて、一番に飛び込んできた女の子のアップに顔をほころばせる。
「あ、これ玲花ちゃんじゃない?」
「どれ? あっ、可愛いーっ! 小さいころ?」
「うん。宇宙ステーションのころの写真。これは六歳くらいかな」
詩緒奈を中心に三人肩を寄せて、同じ写真を覗きこむ。カプセルホテルを一回り大きくしたような小さな部屋から、あどけない顔の玲花が不思議そうにカメラを眺めている。幼いころから神妙な表情ばかりだ。その写真たちを眺めて、美空は強いられたように口走った。
「うひゃあ、こいつぁたまんねぇぜ」
「バカ美空、もう。ね、これ全部お母さんに撮ってもらったの?」
「半分くらい。もう半分はお姉ちゃ……あ、えっと、家族じゃなくて、宇宙ステーションの」
語弊を生真面目に訂正する玲花に、写真をぺらぺらと概観している美空は大きくうなずく。
「そっか、宇宙ステーションで一緒に暮らすもんね。ほとんど家族って感じなんだ。ねえ玲花、ちょっと気になること聞いていい?」
「なに?」
「玲花の服さ。全部、ほぼ同じなんだけど……?」
めくる速さで成長していく玲花と、その無地淡色に統一された服装を、そのまま現実に引き出したような目の前の玲花と見比べる。
「うん、そうだけど」
「ダメだよオシャレしなきゃ! 女の子は可愛くなるために生きてるようなものなんだから!」
前のめりに主張する美空の勢いに、玲花は目を閉じた。詩緒奈は苦笑する。
「今度、時間があったら一緒に洋服買いに行こうって言ってるんだけど、美空も来る?」
「その話乗ったッ!」
「……仲いいなあ」
姦しい会話に入れず、星斗は苦笑してつぶやいた。
その日、クラストの襲撃はなく、日は空を遊ぶように沈んでいく。




